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  • 2009/12/28 掲載

【山形浩生氏インタビュー】10年ぶりに宣言! ジェネラリスト的な教養をふたたび

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英米の前衛文学や革新的SF、ウィリアム・S・バロウズの名翻訳家であり、経済や社会問題については舌鋒鋭い論客としても知られる山形浩生氏。経済学者のポール・クルーグマンやネット社会における法を考えたローレンス・レッシグなどをいち早く日本に紹介し、自らもWeb上で著作や翻訳をオープンにして活動を続けてきた。文学、経済、社会、科学、環境、コンピュータ、データマイニング、サブカルチャーなどなど、知の領域を変幻自在にクロスオーバーさせて執筆を続ける著者は、翻訳家を目指す人、本当の教養を身につけたい人にとって、ひとつのあるべき姿かもしれない。その著者が、ロングセラー『新教養主義宣言』からおよそ10年ぶりに、翻訳書ではない新刊『訳者解説』を刊行。その間の活動や、現在を聞いてみる。

この10年と『新教養主義宣言』

――『新教養主義宣言』(河出文庫)を改めて読み返してみると、知的なインフラの重要性をすでに10年前に説いていらっしゃることがわかります。教養として成立すべき基盤を再構築しよう、それも単発の知識をうじゃうじゃとつなげ、一通りまとめて理解してこそ意味があると。しかし、現実は〈世代をまたがる統合の再構築〉どころか、その本で危惧していたような教養の衰退が著しい。10年を振り返ってみて、いかがでしょうか?

山形氏■
『新教養主義宣言』は、初版が出た1999年の時点で、すでにそれ以前の10年間に発表したような文章を集めてもいて、「そろそろ何とかなるだろう、景気も回復して、いろんな先行きも見えてくるだろう」という楽観もあったんです。ところが、ほとんどのことが停滞したまま時間だけが過ぎてしまい、そういう意味ではがっかりした10年だったと言えるかもしれない。

 『フィーメール・マン』や「変革のとき」など、プロパガンダ色が強いんだけどカッコいい本を書くジョアンナ・ラスというフェミニズムのSF作家がいるんです。彼女が、「自分の本で書いている内容がいつか当たり前になりすぎて誰にも読まれなくなって、本棚の隅で埃をかぶっているような状況が来れば、そのときに私は勝ったことになるんだ」といった文章を書いているのを見て、かっこいいなと思っていた。『新教養主義宣言』にも多少そんな展開を期待していたかなあ。

 選挙権を売れとか、意思決定を加速化するために1年を短くしろとか、当時はエキセントリックな思考実験のつもりで書いたので、それをめぐって、世の中の問題について考えるべきことを一通り考えてしまったらそれでおしまいになるはずだったのに、なかなか終焉は来ないですね。

【コラム】
『訳者解説 新教養主義宣言リターンズ』
――『訳者解説』の担当編集者は、『新教養主義宣言』と同じ方ですね。10年前は、おふたりともこんな形で再びタッグを組むとは思っていらっしゃらなかったでしょうが。

山形氏■
ですね。この10数年にぼくは、ダニエル・デネットの『自由は進化する』(NTT出版)を始め、自由や意識について考えるべきヒントになりそうな本や、ビョルン・ロンボルグの環境問題のウソを暴く本、データマイニングで刺激的な知識をくれるイアン・エアーズの『その数学が戦略を決める』(文藝春秋)、エリック・レイモンドのフローソフト・オープンソース関連の論文「伽藍とバザール」などを訳してきました。

 そうしたさまざまな分野の、メルクマール的書物の解説だけを本体とは切り離して集めるというのは、ぼくではなく編集者のアイデアです。ただこうしてまとめてみると、自分の興味は、人間理解を深めるものやデータの読み方、オープンソースやフリーソフトの問題など、わりと体系立っていて、あれこれ関連し合うものを訳してきたんだなあとわかってきた。自分としても面白かったですね。

 本当は、この10年に何かまとまった書き下ろしでも出してくれるだろうと期待されてたわけですが、「あいつ、一向に書きやがらねえ」てんで、こんな本を……(小さな声で)申し訳ないです。……(さらに小さな声で)気にはしてますよ。

 外国でつまらない会議なんかに出ていると、やはりきちんとまとまったものを書いておかなくてはと自分にハッパをかけて、会議の資料の裏にあれこれ草稿を書いたりするんですが、それをきちんとまとめずについ目先のものを優先してしまうのがよくないですね。「『訳者解説』解説」にも書いたけれど、翻訳は気が楽なんですよ。何か馬鹿な論旨になっていても「こんなこと書いてらあ」と半笑いで訳していけばいいから。でも自分の本だと、そんなふうに無責任になれないですから。

 もうひといきのところまでは来ているんです。ひとつは、昔から約束している、プロジェクトや事業計画書の見方、事業収支のファイナンスについての本。収支決算や利益率がどうとか、その導き方の話を半分くらいして、あとは人生をプロジェクトとして捉えれば同じように収支決算にできるかもしれない、いろんなところの決断に関係するかもしれないという話。もうひとつは開発援助をめぐる問題とやる気の問題とか。要は、一般の人がそうした知見から我が身を振り返ったときに、何らか人生に示唆を与えられるのではないかと。それくらいの自負はあるんですけれど。


