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  • 2010/04/16 掲載

【前島 賢氏インタビュー】「セカイ系」を通して見えてくる世界とは何か?

『セカイ系とは何か』著者 前島 賢氏インタビュー

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「セカイ系」というキーワードを通してオタク文化などの分析を周到に行った書籍『セカイ系とは何か』(ソフトバンク新書)。本書を書いた動機や狙いなどについて、ライター・評論家の前島 賢氏にうかがった。

「セカイ系」というキーワード

――「セカイ系」という言葉が、ゼロ年代のオタク文化やその周辺ではよく使われていたと思います。2010年の今、本書で前島さんがセカイ系について書こうと思われたのは一体どういう動機からなのでしょうか?

 前島氏■この言葉は、「きみとぼくの関係性が社会を抜きにして世界の運命と直結する」――たとえば少年と少女の恋愛が成就するか否かで世界が滅亡するかどうか決まる――ような作品と定義されています。この言葉はインターネットから生まれた単語なんですが、ぷるにえさんという方がネットで最初に使ったときは、何気ない言葉遊びのようなものでした。ところがなぜかそれが大ウケして広がった。批評家や若い読者だけでなく実作者にも影響を与えて、ゼロ年代には、ゲームやマンガ、小説のなかで、セカイとかセカイ系といった言葉をタイトルや本文で使う作品が数多く生まれました。

 あるいはゼロ年代後半には、批評家の東浩紀さんが批評家育成企画「ゼロアカ道場」などを行って話題を呼び、幾人もの若い批評家、評論家が生まれました。ちょっとした評論ブームが起こりましたが、その火付け役とさえ言える著作が宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』でしょう。この本の主題の1つがセカイ系への徹底的な批判です。そうした中で、セカイ系は、ゼロ年代のオタク文化を斬る上で重要なタームだと見なされるようになっています。このセカイ系という言葉をめぐる動きはオタクの歴史においても、あるいはネット時代ならではの現象としても興味深いものだと思いました。ですので、そのムーブメントを総括しておきたかったんです。
 
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『セカイ系とは何か』

――本書は「ポスト・エヴァのオタク史」として、いわゆるオタク第三世代論と接続するような形でセカイ系の再定義を行おうとしていらっしゃいますね。これはどうしてなのしょうか?

 前島氏■先ほど、セカイ系は「きみとぼくの関係性が社会を抜きにして世界の運命と直結する」作品、と言いましたが、セカイ系と名指された作品の中には、社会の存在がしっかりと書かれた作品もあるんですね。実はこの定義は間違っている。セカイ系とは何か? を考えるときには、作品の中身だけを見ていてはダメで、「なぜオタクたちはこの作品をセカイ系」と名指したのか? という視点が必要だと思いました。

 何かを「変だ」と名指した場合、可能性は2つあります。つまり、名指された作品が変なのか、名指している人が変なのか。実際にセカイ系と名指された作品を読むと、割とベタな青春もの、恋愛ものだったりする。では、それがオタクたちに変なものとして映った理由は何なのか。そこを考えないと、セカイ系はわからない。そして、それを語るには、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-96年)というメガ・ヒット作がもたらしたパラダイム・シフトという視点が必要だと考えました。『エヴァ』、は後続の作品に大きな影響を与えただけでなく、オタク自身の作品を鑑賞する態度も変えてしまった。その変化の中で、ある種の作品がセカイ系と名指されるという動きが起こった、というのがぼくの考えです。

――具体的には『新世紀エヴァンゲリオン』以前と以後、すなわち第三世代以前と以後は、どのような違いがあるのでしょうか?

 前島氏■現在ですとレコーディング・ダイエットの人として有名な岡田斗司夫さんですが、以前はオタキングを名乗り、積極的にオタク文化やオタク自身の素晴らしさを外に向かって宣伝していました。彼の著書『オタク学入門』の定義に拠るならば、年長のオタクたち――第一世代、第二世代というのは、作品の引用やパロディに気づく教養や視線を持った知的エリートで、さらに世界の背後にある設定を非常に重視していました。たとえば、アニメを観ても「ここは『ガンダム』のパロディだな!」と逐一指摘したり、あるいは宇宙世紀など、作品内の架空の年表なんかを一生懸命憶えていた。それに対して、1980年前後に生まれ、『エヴァ』の直撃を受けたオタク第三世代というのは(批評家の東浩紀さんも『動物化するポストモダン』で述べていますが)、素直に作中のキャラクターたちに感情移入したり、あるいは美少女キャラクターに「萌え」たりしてしまう。

