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- 2008/01/07 掲載
【連載】ひろさちやの究極の人生相談:まだ会社人間なのですか?
宗教評論家。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から85年まで、気象大学校教授をつとめる。自ら「仏教原理主義者」を名乗り、膨大で難解な仏教思想を、逆説やユーモアを駆使してやさしく説く語り口は、年齢・性別を超えて好評を博している。ペンネームの「ひろさちや」は、ギリシャ語の「愛する=フィロ」と、サンスクリット語の「真理=サティヤ」からとったもの。 『仏教の歴史(全10巻)』(春秋社)、『釈迦とイエス』(新潮社)、『日本の古寺・名刹をたのしむ』(小社刊)ほか、400点を超える著書がある。
仕事は懲罰、職場は刑務所なのだから
【質問】働くということは、決して楽なことではないが、人生の中で一番いい時間を捧げているのだから、楽しまなければもったいない。楽しむというのは、手を抜くことではない。一所懸命に頑張ることだ。若い人たちにも、そのことをわかってほしいのだが。
【答】
皆さんは、職場を人間にとって必要なところと思っているようだけど、その意識をまず変えるべきだ。職場というのは、刑務所だと思ってほしい。
欧米人のものの考え方の根底にあるのは、ユダヤ教やキリスト教のヘブライ文化の思想であるが、そこでは、仕事というものはそもそも神から与えられた懲罰だと考えられている。
私は、この考え方を支持したい。
旧約聖書にあるように、最初の人間であるアダムとイブは、神様が食べてはいけないと注意をしていた禁断の木の実、りんごを食べたために楽園を追われた。
その時に神様は、「これ以後、お前たちは額に汗して働くように」と言われた。エデンの園にいた間は、働く必要など何もなかったわけだ。ところが、神に罰せられたために、人間は働かざるを得なくなった。これが、基本的に欧米人の仕事に対する考え方なのだ。 だから、仕事というのは懲罰だ。そして職場は、その懲罰を与えられる刑務所のようなものだ。だとすれば、仕事をできるだけ短時間に終えたいのは当たり前。八時間以上は働きたくない、できればもっと短くしたいというのが、欧米人の夢といえる。
あるスペイン人が、こんなことを言っていた。
「俺の理想は、一日四時間労働だ。後の四時間は、俺に代わって誰かが働いてほしい。それが俺の夢だ」
誰かに代わって働いてもらうのであれば、別に八時間労働でも、十二時間労働でもいいじゃないかと問い返すと、
「俺は心やさしい人間だから、自分の代わりに誰かに八時間も働かせるというのは心苦しい。だから四時間ずつがちょうどいい」と答えた。
ことほどさように、欧米では労働時間の短縮が大命題なのだ。
では、労働時間はどうすれば短縮できるのか。手っ取り早く仕事をこなす、効率を上げるしかない。だから、欧米では仕事の効率を上げることが経済界の至上命題となっている。
そのためにはどうしなければいけないかというと、リーダーの命令に従って、全員が歯車のように動くしかない。ワーカーというのは判断力を全部放棄して、ただ上司の言いなりになって動くのが仕事だ。つまり、ロボットと同じなんだ。
でも、それは刑務所の中での話だから、刑務所の時間が終わる、五時の時報が鳴れば、蜘蛛の子を散らすように、皆いなくなる。それが当然なのだ。
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