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2017年03月14日

『貧困と地域』著者

怖い町? 人情の町?「あいりん地区」のリアルとは 白波瀬達也氏インタビュー

「日雇労働者の町」と呼ばれたあいりん地区(釜ヶ崎)で、白波瀬達也氏は2003年からフィールドワークを重ねてきた。新刊『貧困と地域』(中公新書)では、同地域でソーシャルワーカーをしていた経験も踏まえながら、「あいりん地区とはどのような地域なのか」に正面から向き合っている。時代の流れとともに大きく姿を変えながらも、変わらず貧困を押し付けられてきたあいりん地区。この地域は、どのように変化し、現在どのような課題に直面しているのか、お話をうかがった。


歴史とともにあったあいりん地区

──あいりん地区は釜ヶ崎とも呼ばれますが、両者の違いはなんでしょうか? タイトルには「あいりん地区」が使われていますよね。

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『貧困と地域』

白波瀬達也氏(以下、白波瀬氏):多くの場合、公的機関は「あいりん地区」、民間団体は「釜ヶ崎」という呼び方をします。メディアでは「あいりん地区(釜ヶ崎)」のように併記されることが多いですね。

 基本的に同じ場所を指しているのですが、「釜ヶ崎」は昔の地名であり、今は西成区北東部の簡易宿泊所が集中する場所のことをアバウトに指す名称です。「あいりん地区」も同様の地域を指すのですが、度重なる暴動への対応をきっかけに1966年に行政が明確に区域を設定しています。この本では行政が貧困問題にどう向き合ってきたのか、詳しく描きたかったので、「あいりん地区」という地名を使いました。

──あいりん地区には、ドヤ街(宿をひっくり返した俗称)のイメージがあったのですが、『貧困と地域』を読んで、時代とともに町の様子が変わってきたことに驚きました。

白波瀬氏:あいりん地区は、日本の社会状況に大きく影響され続けてきた町でもあります。ご指摘の通り、あいりん地区と言えば男性ばかりが暮らす「日雇労働者の町」「ドヤ街」のイメージをもっている人が多いと思いますが、1960年代の中頃まで、男女の人口比がそれほど変わない町で、研究者たちはスラムとみなしていました。

──スラムとドヤ街は違うのでしょうか。

白波瀬氏:社会学者の大橋薫の分析によれば、スラムとドヤ街には貧困が共通しているが、社会関係や住まいなどに違いが見られるのです。スラムの住民は家族もちが多く、住居と職業、収入が固定しており、人間関係が緊密。一方、ドヤ街は単身世帯が多く、住居と職業、収入が流動的かつ臨時的で、人間関係が希薄。随分昔の研究ですが、このように特徴の違いが述べられています。

表1■スラムとドヤ街の違い
スラムドヤ街
家族関係  家庭的個人的
住居関係恒久的一時的
職業関係固定的流動的
収入関係固定的低所得  臨時的低所得  
消費関係低い消費高い消費
人間関係緊密的匿名的
思想関係保守的自由的
(大橋薫「社会病理(地域病理)現象としてのスラムとドヤ」『都市問題研究』18(12)、1966年より)

 当時の釜ヶ崎の様子をうたった三音英次の「釜ケ崎人情」の歌詞にも、この地がスラムといわれていることが出てきています。高度経済成長期以前は、日雇労働者を相手にした町、ドヤ街、歓楽街、長屋、商店街などがひしめき合っていました。ドヤが多く集まりつつ、スラムの性格ももった町であったと言われています。

 しかし、1960年代後半から様子が変わっていきました。1961年に労働者に対する警察の不適切な対応がきっかけとなり「第一次釜ヶ崎暴動」が起こります。その後何度も暴動が繰り返され、1966年の第五次暴動ではパチンコ店や交番に2000人が放火や投石を行います。この暴動をきっかけに、大阪市・大阪府・大阪府警から構成された「愛隣対策三者連絡協議会」が設置され、「釜ヶ崎」は「あいりん地区」(愛隣地区)に改称することになりました。

