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2006年10月03日

【かなり奇妙な法学教師・白田秀彰氏インタビュー第1回】「匿名」と「実名」の問題を考える

情報法や著作権に関するエキスパートとして活躍し、今夏には、話題作『インターネットの法と慣習』を上梓した白田秀彰氏。SNSからYouTubeまで、日々変化するネット社会において、いま何を考えておくべきか、シャープな論陣を張る白田氏に話をうかがった。その模様を3回にわたってお伝えする。


「匿名」と「実名」の問題を考える
インターネットの法と慣習
――今年7月に『インターネットの法と慣習』を出版されましたが、その評判はいかがでしょうか?
白田秀彰(以下白田)■
色々と反応はありましたけど、特にネット上の「匿名性」に関する意見をいくつかいただいてます。「匿名では秩序を作ることができない」と私が短絡的に結論しているように受け止められたみたいです。言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、過去において法や秩序が「誰が誰に対して何をして、それを誰が評価したか」という事を抜きに発展したことはありません。何らかの意味での責任主体が明確にならない限り、秩序形成ができないというのは自然な推論だと思います。実際にインターネットの草創期に最初のコミュニティのようなものを形成した人たちは、「なんとか大学のだれそれ」といったように、実名でコミュニケーションをしていました。そうした環境において現在にも影響を与えている基本的なルールができました。

もちろん、参加者のほとんどが匿名でありながら、ネットにおいて秩序が守られた場所もあります。昔のニフティサーブやアメリカのコンピューサーブなどのようなパソコン通信(またはフォーラム)です。参加者は、管理者側にはIDとして把握されていましたが、参加者相互の関係においてほとんどの人が匿名でした。パソコン通信にはサービスの管理運営主体が存在し、その空間の環境を決定するシステムを管理者が設計し運営しているので、管理者はその空間での利用者の振る舞いを自由に制約することができます。

このような場所では、利用者が完全に匿名であっても秩序形成ができると思いますが、中央集権的にある行動を「許す」か「許さないか」を決めているおかげで秩序が保たれているわけです。みんなが「名無しさん」でありながら、かつ秩序を維持するためには「神のような管理者」が必要だということです。そうした空間において管理者の意向に沿わない行為をするためには、その「神のような管理者」の管理技術を乗り越えるハッカー的な能力が必要となるでしょう。そうした能力をもつ人はきわめて少数だろうと思います。ですから、そうした環境は大多数の人間にとって自由ではありません。

『インターネットの法と慣習』の中でも書きましたが、私は、特権的な管理者が中央集権的に秩序を維持するような環境は、私たちの自由を維持するという観点からみて望ましくないと考えています。それゆえ、ネットに参加している人たちが、妥協しつつも合意しうるようなルールを自ら作り出さなければならない、と訴えているつもりです。


――匿名の動きも多くなっていますが、一方でネット社会において実名で活動をする動きも出てきます。例えば、コンサルタントが自分を売り出すために実名でブログを書いていたり、ある商品を売るために「この商品担当の誰々」と名前を出して、その商品についてのBlog、いわゆる「ビジネスブログ」を書く人もどんどん出てきています。このような動きについてどう思いますか?
白田■ ビジネスという事になった場合、匿名では何も成立しないでしょう。商取引の基本は、取引の相手を信用することにあります。些細な消費財の取引の場合はいざ知らず、自己の生活に影響のある重要な財を取引する場合に、どこの誰だかわからない人を取引の相手にすることはありえません。このことは、政治的な意志決定や秩序形成の時にも該当するでしょう。

 現在では、名前の価値が低く評価されすぎているように思います。歴史を見ると、他人の顔と名前を覚えること、逆に自分の顔と名前を覚えられることの価値がとても高かったことがわかります。なんらの身分証明方法もなく、信用保証の仕組みがない世界では、顔と名前で評価される個人的な信用のみしか頼るものがないのです。

