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2017年03月09日

トヨタVSトランプで再燃、日米の貿易摩擦が起こす「雇用戦争」の歴史

大統領就任前の1月5日、ドナルド・トランプはツイッターで、トヨタ自動車(以下、トヨタ)がメキシコ工場新設を計画していることに対して「ありえない」と発言した。この発言は、過去に何度も日米間で問題になった「日米貿易摩擦」を思い起こさせる。その後の日米首脳会談を経て沈静化しているようにも思えるが、貿易摩擦はいつの時代も日本企業、特に自動車メーカーにとっては大きなリスク要因なのだ。

執筆:経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

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トヨタVSトランプで「雇用戦争」が再燃?

(写真:Neubie/flickr,CC BY 2.0)


戦後復興から最初の日米貿易摩擦は「繊維産業」

 日本は戦後に驚異的な勢いで復興を遂げた。その要因のひとつは、安価な労働力と高い技術力によって競争力を高めた日本製品が海外、特にアメリカに大量に輸出されたためだ。

 一方で、さまざまな摩擦を引き起こしていた。1965年、日米貿易収支は逆転し、アメリカの赤字が拡大することになるが、それと呼応するかのようにアメリカの製造業の衰退も始まっている。

 最初に日米貿易摩擦の対象になったのは自動車ではなく、長らく日本の輸出を支えていた繊維製品だった。アメリカは1971年に日本に対して激しく繊維輸出規制を求め、その交渉にあたったのが、当時通商産業大臣だった田中角栄氏だ。

 田中氏は「アメリカは大国だ。日本はアメリカに追いつくべく一生懸命やっている。そういう国の貿易環境はマルチのベースで考えるべきで、日本は対米では少し黒字だが、対産油国では大変な赤字だ」という論法でアメリカに対峙した。

 その一方で、日米貿易全体で考えれば譲歩せざるを得ないとして、2000億円の補償金を業界に支払うことで休止機械の廃止と輸出量の規制を断行している。

 ちなみに「世界一の投資家」ウォーレン・バフェットが経営するバークシャー・ハザウェイも元々は1888年創立の名門繊維会社だが、バフェットが経営権を取得した1960年代にはすでに「三流の繊維会社」となっていた。

小型車を持たないビッグスリーの苦境が自動車摩擦に

 日米繊維協定によって繊維製品の問題は決着したものの、それから10年後に起きたのが自動車をめぐる貿易摩擦である。

 トヨタが初めてアメリカに「クラウン」を輸出したのは1957年のことだが、残念ながら当時の日本車はアメリカの高速道路を走れる設計になっていなかったため失敗に終わっている。

 その後、「アメリカ市場で売れる車をつくらない限りトヨタの発展はない」という教訓を胸に開発を進め、日産には遅れたものの1966年に「三代目コロナ」、67年に「カローラ」を輸出、日本車の対米輸出が本格化することになった。

 アメリカは言わずと知れた自動車大国であった。ゼネラルモーターズ(GM)、フォードモーター、クライスラーというビッグスリーの存在感は圧倒的だったが、当時ビッグスリーは小型車を生産しておらず、アメリカの小型車市場は日本車とヨーロッパ車が占めていた。

 その市場で日本車は徐々にシェアを伸ばし、1975年にアメリカの輸入自動車の半分を超えるなど存在感が増していく。

 さらに、1979年に起きた第二次石油ショックによって、アメリカの消費者の小型車志向を加速させたことで一気に日本車の販売台数が伸びることになった。

 その結果、小型車を持たないビッグスリーは苦境に立たされることになる。

 1980年代に入るとビッグスリーの赤字は40億ドルに達し、アメリカの自動車産業に従事する労働者の約4割が一時帰休を余儀なくされるなどまさに社会問題化することになった。

 日本車が売れれば、そのぶんアメリカ車が売れなくなり、雇用も奪われる。これが、日米間の自動車摩擦を引き起こすことになった。

 摩擦の解決策としてアメリカが提示したのが(1)アメリカ車を日本に輸出する際の規制緩和(2)日本による輸入制限の撤廃(3)日本メーカーの現地生産―の3つである。

特に3つ目の現地生産は現在トランプ大統領が求めているアメリカで販売する製品をアメリカの労働者を使ってアメリカで生産する、という「雇用の創出」を目的とするものだった。

【次ページ】トランプがトヨタを名指し批判、よみがえる「悪夢」

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