 当時は、1970年の大阪万博に向け、労働者の需要が高まっていた時期でもありました。そこで行政は住所不定者への支援を手厚くするために「あいりん総合センター」や「大阪市立更生相談所」を設立し、日雇労働者の安定的な供給を目指します。各地の失業者を吸収し、労働市場に再参入させる仕組みでした。その一方で、行政による住宅政策や頻発する暴動により家族世帯は地区外に流出していきました。

 こうして、あいりん地区は日雇労働者の集積地に性格を変え、単身男性が多く暮らす町になったのです。あいりん地区の中心部に位置する萩之茶屋小学校には、1961年に1290人もの児童数がいましたが、1990年には137名と、30年間で10分の1まで減少しています。このように子どもの姿がどんどん少なくなっていったのです。

 そして、バブルが崩壊すると求人が減少し、野宿生活を余儀なくされる人々が町に溢れます。その結果、行政・民間が様々な対策を行い、住民の多くは生活保護を受給しながら地域に定住するようになっていきました。あいりん地区は深刻な高齢化に直面しており、日雇労働者が集まる場所としての機能はどんどん小さくなっています。

あいりん地区は怖い町? 人情の町?

──「あいりん地区は怖いところ」というイメージについて、白波瀬さんはどう考えていますか。

白波瀬氏:ぼく自身も調査をする前は、多少不安な気持ちがありました。実際にフィールドワークをし始めた頃は、路上で覚せい剤を売買していると思しき現場や、賭博をする人たちの姿もたくさん見かけましたから。でも、6年ほど地区内の福祉施設で職員として働いており、地域住民とのつながりが具体的にできてくると、変にかまえることもなくなってきました。実地学習で学生たちを連れていくことがあるのですが、彼らもマスメディアの影響なのか最初は怖いイメージをもっているようです。でも実際に足を運んでみると、おじさんたちは気さくに声をかけてくれるし「怖い」というイメージではなくなるようです。むしろ、路上にあふれる多くの高齢者を目の当たりにして「貧しい」というイメージをもつようです。

 ぼくらが暮らしている地域の中では、貧困の現実はあっても見えづらい。しかし、あいりん地区の場合は家が極端に狭いので、路上で過ごす人が多く、貧困がむき出しです。その様子を見た学生たちは厳しい現実に困惑することが多いですね。

 たしかに、過去のあいりん地区は、暴動もありましたし、それをなかったことにはできないでしょう。バブルが崩壊するまでのあいりん地区は、学者やメディア関係者が簡単に入れる場所ではなかったようです。「何しに来たんや、見せもんちゃうぞ」と一蹴されることが多かったそうです。日雇労働の町であったころには、一人で生きていく矜持があったように思います。ですが、多くの人たちが生活保護で暮らしている現在、矜持が表明されづらい状況です。

 暴動が起こらないからといって、この町に問題がなくなったとも言えません。ぼくの中でもアンビバレントな気持ちがあって、あいりん地区を「暮らしやすい町」として素朴に推奨できない一方、世間に流布したネガティブなイメージにも強い違和感があります。この感情は住んでいる人も同様にもっていると思います。「この町だから何とか生きていける」。このように思っている人は多いのではないでしょうか。

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白波瀬達也氏


──一方で、西成区が舞台だといわれている『じゃりン子チエ』(はるき悦巳、双葉社)のような人情を強調した描き方もありますよね。

白波瀬氏:あのマンガで描かれる町は、職住近接で、不安定な仕事をしている人たちと教師や警察官といった堅い仕事をしている人たちが入り混じって暮らしている。いろんなトラブルが日々起こるけれども、地域の支え合いがある。それが『じゃりン子チエ』の世界観ですよね。かつて、あいりん地区がスラムの様相を示していた時代は、このように人情味あふれる町だったのかもしれません。地域で働き、子育てしていく中で地縁が自然と育まれていたのでしょう。でも、日雇労働者の町になったことで、『じゃりン子チエ』のような牧歌的な地縁は薄まっていったと思われます。

