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  • 2009/04/16 掲載

食品安全やサブプライム問題を考える:篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(5)

九州大学大学院教授 篠﨑彰彦氏

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「価格情報」が不完全であれば、一物一価の法則が働かず、市場の機能は制約される。前回解説したように、ITの進歩と普及がこの制約を緩和させているが、市場ではもうひとつ「質に関する情報」も重要だ。食品の安全問題や世界的な金融危機の引き金となったサブプライム問題でもわかるように、市場で取引される財・サービスの質的情報が不充分であれば、市場はうまく機能しないどころか大混乱に陥ることもある。今回はこの点を考えてみよう。

執筆:九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

執筆:九州大学大学院 経済学研究院 教授 篠崎彰彦

九州大学大学院 経済学研究院 教授
九州大学経済学部卒業。九州大学博士(経済学)
1984年日本開発銀行入行。ニューヨーク駐在員、国際部調査役等を経て、1999年九州大学助教授、2004年教授就任。この間、経済企画庁調査局、ハーバード大学イェンチン研究所にて情報経済や企業投資分析に従事。情報化に関する審議会などの委員も数多く務めている。
■研究室のホームページはこちら■

インフォメーション・エコノミー: 情報化する経済社会の全体像
・著者:篠崎 彰彦
・定価:2,600円 (税抜)
・ページ数: 285ページ
・出版社: エヌティティ出版
・ISBN:978-4757123335
・発売日:2014年3月25日

質的情報の非対称性

 前回解説したように、完全競争市場には、いくつかの前提条件がある。そのひとつに「取引される財サービスの質が均一である」という同質財の仮定があった。これは、売り手も買い手も市場で「何が」取引されているか、売買される財・サービスの内容を充分理解できていて、外見にかかわらず中身が違えば、まったくの異質財だと識別できることを意味する。

 たとえば、色や大きさなど見かけ上はまったく同じでも、甘くておいしいみかんと、すっぱくてまずいみかんは、同質財とはいえず、異なる価格で(甘くておいしいみかんは高い値段で、すっぱくてまずいみかんは安い値段で)売買される異質財ということになる。だが、売り手である生産者は、自分が売ろうとするみかんが甘いかすっぱいかの違いをわかっていても、買い手がこうした「質の違い」を識別できない場合には、どのようなことが起きるだろうか(図1)。

図1 不完全情報の市場

図1 不完全情報の市場


 売り手と買い手で質的情報が同じでない状態を「情報に非対称性がある」という。この「情報の非対称性」によって、市場の機能がどうなるかを論考したのがノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフだ。1970年に発表された彼の論文(The Market for ‘Lemons’: Quality Uncertainty and the Market Mechanism)では、中古車の売買が例として取り上げられている。英語では不良品や欠陥のある商品のことを「レモン」と呼ぶが(※1)、彼は不具合のある「レモン」の中古車と手入れが行き届いた調子のよい中古車(ここでは高品質を「ピーチ」と呼ぼう)の外見が同じで、買い手には質の違いが識別できない市場を想定した(アカロフのレモン市場)。

図2 売り手と買い手で情報の非対称性がある市場
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図2 売り手と買い手で情報の非対称性がある市場


 もちろん、新車市場の場合でも、不良品がゼロということはなく、極めて小さいとはいえ、ある確率で不具合の完成車が売買されることはある。ただし、新車の場合、自動車メーカーは出荷前の検査で不具合がわかれば、その車を売りには出さないから、売り手がはっきりレモンと識別している新車が市場に出回ることはないだろう。つまり、新車市場では、売り手もどれが不具合のある車かを個々には識別できず、買い手との間で「レモン」と「ピーチ」の区別に必要な質的情報に大きな非対称性はないと考えられる。

 一方、中古車の売買では、売り手はこれまでの使用経験などから、自分が売ろうとする車の状態や調子について詳細な知識=情報を持っており、レモンかピーチかを識別できるのに対して、中古車の買い手は、車種、年式、色、走行距離など外形的な条件が同じ中古車であれば、調子のよい車と不具合のある車の識別が困難である。このため、新車市場とは異なり、中古車市場では売り手と買い手で「情報の非対称性」が大きくなりがちだ。

アカロフのレモン市場

 アカロフは、こうした現実を踏まえて、「情報の非対称性」がある中古車市場の問題を考察した。彼の議論を次のようなわかりやすい数値例で概念整理すると、情報の非対称性がある市場では、「レモン」が「ピーチ」を駆逐して、安い低級品だけが市場に出回り、質の高い商品の取引市場が成立しなくなるという結論が導かれる。

【売り手の仮定】
・ピーチ(調子のよい中古車):45万円以上なら売る(それ以下なら売らずに使う)
・レモン(調子の悪い中古車): 9万円以上なら売る(それ以下なら売らずに使う)

【買い手の仮定】
・ピーチ(調子のよい中古車):60万円以下なら買う
・レモン(調子の悪い中古車):15万円以下なら買う

【市場の仮定】・・・情報の非対称性
・売り手はピーチとレモンの区別ができるが、どちらも「ピーチ」と表明して販売
・買い手は個々の中古車についてピーチとレモンの区別がつかない
・ただし、それぞれの供給価格と全体の確率(ここではレモン2/3でピーチ1/3)は知っている
 ⇒45万円以上ならレモン2台に対してピーチ1台
 ⇒45万円未満ならレモンだけ
・買い手は危険中立者(=確率計算による期待値で購買を判断する)

【導かれる結論】
・ピーチが存在する場合の需要曲線を満たすピーチの供給曲線は存在しない
・したがって、市場からピーチが駆逐されレモンがはびこる(悪貨が良貨を駆逐する)

 上記の売り手と買い手の仮定では、一見すると、ピーチの中古車については、45万円から60万円の間で取引が成立し、レモンの中古車については、9万円から15万円の間で取引が成立するかのように思える(図3)。だが、これが成立するのは、レモンはレモンだと、また、ピーチはピーチだと区別される場合、つまり、売り手も買い手もレモンとピーチを異質財だと識別できる場合である。もし、品質情報が不充分なため、買い手がレモンとピーチを異質財と識別できない(つまり、ピーチが3分の1の確率で、レモンが3分の2の確率で入っている中が見えない紙袋に入った果物を買うような)場合には、実はこうした取引が成立しないことをアカロフは次の論理展開で立証したのだ。

図3 売り手と買い手の仮定

図3 売り手と買い手の仮定




※1 英語では不良品や欠陥のある商品のことを「レモン」と呼ぶ。
Concise Oxford Dictionary によると、レモンとピーチには次のような意味がある。
Lemon: a feeble or unsatisfactory person or thing.
Peach: an exceptionally good or attractive person or thing.

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