 その変化というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』の前半と後半の分裂によく現れていると思います。『エヴァ』という作品の前半は「人類補完計画」や「アダム」など謎めいたキーワードを大量に投入して視聴者の興味をひいていたのですが、後半になると主人公である碇シンジの自意識の物語になってしまい、謎解きは一切、放棄されてしまいます。その衝撃は非常に大きく、オタクたちの間でも激しい賛否両論が起こりました。年長世代を中心としたオタクたちが「謎が解けてないじゃないか、監督が物語を完結させるのを投げ出しただけじゃないか」と怒る一方で、若い世代のオタクたちは「いや、あれは碇シンジという一人の人間が救われるまでをしっかり描いている」と肯定した。

 この対立が、セカイ系という言葉にも流れ込んでいるというのが、ぼくの考えです。つまりセカイ系と呼ばれる『最終兵器彼女』、『ほしのこえ』、『イリヤの空、UFOの夏』などの作品は、後半のエヴァを受け継いだ作品です。これらの作品は、戦時下を舞台にした恋愛ものとまとめられるのですが、男女の関係が丁寧に描写される一方、ロボットや超兵器の設定とか戦争の状況などはほとんど描かれない。だから若いオタクたちが素直に恋愛ものとして受容した一方、年長のオタクたちからすると、なんでちゃんと設定を提示しないんだ、一体、どこと戦争をしているんだ、とすごく奇妙なものに映り、セカイ系という新しいもの、奇妙なもの、として名指されたのだ、とぼくは考えています。

――セカイ系の新しい定義を「オタクの自意識の文学」としたのは新鮮でした。自意識や自己言及性自体は近代文学の問題でもありますが、前島さんはそれを「虚構の自意識」や「ジャンルコードで自意識を語る」として違いを鮮明に打ち出したところに驚きを覚えました。この「虚構の自意識」というのは一体どういうものなのでしょう?

 前島氏■今ではオタクと言えば「美少女に萌える人」という定義になってしまいましたし、『エヴァ』と言えば綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーという美少女キャラクターに代表されるわけですが、ぼく自身、ふりかえってみると、女の子も可愛かったんですが、なにより碇シンジという内省的な主人公に強く惹き付けられていました。90年代はAC(アダルトチルドレン)とかトラウマとか本当の自分という言葉が流行っていまして、『エヴァ』のキャラクターたちも、そういう俗流心理学ブームの中で作られたとは思います。しかし『エヴァ』にしろ、その影響によって生まれたセカイ系にしろ、巨大ロボットとか最終戦争とか名探偵と密室殺人とか、率直に言ってバカバカしい道具立てのなかで語られる「文学」なわけです。なぜ、ぼくたちはロボットアニメにそんなものを求めたのか。太宰治とか大江健三郎とかサリンジャーを読めばいいじゃないか、と。でも、やっぱり、そういう荒唐無稽な虚構のなかで書かれる自意識だからこそ、描けるものがあった、というのがこの本で論じたことです。

――それは読み手側にも、自分はひょっとしたら虚構かもしれない、記号かもしれないという意識があるからですか?

 前島氏■90年代後半からこっち、周りを見渡すと、みんな「本当の自分」を探したり、トラウマを語っていたりするわけで、やっぱり、それを見ると「自分探し」なんてただの流行だよね、と思ってしまいますよね。一方、佐藤友哉さんが講談社ノベルズから刊行した『フリッカー式』など一連のミステリ作品は、おそらく彼の実体験も相当に投影された作品で、自意識の悩みがすごくしっかり書かれている。そこにすごく惹かれました。けれど、この作品はミステリであって自意識も所詮トリックの一部でしかない、という身も蓋もない現実があり、書き手にもまた、これがフェイクでしかないという醒めた視点があったから共感したのだと思うんです。

――セカイ系で描かれる戦争の特徴として、戦う理由と敵の不在という点をご指摘されていますが。

 前島氏■オタク文化というのはとても戦争が好きで――と言うとまあ、語弊がありますが、とりあえずロボット出したり女の子を戦わせたりするためには、戦争が起きてもらわないと困る。けれど、『エヴァ』やセカイ系というのは、冷戦と9.11の間に生まれた隙間的な存在ではないかと思うんです。『最終兵器彼女』という作品は、もろにそうで最終巻の原稿は9.11の最中に描かれていたそうです。

 冷戦が終わり、資本主義陣営対共産主義陣営という対立はなくなった。けれど9.11に続いて、アフガニスタン紛争が起こり、あるいは自衛隊がイラクに派兵されるまで、戦争のイメージは更新されなかった。だから『最終兵器彼女』などの作品はソ連なしで冷戦を描いているわけです。すると当然、敵の顔も戦争の目的もわからないですよね。けれども、とりあえずどこかからか核ミサイルか何かが降ってきて世界が終わってしまうかもしれないという感覚だけは残っている。それが、セカイ系の想像力を支えていたのではないかと思います。

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