- 会員限定
- 2016/11/15 掲載
大手映画会社社員がNYとLAでアイドルになったワケ
中森勇人(なかもりゆうと)
経済ジャーナリスト・作家/ 三重県知事関東地区サポーター。1964年神戸生まれ。大手金属メーカーに勤務の傍らジャーナリストとして出版執筆を行う。独立後は関西商法の研究を重ね、新聞雑誌、TVなどで独自の意見を発信する。
著書に『SEとして生き抜くワザ』(日本能率協会)、『関西商魂』(SBクリエイティブ)、『選客商売』(TWJ)、心が折れそうなビジネスマンが読む本 (ソフトバンク新書)などがある。
TKC「戦略経営者」、日刊ゲンダイ(ビジネス面)、東京スポーツ(サラリーマン特集)などレギュラー連載多数。儲かるビジネスをテーマに全国で講演活動を展開中。近著は「アイデアは∞関西商法に学ぶ商売繁盛のヒント(TKC出版)。
公式サイト http://www002.upp.so-net.ne.jp/u_nakamori/
会社員は歌手になれるのか?
荒井さち重さんは、幼少の頃からアイドル歌手に憧れ、ホリプロスカウトキャラバンやサンミュージックオーディションなどを受けたが、ことごとく落選した。
「かわいくないとアイドルにはなれないと気がついたのは中学生ころでした」と笑いながら話す荒井さんは、資金を貯め、実力をつけるために学生時代はコピーバンドに精を出し、大手映画会社に就職した。イベントMCなどの仕事をしながら、音楽学校のプロ養成コースに通い、デビューのチャンスを伺った。
しかし、プロの道はそう簡単には開かなかった。諦めかけたとき、交通事故に遭い、一命を取り留めた。荒井さんは「また死ぬような目に遭うかも」と本格的に夢を追いかけることを決意。音楽学校に通い、歌唱力を磨きレッスンに励むようになったのだという。
そんな荒井さんにデビューの話が持ち上がった。25歳のときだ。
歌に自信があったことから、簡単にスターになれると思っていたが、現実はそんなに甘いものではなかった。やはりこういった話には政治的な側面があり、条件が折り合わず話は流れることに。
このままではいけないと、さらに本格的に歌手活動を行うために会社を辞め、家業を手伝いながら再びデビューのチャンスを伺っていたが、なかなか芽が出なかった。
テレビ出演、ブログ炎上
ここまででも紆余曲折があった荒井さんだが、この後、決定的な出来事が起こる。
【次ページ】辿り着いたNYとLA
関連タグ
関連コンテンツ
PR
PR
PR