翻訳にまつわるあれこれ

――この本も、先鋭的な知識の集積というより、山形さんの解説によって形而上から形而下まであれこれを考えるきっかけになりそうなものです。

山形氏■
そうですね。データを見ましょうって話はまんまですが、人間論やフリーソフトについての話は、間口が広い。ぼくの仮想敵は、人間とは損得勘定できちきち動く合理的な存在だと語る派です。じゃあそうじゃないと言い切るおまえは「人間は博愛主義だと言いたいのか」と詰め寄られると、それも違う。損得原理が働いてはいるんだけど、その判断材料はお金に限らない。そもそも人間はもっと複雑ですよ、というのがぼくの見方なんです。そうした人間観は、以前より強くなっている気はします。

【コラム】
『新教養主義宣言』
――それは訳書を選ぶときにもよく表れていますね。

山形氏■
ぼくが訳す本は、自分から持ち込むものと、出版社から持ち込まれるものが半々くらいです。明確な使命感で翻訳しているのではなく、読んで面白いかどうかで判断するんですが、ぼくの中でフラグが立つのは、既成の概念とはまったく違う、読んだことのない発見が書かれているものや、知識の領域をまたぐような意外な道筋を通って、想像もしなかった結論に導かれるもの。つまり、分厚くて翻訳が面倒で、ゆえにあまり売れない、ぼくしかやりたがらないような目先の変わった本ですね。

 二番煎じだな、どこかで聞いたような理論だなと思う本は、ぼくがやらなくても他の人がやるわけだし、ぼくが知らないと思ったことならば、日本ではまだ百人くらいしか知らないのかも、ってわけで引き受けるんだから、まさに合理的な損得勘定以外のものが働いているんでしょうね(笑)。

――そういう観点で、今後訳されるご予定のものは何でしょうか。

山形氏■
直近は白水社から出る『フランク・ロイド・ライトの現代建築講義』ですね。講義の完訳と、専門家によるもろもろのダメ出しが合わさった本です。これが面白くて、ライトの修羅を垣間見られるのです。ライトは日本で帝国ホテルを造ったあと、アメリカに戻り、長い低迷期を過ごします。ちょうどアメリカは、ル・コルビュジエのモダニズムなどヨーロッパからの建築運動がもてはやされていた時期。ライトは完全に過去の人扱いされていたんです。彼はそれがくやしくて、偽装までして自分の論の優位性を主張する。

 のちにグッケンハイム美術館や落水荘など名建築を次々作っていったわけだから、歴史的に見てインチキなんてする必要はないんですが、ライトほどの人でも、追い詰められればセコい手段を使ってしまうのだなと(笑)。

――山形さんは、翻訳の早さにも定評があります。この本は実質どのくらいかかったんですか。

山形氏■
原書は1930年に出たものです。ライトの語り口というのは、どうやらその当時ですら、編集者が古くさいと苦言を呈したような大仰な文章らしいんです。おまけに、講演原稿はあると言っているけれど、話はあちこち飛ぶし、ところどころ理屈は通らないし、明らかな間違いまであるし。それを調べ直すのに苦労して、3カ月くらいかかりました。

 その次は、1961年に出た『アメリカ大都市の死と生』の完訳ですね。都市計画の古典なんですが、故建築家の黒川紀章訳がひどいんですよ。しかも、半分しか訳していない。にもかかわらず、30年以上もそのまま放置されていた。それでやっと、ぼくに白羽の矢が。

 だいたい、わけのわからない本ばかり訳しているので、ぼく自身、そこに書かれている内容を最初から全部理解しているというわけではない。興味のあるジャンルだから訳しながら勉強していく部分も大きいんです。他の人より精読したからよくわかりました、ってわけです。だから、論文1本、本1冊訳す作業を通して学ぶやり方もあるのかな、と。

 それに、翻訳そのものはとても孤独で地道な営みなので、訳していて「これは面白い」と興奮できるようなものがないと進まないものなんです。言い訳ですけれど、ぼくが自分の本をなかなか書けないのはそのせいでもあるんですね。自分が理解してしまった考えにはそそられない。でも翻訳は、先に何が書いてあるのかまったくわからないから楽しめる。

――Webに翻訳やコラムを公開し、それが紙のかたちでも出版される。これは山形さん自身がたどってきたプロセスですよね。

山形氏■
たまにぼくのところにも、「翻訳家になりたいんだけど」というメールなんかが来ます。でも訳したいものがないのに「なりたい」と言われても、ぼくには助けられない。こんな面白い本を見つけたからどうにか訳していろんな人に知ってもらいたいというのであれば、まずはWebに載っけてもいいし。翻訳して企画書を書いてというサイクルを続けていけば、糸口はあると思うんですよ。最近は、オンラインで共同翻訳の場も結構あり、そういうところで腕を磨く手もある。