 さらに、現在は生活保護を受ける人が多くなっていることも、関係性の希薄化に拍車をかけています。生活面は安定するのですが、仕事をしていないと人間関係から切り離されてしまう。自尊心も保ちづらい。あいりん地区に暮らす元日雇労働者は、このような状況に直面しています。

──労働には人をつなげる面もあるんですね。

白波瀬氏:何より仕事は日雇労働者の誇りを形作っていたと思います。つらさの共有もふくめて人をつなげているんでしょうね。家庭も地域のつながりも乏しい、そういった境遇の近さが、必ずしも連帯を生むわけではありません。むしろ相互不信が生まれてしまう場合だってある。自分に対する自尊心が高くないと、信頼関係も結びづらい。似たような境遇だからといって、つながりが生まれるとは限らないのです。近年のあいりん地区では、仕事をリタイアした人たちの社会的孤立への対応が喫緊の課題となっています。労働とは異なる形で、自尊感情を高め、縁を紡ぐ方法が模索されています。

「課題先進地」としてのあいりん地区

──本書の注目すべき点を教えてください。

白波瀬氏:ぼくがこの本で主張したかったのは、貧困を特定地域に集中させることの重さです。あいりん地区は、時代の流れの中で生まれ、行政もそれを後押ししました。この町は支援が手厚いため、ほかの地域で抱えきれなかった貧困層が絶えず流入しています。

 あいりん地区は、例外的な地域として語られる傾向がありますが、ぼくは他の地域との接点が少なくないと考えています。本では「課題先進地」という言葉を使いました。日本社会の大きな流れの中で、わかりやすく課題があらわれている町があいりん地区なのです。本で取り上げた、高齢化や孤立死の課題は、あいりん地区ほど深刻ではないにせよ、他の多くの地域でも起こっています。

 特に、2012年からはじまった再開発の動きには注目です。「西成特区構想」では様々な立場の人たちが、かなり丁寧に意見をすり合わせています。日雇労働者の町であり続けてほしい人もいれば、大きな商業施設を立て、経済的に活性化させたい人もいます。その中で、お互いに同意できたのが「子どもが暮らしやすい町」というスローガンです。

 女性がいて、子どもがいて、家族があって、生活がある。かつてこの町は貧しかったかもしれないが、「普通の暮らし」があった。そんな町にしていきたいという願いに反対する人はほとんどいません。地域を活性化させ、税収をあげたい大阪市と、子どもが暮らしやすい町にしたい住民との利害が一致したともいえます。

 一方で、この町のマジョリティである生活保護を受けている層は、ほとんど声をあげていません。彼らのデメリットがなるべく少ない形で、軟着陸できるのか、あいりん地区はこれからのまちづくりを考えるうえでも示唆に富む事例だと思っています。

 この本を「叫ばない貧困の本」と評した方がいました。ぼくの本は誰が敵で、何が悪いのか、単純明快には示していません。処方箋は簡単ではありませんが、長年のフィールドワークで見てきたこの町の姿を丁寧に書いたつもりです。あいりん地区で何が起こってきて、これから何が起こるのか、今後の日本社会が直面する課題として読んでほしいですね。

(取材・撮影:山本ぽてと


●白波瀬達也(しらはせ・たつや)
1979年京都府生まれ。2008年、関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。大阪市立大学都市研究プラザ博士研究員などを経て、現在、関西学院大学社会学部准教授。社会学博士。専門社会調査士。社会福祉士。2007年から2013年にかけて地域福祉施設「西成市民館」でソーシャルワーカーとして活動。専門は福祉社会学・宗教社会学・質的調査法。論文「あいりん地域における居住支援──ホームレス支援の新たな展開と課題」が2016年度日本都市社会学若手奨励賞を受賞。著書に『宗教の社会貢献を問い直す』(ナカニシヤ出版)、共著に『ホームレス・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)、『宗教と社会のフロンティア』(勁草書房)、『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版)などがある。

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