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2017年06月12日

連載:企業立志伝

スズキ創業者 鈴木道雄氏が「ヒト・モノ・カネなし」でも自動車事業を立ち上げた理由

軽自動車のトップメーカー・スズキの創業時の社名は「鈴木式織機製作所」。それから45年後の1954年に突然、「鈴木自動車工業」へと社名を変更していますが、実は当時、まだ一台の自動車すら発売していませんでした。そこには、織機と自動車という2つの事業の未来を見据え、無謀とも言える挑戦を決めた創業者・鈴木道雄氏の強い「決意」が込められていたのです。

執筆:経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

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自動車事業は無謀とも言える挑戦から始まった(※写真はイメージ)

(© pp1mbp – Fotolia)


発明家にして実業家。120を超える特許や実用新案を取得

 1887年、現在の静岡県浜松市の農家の二男として生まれた鈴木氏は芳川村尋常小学校補習科を卒業後、祖父嘉平治氏が勧める教員の道ではなく、大工の道を目指しています。子どもの頃から手先が器用で大工仕事が好きだった鈴木氏は、知人の紹介で浜松市の大工・今村幸太郎氏のもとに弟子入り、そこで大工としての技術を磨く一方、織機に関する知識も身につけることになりました。

 当時、浜松は織物が盛んで、大工の中には建築を行う家大工とは別に織機の修理などを手がける織機大工と呼ばれる人たちがいましたが、鈴木氏の師匠である今村氏も建築需要が下火になった時代、織機大工として活躍、弟子の鈴木氏も自然と織機の知識を身につけ、やがて織機の製作までも行うほどの力を身につけました。

 1908年、今村氏の下での徒弟修業を終えた鈴木氏は独力で織機の製作を行うようになり、木鉄混成の足踏み織機を3、4日に一台のペースで組み立てていました。

 鈴木氏のつくる織機の評判はとても良く、注文が次々と舞い込むようになったことから鈴木氏は1909年10月、個人経営の「鈴木式織機製作所」を設立、のちの自動車メーカー「スズキ」の歴史が始まることになりました。

 大工としての腕を生かして織機の製作を行うようになり、やがて世界的自動車メーカーへという鈴木氏の経歴は同じ静岡県出身の豊田佐吉氏ととてもよく似ています。

 鈴木氏より20歳年長の豊田氏が初めて豊田式木製人力織機で特許を取ったのは1891年、24歳の時ですが、鈴木氏も1912年、25歳の時に経糸送出調節装置を完成、初の特許を取得しています。

 以来、鈴木氏は120件を超える特許や実用新案を取得していますが、なかでも特筆すべきは鈴木式織機の基盤を確立したといわれるサロン織機の開発です。

 当時、同業他社はサロン特有のカパラを織る技術の難しさから手をつけていませんでしたが、鈴木氏は1930年にサロン織機の開発に成功、大きな飛躍を遂げることになりました。

 そんな鈴木氏に対し、妬みから「たたき大工の成り上がり」と揶揄する声もありましたが、鈴木氏は故障した織機を徹夜で修理するだけでなく、依頼主が思いもよらなかったほどの工夫を施して納品するなど、常に中小の織布業者の立場に立った仕事をすることで業界の信頼を勝ち得ていくことになったのです。

なぜ鈴木氏は自動車開発を目指したのか

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(クリックで拡大)

鈴木道雄氏年表

 やがて総合繊維機械メーカーとしての地位を揺るぎないものとした鈴木式織機ですが、鈴木氏は一つの懸念を持ち続けていたそうです。

 それは織機の機械としての寿命は長く、一度購入してしまえば、次に買い替えるまでに長い年月がかかるということ。

 のちにスズキにとって重要な国となるインドのタタ財閥の紡績工場を訪問したところ、そこでは50年以上前の織機が当たり前のように使われており、鈴木氏は頻繁な買い替えの起こらない織機の世界だけでは、メーカーとしての将来に限界があると考えたのです。

 では、織機に代わる製品として何をつくるかと考えた時、頭に浮かんだのが豊田佐吉氏が選んだのと同じ自動車の製造でした。

 豊田の技術力で車がつくれるのなら、鈴木の技術力でも車をつくることができるというのが鈴木氏の考えでしたが、目指したのは豊田のような乗用車ではなく、小型の自動車をつくることでした。

 1936年、鈴木氏はオートバイエンジンの研究をスタートさせ、1939年には試作車を完成させていますが、日本が戦争へと突き進む中、残念ながら計画は中止せざるを得ませんでした。

 終戦後、激しい労働争議によって鈴木式織機は経営危機に陥ります。のちに「トヨタ中興の祖」と呼ばれる豊田自動織機社長・石田退三氏の支援や朝鮮特需によって何とか危機を乗り越えた鈴木氏は1951年、バイクモーターの開発に着手しました。

 既にホンダなどの先行メーカーがありましたが、「パワーフリー号」や「ダイヤモンドフリー号」の成功によって、長年鈴木氏が追い求めていた繊維機械事業に代わるオートバイ製造事業という2本目の柱をつくりあげることに成功することになります。

【次ページ】人がいない、技術がない、資金がないと言っていたら事業はできない

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