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  • 2015/02/10 掲載

孫 正義氏の右腕だった元社長室長が明かす、当時の本音と貴重な学びとは

三木 雄信氏インタビュー 前編

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元ソフトバンク社長室長の三木 雄信氏は、孫社長に関する数多くの著作を発表している。社長室長時代には、社員の調整役として八面六臂に活躍し、「孫社長に一番多く反論して、一番多く怒鳴られた」という人物でもある。孫社長の右腕として「社長の分身」とまで言われた三木氏は、「普通の人生ならば3回ぐらい費やさなければ学べないような貴重な経験を積んだ」と回想する。同氏が当時受けた学びとは何か? 常に行動を供にしてきた側近ならではといえる本音の話を訊いた。

実は孫 泰蔵氏や堀江 貴文氏も同級生

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ジャパン・フラッグシップ・プロジェクト 代表取締役社長 兼 トライオン
代表取締役社長 三木 雄信氏

──まずはご自身の経歴について簡単に教えてください。

 三木 雄信氏(以下、三木氏)■私の生まれは福岡です。久留米大学附設高校では、孫 正義社長の実弟の孫 泰蔵氏や元ライブドアの堀江 貴文氏と同級生でした。ですから高校時代から孫社長のことはかなり知れ渡っていました。「泰三の兄ちゃんで、すごか先輩がおるぞ」と。それで私もホリエモン(堀江氏)も、早いうちからIT業界に興味があったのだと思いますね。

 やはり高校のとき影響を受けたカルチャーは、自分の人生に大きな影響を与えています。学校の気風も「和して同ぜず」というもので、お互い仲よくするが、人と同じことはしないというものでしたね。

──大学も泰蔵氏や堀江氏と同じ、東京大学に進まれましたね。

 三木氏■現役で何とか合格できましたが、実はそれ以外の大学はすべて落ちています。これは頭の良し悪しという話ではなく、戦略的に勉強した結果の勝利でした。孫社長の語録に「戦いを略するのが戦略」という言葉があります。私も物事を進める際には、「何をやらないか」を考えています。受験では、東京大学の過去問から傾向を探り、受験で必要とされない勉強は一切しませんでした。実は、やらないことを決めるということが目標を達成する上で非常に大事なポイントなのです。

──大学卒業後は三菱地所に入社されました。当時どんな業務を担当されていましたか?

 三木氏■まず社長室広報部に配属されました。最初に任された仕事は、マイナーな業界新聞からメジャーな新聞まで、計32紙にわたる記事のクリップ。あらゆる情報を収集することでした。

 そのうちに自社のWebサイトの制作にも携わることになりました。当時から三菱地所は丸の内に不動産を所有していたのですが、平成不況のまっただ中、新聞では「丸の内の黄昏」と書かれるほど街の活気が失われていました。あたかもホワイトカラーの工場のような街で、仕事のない休日には街は閑散とした状態になっていました。

 そこで自ら「丸の内活性化プロジェクト」を企画してスタートさせました。当時の三菱地所には、若手のアイデアを聞いて好きにやらせみよう! という社風があったのです。

 実は丸の内には美味しい飲食店が数多くあったのですが、ほとんどビルの地下で女性は入りにくく、フラッと訪れた人には何があるのかよく分からない状況でした。そこでまず、イベントスペース兼カフェとなる場所を作りました。それからマガジンハウスの人気雑誌『Hanako』とタイアップを組んで日本初の丸の内の特集を組んだり、Web上から230店舗のデータを検索できるようにしました。再開発された丸の内ができる前に、このように先行して街の活性化を進めてきたのです。

──若くして大きなプロジェクトを立ち上げ、順風満帆に思える社会人のスタートですが……なぜソフトバンクへ転職されたのでしょう?

 三木氏■このプロジェクトに携わって、自分自身はとてもハッピーでした。ただ、サラリーマンならよくある話なのですが、これから面白くなる、というときに転勤命令が出てしまいました。いろいろなことをやるつもりだったので、プロジェクトから外されてとても落胆しました。まあ若気の至りですが、「それなら辞める」という流れになって……。泰蔵氏にも、そんな話をしていたのですが、「ならば、孫社長に一度会ってみては?」という話になりました。

 孫社長と会食しているときに「三木君、どうやったら300年間続く会社になれるかね?」と訊ねられました。その頃(1998年当時)から、孫社長は現在のような300年ビジョンを持っていたということですね。その時、話題にしたのは「生物の多様性」ということ。たまたま進化論の本を読んでいて、「昆虫が現在まで生き延びられたのは多様性のおかげだから、企業にもその考え方が必要だ!」などと主張しました。すると孫社長が「そう、三木君、それだよ!」と突然叫んで、「すぐに人事部長を呼べ! 今日から入社だ」と(笑)。それがソフトバンクに入社したキッカケですね。

【次ページ】 初めて孫社長に命じられた仕事は「1万個の経営課題を出すこと!

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