• 2007/01/12 掲載

【小田嶋隆氏インタビュー】テレビ断末魔の悲鳴を聞いているみたいですよね (2/2)

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文章のフォームが固まるのは善し悪し

――小田嶋さんといえばコラムですけど、最近は『人はなぜ学歴にこだわるのか。』(光文社知恵の森文庫)、『9条どうでしょう』(毎日新聞社)など長いものも増えてきてますね。

小田嶋氏■
長いものは苦労しますね。このあいだ10年ぶりくらいに講演を頼まれて90分しゃべったんですが、5枚くらいで話をまとめる頭ができあがっているから、しゃべると3分とか4分で終わっちゃうんです(笑)。長く書くのもワープロだからできることで、要素を挟んでいってゆるゆる延ばすというかたちでしか書けないんですよね。ここにあのエピソードを入れて寄り道してから話を戻すみたいな。

小田嶋隆氏
小田嶋隆氏
――初期の、それこそ『我が心はICにあらず』(光文社文庫)や『安全太郎の夜』(河出書房新社)の時点で、文体というかフォームが完成しているなあと思うんですが。

小田嶋氏■
そういうふうにしか書けないだけで、いろんな実験は随所随所でやっていたりするんだけど、結局やめちゃうんですよね。
よく「書くコツはありますか」って訊かれるんだけど、コツはあります。ここをこう叩けばこういうものが出てくるという方程式みたいな書き方ってじつはあるんだけど、でも、そういうコツを覚えると墓穴を掘ることになるんです。「あの人の書くものはいつも同じだ」ってことになりかねないから。だから、フォームが固まるのも善し悪しで、たまには豪快に空振りをしてみるのも大事なんですよ(笑)。


――80年代は「コラムニストの時代」なんていわれていましたけど、どんどん淘汰されていって、小田嶋さんは最後の数人のひとりになってしまった感がありますね。

小田嶋氏■
80年代には「新人類」とかヘンな括り方があったりしたせいでブームみたいに思われていたけれど、業界のパイが大きくなったかというと、そんなこともなかったんですよ。ちょっと面白いものを書く人がテレビに引っ張られる傾向があったから、知名度はあったかもしれないけど書いたもの自体はたいして売れていないんです。テレビで顔が売れると講演やシンポジウムへの出演依頼が来たりするので、そういうところで派生するおカネが大きかったということで、読者がついて本が売れていたわけではなかった。

むしろ、テレビに出て有名になったりすると、知名度が消費されていくんですよね。読者がイジワルになるから「もうこの人の書くものはいいや」という消費のされ方をする。私はそういう売れ方をしなかったけど、逆にいえば、それが細く長く生きるコツみたいなものですか(笑)。
だから、雑文を書いて食べていくことの大変さ自体は今も昔もあまり変わっていないと思うんですよ。上手に食べている人たちというのは、肩書きで講演やシンポジウムに呼ばれたり、何かの委員になったりしてそっちで稼いでいるわけで、売れ方自体も80年代と変わっていないし。

たとえば「経済ライター」とか名乗れば、肩書きから「経済のことをわかっている人だ」という類推が働く。すると、本当にわかっているかはともかく「経済評論家のオダジマさん」としていろんなところへ呼ばれる可能性が出てくる。そういうことですね(笑)。一時期、私が使っていた「テクニカルライター」という肩書きにしてもそうで、ヘンな仕事がけっこう発生していました。ヘンな消費のされ方もしましたけど。

テレビ標本箱
テレビ標本箱
――コラムニストに変えたのはそういう消費のされ方を避けるためだったんですか。

小田嶋氏■
そう、テクニカルライターがどんどん安くなるのが嫌だったんですよ。それから、コラムニストって、実入りはないけど品格はあるじゃないですか。「空間デザイナー」とか、品がないでしょ(笑)。


――エッセイストはどうですか?

小田嶋氏■
エッセイストはどうしても嫌でね、女優さんの副業みたいな感じがして。実際、日本エッセイスト・クラブ賞みたいなのを獲るのもたいてい女優さんだったりするから、それがどうも不愉快なんです。あとエッセイというと、対象より自分が主役みたいなニュアンスがあるでしょう、「私のヨーロッパ30日間」とか。だからこそ女優さんの副業になるんだけど。その点、コラムは、ずっと対象寄りで、だから、対象を料理する職人の意地が多少は反映する気がするんですね。


宣伝に毒されているメディア

――ネットの普及も関係しているんでしょうが、いわゆる「文章芸」みたいなものが求められなくなっている気がするんですよね、活字の側からも読者の側からも。

小田嶋氏■
雑誌自体が何かの宣伝媒体みたいになってきている感じはありますよね。いろんなものがあらゆる点で広告に毒されているというか。テレビが番組のような顔をして番宣しているのと同じで、われわれが書いている記事にしても、記事のように見せかけたパブリシティだったりすることがもうかなり横溢しちゃっているから、文章をひとつの芸として売るというのはもはや希有なことになっているのかもしれません。読者のほうにも、広告が読みやすくまとまっていればいい雑誌だっていう意識ができつつあるから、全部パブ記事みたいな雑誌のほうが歓迎されかねないですし。


――テレビに劣らず、出版の話をしていると暗澹たる気分になってきますが(笑)、気を取り直して、今後のご予定はどんな感じですか。

小田嶋氏■
スポーツ・コラムをまとめる話が動いていますが(『サッカーの上の雲』駒草出版、2007年1月下旬発売予定)、それくらいで、あとはぜんぜんないですねえ。「コラムニストという仕事をあとどれくらいできるだろう」って考えたりはしますけどね(笑)。コラムの扱われ方も粗末だけど、職業欄に「コラムニスト」と書いたときの世間からの扱われ方も酷いですから。

かつては青木雨彦のようなオピニオンリーダー的コラムニストがいて、私は彼の書いたものが立派だとは別に思いませんけど、ああいうふうに尊敬される人がいた時代にはコラムニストの地位というものがまだあったと思うんですよ。
アメリカには何人か有名なコラムニストがいますけど、そもそもコラムの意味が日本とはぜんぜん違いますからね。50くらい地方新聞があって、そこに寄せたコラムが評価されると大新聞に転載されたりして、ひとつのコラムが数十回とか売れたりするんですね。コラムというのはそういうものらしい。

日本の場合は、ジャーナリズムとはまったく無縁だから、引退した女優が書くエッセイとか、老齢の小説家が手すさびに書く随筆なんかと実質的には区別がない。しかも、ケほども面白くない作家のコラムがなぜ載っているかというと、雑誌や新聞がその作家とのつきあいを維持するためだったりするわけです。日本のコラムというのは、そのヒモをつけとくための営業窓口みたいな位置づけなんですね。そういうことを考えると、なんかこの商売もピンと来ないなというか、不思議な諦めにも似たものがちょっとありますね。

(執筆・構成:栗原裕一郎)


●小田嶋隆(おだじま・たかし)
コラムニスト。毒を含んだ軽妙な文章は、多くのファンを持っている。
著書は、『テレビ評本箱』(中公新書ラクレ)、『人はなぜ学歴にこだわるのか。』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『かくかく私価時価』(ビーエヌエヌ新社)など多数。最新刊は、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)。
公式サイト:「おだじまん」
http://luna.wanet.ne.jp/~odajima/
「週刊ビジスタニュース」でも月イチ連載中!


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