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- 2019/08/07 掲載
元日銀FinTechセンター長に聞く、“世界最先端だった”日本の金融が乗り遅れたワケ
FinTech Journal創刊記念インタビュー
世界でも先進的なITを導入していた日本の金融業界
金融業界というのは、そもそもテクノロジーを駆使してきた業種です。そのうち銀行は、1968年に今の全銀ネットの前身である全国地方銀行協会データ通信システムを構築しました。銀行を超えた送金を全国ネットワークで実現したというのは世界でも初めてで、日本の銀行業界というのは、世界でも最も先進的な技術を導入していたのです。
米国にはそうした仕組みはないので、ある銀行から別の銀行にお金を送るというのは結構な手間がかかり、一部ではいまだに小切手が残っていたりします。さすがに今はP2Pペイメントがかなり進んでいますが、それでも当時は日本のほうがはるかに進んでいたのです。
銀行ではまた、1980年代末、IBM製の最高性能のメインフレーム、その生産台数の実に半分が日本の13あった都市銀行のデータセンターに納入されました。
銀行の勘定系システムは非常に完成度の高いシステムです。ただ、よくよく考えてみると、銀行業の計算の中心は足し算引き算のはずです。金利があるので少しは掛け算もありますが、なぜそこにそんなスペックの高いコンピューターが要るのかと疑問に思われた方もいるかもしれません。
それは、データのアベイラビリティ(可用性)やセキュリティ(安全性)を極限まで追求したからです。そのため、1回のお金の引き落としにデータベースの書き換えが数十生じることとなり、高性能なコンピューターが必要になりました。
また、この時代は日本がバブル期にあり、金融機関は非常に儲かっていたのでそのような投資ができたという側面もありました。
こうした動きになっていたのは、金融業界に対する規制が厳しかったこともあります。店舗1つ出すにも大蔵省(当時)の許可が必要で、自由に投資できる部分はあまりありませんでした。
そのため、銀行業界の投資もややいびつな形でIT化が進んでしまいました。また、システム停止などを起こすと、マスコミも大きく取り上げます。役員や頭取が「このたびは弊行のシステムがトラブルを起こしまして、誠に申し訳ありませんでした」と頭を下げなくてはいけません。そのため、万が一のケースを考えて作りこんできたのです。通信の世界にたとえていえば、ベストエフォート型ではなく、ギャランティード型のサービスだけを提供してきたのです。
金融不況で資力が落ち、インターネット対応もためらい続けた
しかし、そのような投資は商用インターネットが出現する直前の1990年代初頭で減少してしまいます。原因はバブル崩壊に伴う金融危機です。銀行はIT投資どころではなくなってしまいました。また、商用インターネットの登場もあります。1990年半ばぐらいに出てきましたが、当初、銀行業界はこのテクノロジーに懐疑的でした。通信回線のスピードも遅かったですし、情報がどこに流れていくか分からないということで、“銀行員たるもの、インターネットなどを見てはいけない”というのが普通に語られていた時代でした。
しかし、インターネットはその後急速に進歩し、クラウドなどもどんどん進化しました。あるいはオープンソースのソフトウエアが普通に使われるようになって、この部屋にあるプロジェクターも、世界中の人々が同じスマートフォンも、オープンソースのOSをベースとして作られるようになりました。
そういう状況に世界が変化している中、かつてITを高度に活用していながら、それに対応できなかったのは金融業界だけという状態になったのです。
なぜできなかったかというと、やはりセキュリティでしょう。インターネットに接続することで新しい脅威を呼び起こすかもしれない。それは耐えがたいというので金融業界はインターネット対応をためらいました。
ただ、銀行、証券、保険で事情は微妙に異なります。銀行の場合、支店を全国的に広げていきましたが、全国のお客さまがすべてインターネットを利用するかというとそういうわけではありませんでした。
特に地方金融機関のお客さまは、インターネット利用率が非常に低く、全顧客の1%しか存在しないという場合もあって、残りの99%はどうしたらいいのかといったことはよく言われていました。資産を持っているのは主に高齢者で、最先端のイノベーションには対応しないとして昔ながらの銀行業務というのをやってきました。それがここ20年ぐらいの従来型銀行の状況ではないでしょうか。
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