 こなれた訳にするには、正確に読みこなす必要はあるけれど、その上である程度原文から離れないとできないんです。自分が原著をちゃんと理解している自信と、それを踏まえてものが言える自信。その両方を備えてこそ、一般にセンスのよさといわれるものにつながると思うんです。

 ここ数年、一緒に翻訳をすることが多い守岡桜さんという優秀な女性がいますが、彼女も最初は英文和訳のレベルから始めて、徐々に自分の言葉を足したり、一貫性を持って原文との距離を取れるようになっています。やはり慣れというか、場数は大事ですね。

――ただ、選書のセンスというのは、経験だけでどうにかなるものでもないような。

山形氏■
確かに難しい部分もあると思います。でも、たとえば先鋭的な本や論文を見つけたら、その人の違う作品を見てみたり、そこで言及されている本に手を伸ばすと、芋づる式に出てくる。センスある人のセンスに頼るのも一案じゃないかな。


ジェネラリストの役回り

――さて、ここでまた『訳者解説』に戻りますが、山形さんご自身は、この本をどんなふうに読んでもらいたい、どんな読者に届けたいというような、何か託している思いはありますか。本自体は、大変好調な滑り出しで、発売2週間ほどで増刷も決まったとうかがっています。

山形氏■
個人的には、どうせならフラットに読むのではなく、批判的な目線でひねくれて読んでもらえたらうれしいかなあと思いますね。たまにはね。山形はこう言っているけれどオレは全然違うぞと、言いがかりをつけるような読み方もしてほしい。

 大学時代はずいぶん仲間たちとディベートをよくしたんです。ディベートのいいところは、くじ引きで決めたポジションによって、賛成か反対かどちらかの側について討論する訓練ができる点ですね。両方の立場で見ることによって、いくつものシミュレーションを提示し、結局自分はどちら側につくのだろうと考えるきっかけになる。

――相反する立場に身を置いて多角的に考えるというのは、山形さんの解説の基本姿勢でもあります。

山形氏■
山形の意見なんて鵜呑みにするのもどうか、ではありますが、いや、ぼくとしては鵜呑みにしてもらっても構わないんですが(笑)、可能なら、「この物言いに無理矢理反応するとしたらどんなことが言えるかな」とトレーニング的に読むのもいいと思います。

――サブタイトルに「新教養主義リターンズ」とあります。実際、いまは教養や知性についての憧れが復活している空気は強い。その一方で、教養や知性が、山形さんのおっしゃるような、いくつもの世界をつなぐものや境界をまたぐようなものではなく、重箱の隅の知識の多寡で争っている感じがします。改めて教養主義を見直したときに、山形さんはどんなことを感じていらっしゃるんでしょう。

山形氏■
ジェネラリストがいいのか、スペシャリストがいいのか――昔からの難問ですよね。ぼくは圧倒的にジェネラリスト派なんですが、ずいぶん前から、スペシャリスト偏重の風潮はあるなと感じています。でも、スペシャリストはスペシャリストだけでは機能しないというか、専門家をどう配置するか決めなくてはいけない。市場原理でうまい具合に陣立てされていくかと言えば、そうはなっていかないから、どうしたってジェネラリストは必要なんですよ。鳥瞰する人がね。

 ペンキ職人とスーパーコンピューターを操るような人をネットでつなげてもたぶん、合意には達しないと思うんですね。むしろ中途半端にペンキについて知っていて、中途半端にスパコンに関しても知っている人がいなくちゃだめ。とはいえ、ある程度までくるとジェネラリストの仕事は終わります。最近のリフレをめぐる議論でも、あるいはフリーソフトの話でも、その発想自体がバカにされている時期は、ジェネラリストで素人のぼくがしゃしゃり出る余地はある。でもその議論がある程度の市民権を得て、細かい専門的な話になると、山形のような素人ジェネラリストの出番はないし、参考文献にすら名前も出してもらえない。それは寂しいけれど、でもそこに到達するまでは、その分野を知らないからこそ大胆な意見も言えるし、素人の戯れ言としてでも聞いてもらえて、そうした発想の普及に貢献するってのはあるんじゃないかな。

 ぼくは、新しい知識を得ていく中で、間違っていたと思うと結構すぐに謝ってしまうし、他人の書いたものにもかなりのサービス精神で論旨の穴を教えたりしてしまう。そうして丁々発止していく過程で、まだ見ぬ地平を見つけるのがいちばん楽しい。この本に収めた訳書は、そうした「次を見つけよう」という試みの中で拾ってきた本ばかりなので、その解説もきっとこれからを見つめる萌芽になるものはあるだろうと思っています。

(取材・構成:三浦天紗子)

●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
著書に『新教養主義宣言』『要するに』(ともに河出文庫)、『新教養としてのコンピュータ入門』(アスキー新書)、『訳者解説』(バジリコ)など。
訳書に、ビョルン・ロンボルグ『地球と一緒に頭も冷やせ!』(ソフトバンク クリエイティブ)、ポール・ポースト『戦争の経済学』(バジリコ)、イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』(文藝春秋)ほか多数。
オフィシャルサイト(日本語)

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