 これは余談ですが、軍人になった時に何がもっとも大事かというと同僚の名前と顔を覚えていることらしいですね。戦場で「おい、そこのお前、それを取ってくれ」と言っても誰が「そこのお前」なのかわかりません。「田中一等兵、手榴弾を取ってくれ」と言った時に誰が何をすべきかを明確に指示できるのです。一瞬を争う時に名前を覚えていないことは致命的な問題です。人の名前を覚えられない私のような者は戦場に行ったら即死でしょう(笑)。
【インターネットの法と慣習】白田秀彰氏
白田秀彰氏


――確かに、ビジネスブログやmixiのようなSNSでは、自分の顔写真を掲載する人も多くなっていますね。
白田■ 名前は記号ですから、単なるIDですが ──姓名判断などでは名前も人格を表すというようですね──、よく言われるように顔や外見は、その人の生活態度や嗜好といった人格の一部を表しています。顔を出すという事は、その人格の一部を相手に開示しているわけですから、受け手の側は、より強くその人を信用するでしょう。それゆえ、顔を公開しているのだと思います。顔や外見は、それ自体が情報量の多いメディアだということを、私たちは忘れがちですが、もっと意識すべきだと思います。


――SNS(ソーシャルネットワーキング)もそうですが、自分の趣味やブックマークなど、あえて自分の情報を公開するようなメディア、いわゆるソーシャルメディアがあります。このような自分の情報をあえて公開するようなメディアについては、どのようなお考えをお持ちですか?
白田■ 最近では、(SNSの1つであるmixiの)相手の日記を読んだり、コメントをつけるのにも疲れてしまう「mixi疲れ」といわれる現象が出ていると聞きます。それは、恐らく一人の人間が、他者に費やすことのできる関心や記憶の量の限界点に達してしまったことを意味しているのでしょう。そういう状況を前提として、自分の趣味や興味にかんする情報を他者に公開する理由を考えてみると、それは、公開する人が mixiのコミュニティに対して費やす情報行動の量を節約できるからだと思います。

 別の言い方をすれば「情報を発信する所に情報が集まる」ということです。例えば、私がすごいオーディオマニアだったとします。ある領域に関心をもったマニアの最初の情報行動は、おそらくGoogleなどの検索エンジンを使ってインターネット上の関連情報を探すことから始めると思います。ところが、自分の求める情報を集めることには時間と手間がかかります。一方、自分がオーディオマニアであることをネット上に公表して、その分野での自分自身の関心について情報を発信すれば、その情報を求めて同じような関心をもった人が集まってきます。これにともなって自然に必要な情報が集まってくるはずです。自分から情報を取りにいくのでは無く、自分が公開している情報をいわば「撒き餌」にすることで、関連した情報をもっていると思われる他者を集めるのです。

実際に私は自分のWebページで自分の趣味に関する情報を公開しています、すると同じ趣味の人がときどき質問や問い合わせのメールをくれます。たいていその人のWebページには有益な情報が見つかります。また、検索エンジンで私の趣味のページのURLを検索すると、私のページへリンクしている人を容易に見つけることができます。そうしたページには私の求める種類の情報がある確率が高いです。とても楽です。オンラインの情報量が増大していくにつれて、自分の労力で情報を集めるのではなく、自分から情報を発信し反応する人を待つという行動に切り替える人が徐々に出てきているのだと思います。


――ビジネスブログなども、そのような目的で設置されている場合もありますね。
白田■ そうですね、自分がアプローチすべき人がわかっていたり、検索エンジンを使って探せる程度に対象が絞り込めている場合には、それらのツールでことが済みますが、広い世界の中で自分と同じ趣味を持っている相手がどこにいるかわからない時にどうすればいいか?自分の趣味を公開することがもっとも労力の少ない検索手段なのだと思います。自分の趣味を公表する事で相手からこちらにアプローチしてくれるようになるでしょう。


(取材・構成=横田真俊


●著者紹介
白田 秀彰(シラタ・ヒデアキ)
法政大学社会学部助教授。
情報法、知的財産権法を専門とし、積極的な発言をしている。 著書に、『インターネットの法と慣習』(ソフトバンク新書)、『コピーライトの史的展開』(信山社)がある。
公式サイト:http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/indexj.htm

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