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  • 2022/03/15 掲載

才能でも教育でもない、マクドナルド帝国を作った男が「これだけが全能」と語る2つの要素

連載:企業立志伝

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1971年7月に日本に初上陸したマクドナルドは、いまや日本人にとっても身近な存在となりました。1940年、米国でマクドナルド兄弟のもとで誕生したマクドナルドは、1955年にレイ・クロック氏という「創業者」の手によって世界最大のファストチェーンへと歩み始めました。クロック氏はなぜ、マクドナルドを世界ブランドに育て上げることができたのでしょうか? 最後まで揺るがなかった同氏の信念にヒントがありました。

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。

大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ (ビジネス+IT BOOKS)
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日

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マクドナルドを世界最大のフランチャイズに導いたレイ・クロック氏の半生に学ぶ
(写真:ED / RACamera Press/アフロ)


学校よりも仕事が大好きだった少年時代

 レイ・クロック氏は1902年、父ルイス、母ローズの長男としてイリノイ州シカゴの西のはずれ、オークパークで生まれています。父親は中学を中退したため、クロック氏を何としても高校まで進ませるつもりでしたが、読書が嫌いで、本が退屈なものに思えたというクロック氏は「仕事があれば何でもやってみた」(『成功はゴミ箱の中に』p33)というほど働くのが好きな少年でした。

 父親の希望通り高校に進んだものの、レモネードスタンドのアイデアを思いつくと、すぐに実行に移して、レモネードを大量に売っていますし、2人の友人とそれぞれ100ドルを出資してミュージックストアを開き、楽譜や小さな楽器を販売するなど、学校よりも仕事が大好きでした。

高校中退で仕事を転々。誰もが知る意外な人物との出会いも

 学校が退屈で仕方がなかったクロック氏は、第一次世界大戦に米国が参戦すると、両親の反対を押し切って赤十字病院の救急車のドライバーとなっています。そこで出会ったのが同じドライバーのウォルト・ディズニー氏です。「みんなが女の子を追い回している間、あいつは絵を描いてばかりいた」(『アメリカン・ドリームの軌跡』p325)と当時を振り返っています。


 休戦協定が調印され、戦地へ行くという希望の断たれたクロック氏は、両親の説得を受けていったんは学校に戻りますが、当時の希望は「セールス活動とピアノ演奏で金を得る」(『成功はゴミ箱の中に』p39)ことであり、やがて父親の収入を上回るほどの稼ぎを得ることになります。

 高校を中退したクロック氏はピアニストや不動産業、紙コップのセールスなどを経て、5種類のミルクセーキを同時につくる「マルチミキサー」の独占販売者となりますが、米国中を旅する中で出会った「マクドナルド」がクロック氏の人生を変えていきます。

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今日のマクドナルドの原点とは(写真はイメージです)
(Photo/Getty Images)

マクドナルドとの出会いと新ビジネスの着想

 クロック氏のマルチミキサーを売るビジネスは当初は順調でしたが、1950年代に入ると限界が見え始め、クロック氏は「マルチミキサーに代わる新商品を何としても見つけなければならない」(『成功はゴミ箱の中に』p109)と考えるようになります。

 そんなクロック氏の元に「マクドナルド兄弟なる人物が、サンバーナディノで8台のマルチミキサーを駆使して大繁盛している」(『成功はゴミ箱の中に』p111)という情報が入ってきます。「自分の目で見てこよう」と思ったクロック氏はすぐに現地へと向かいます。

 クロック氏が目にしたのは、1940年にドライブインでスタートして、1948年からテイクアウト中心という当時としては新しい経営方式で大成功をしていたマクドナルド兄弟が経営する店でした。そこではハンバーガー、フライドポテト、飲み物がテキパキとした流れ作業で提供されており、価格も安いうえに、特にフライドポテトは「まったくの別物」と言えるほどの出来栄えでした。

 15セントで買えるハンバーガーと、10セントで買えるフライドポテトを求めて長く続く行列を見て、その清潔な店やキビキビ働くスタッフたちに感動したクロック氏は、これと同じ店を米国中の主要道路に展開させるというアイデアを思いついたのです。当時をこう振り返っています。
「私はニュートンの頭にジャガイモが落ちてきたかのような衝撃を受けた」(『成功はゴミ箱の中に』p116)

【次ページ】50代での挑戦「リスクのないところに成功も幸福もない」

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