- 2026/07/02 掲載
量子はビジネスにどう使える? 金融・創薬・製造領域「ユースケースの現状」(3/4)
金融:ポートフォリオ最適化から始まる実用化
以下では、前述したNEDOのユースケース集にも触れながら、分野別に実装に向けた取り組みの現状を見ていく。なお、ここで紹介するユースケースは、量子コンピューターと量子インスパイアード技術の両方を含めた、広義の量子コンピューティングの取り組みである点に留意されたい。最初の領域は金融である。馬場氏は、金融分野の取り組みを大きく2つに分けて整理する。
「まずはポートフォリオ最適化の分野です。銀行、保険、証券といった主体が取り組んでおり、実用化に近づいている分野と言えます。次に、金融商品の価格や信用リスクの予測などのシミュレーションの分野ですが、こちらはまだ中長期的な取り組みの段階というべきでしょう」(馬場氏)
ポートフォリオ最適化は、限られた資金を複数の資産にどう配分すれば最大のリターンが得られるかを問う計算問題である。資産の種類が増えれば組合せは爆発的に増加し(いわゆる「組合せ爆発」の状況)、古典コンピューターでは近似的解に頼る場面が増える。ここに量子コンピューターや量子インスパイアード技術を適用し、より精度の高い配分を見いだそうとする取り組みが、足元で実用化に近づいている。
一方、金融商品の価格やリスク予測は、モンテカルロシミュレーション(さまざまなリスクや想定を織り込み、より妥当な予測する手法)など大量の計算を要する領域であり、将来的には量子コンピューターによる高速化が期待されている。ただし、実務で明確な価値を出すには量子ハードウェアやアルゴリズムのさらなる成熟が前提となるため、現時点では中長期的な取り組みという位置づけだという。
また、馬場氏によれば、金融分野で先行するプレイヤーは興味深いことに、こうしたいわゆる“金融らしい”用途に留まらず、勤務シフトの最適化や広告配信の最適化といった、業界横断的な課題にも量子コンピューティングの適用を模索し始めているという。中長期視点を持つ主体ほど、量子の可能性を業務全般に広げて検証している、と馬場氏は指摘する。
創薬・材料:「ある日突然」のブレークスルーへの期待
創薬・材料開発は、量子コンピューターによる本格的なインパクトが期待される代表的な領域である。分子レベルのシミュレーションは量子力学そのものに直結するため、量子コンピューターの“本丸”とも言えるのだ。手塚氏は、この分野の研究最前線を次のように説明する。
「実務の現場に展開されるのはこれからという段階ですが、一部の研究領域では、古典コンピューターでは解けない規模の計算を量子コンピューターで実行している事例が出始めています」(手塚氏)
ポイントは、分子全体をシミュレートする必要はない、という気付きにあるという。
「タンパク質は非常に大きな分子ですが、化学反応に寄与する活性空間はそのごく一部に限られるケースがあります。このため、重要な要素だけをうまく取り出しながら、限られた計算資源で計算を行う研究が進んでいます」(手塚氏)
こうした計算手法の洗練により、計算に必要な量子リソースが数年前の予測の数十分の1にまで圧縮されているケースも出てきているという。
また、手塚氏は近年の創薬・材料でのアルゴリズム進歩に言及する。
実例として紹介するのが、窒素固定酵素の働きにおける重要物質である「FeMoco(フェモコ)」に関する量子化学計算だ。クリーン燃料として期待されるアンモニアを低消費エネルギーかつ低CO2排出の方法で量産する取り組みが進められており、FeMocoが関与する化学反応のシミュレーションがカギとなる。
そして、古典コンピューターでは計算困難なこのシミュレーションが、量子コンピューターによって現実的な時間で実行可能になるとされている。
「量子コンピューターのアルゴリズムの進歩は順調に進んでいます。これと並行してハードウェアも進歩していくことで、どこかでクロスポイントに至り、ある日突然、劇的なユースケースが登場する可能性も十分にあると見ています」(手塚氏)
もっとも、アルゴリズムの改善とハードウェアの進化が同時に進む現状では、両者が交差する“瞬間”がいつ訪れるかは予測しづらい。だからこそ、企業はそのクロスポイントをものにできるポジションを今のうちに確保しておく必要がある、という視点が出てくる。
製造・物流:工場内最適化で実用化が先行する理由
馬場氏は、製造業(特に組み立て系)の量子活用を2つに分けて整理する。1つは、R&Dの段階で行う車両設計やジェットエンジン設計におけるCAEやCFD(Computational Fluid Dynamics:数値流体力学)への活用だ。馬場氏によれば、これらは将来的な量子コンピューターの利用を見据えた取り組みが中心だという。
もう1つの生産段階での最適化は量子インスパイアード技術による実装が中心で、こちらは実用化に近いケースが続々と出てきているという。
「NEDOのユースケース集では、70~80件のケースを紹介していますが、実用化されているのは7~8件です。そして、そのほとんどが、量子インスパイアード技術を活用した物流・製造の最適化分野での取り組みです」(馬場氏)
なぜ製造・物流での実用化が先行しているのか。馬場氏は、まず日本企業の経験に目を向ける。
「製造・物流の分野では、日本企業は、わずかな改善が大きな経済的インパクトを生むことを体感的に分かっています」(馬場氏)
確かに、自動車メーカーによる生産プロセスの改善といったケースは、日本では非常になじみがあると言えよう。
さらに、生産段階での最適化の実用が先行する理由について、手塚氏は別の角度から説明する。
「たとえばルート最適化を一般道で実践しようとすると、工事や渋滞などの影響により、計算上の解が実世界の解と合致しない、という問題が起きます。しかし、工場内のように制約がある程度コントロールされている領域であれば、こうした外的影響を抑えることができ、価値が出やすい。実装をいろいろ進めていく中で、実益を得るための必要条件が見えてきています」(手塚氏)
量子コンピューティングは万能ではなく、適用環境の“制御しやすさ”が成否を分ける。公道のように予測不能な変数が多い環境よりも、工場のように条件が管理された環境のほうが、計算結果と現実の乖離が小さくなる。10年以上にわたる試行錯誤を通じて、この「使いどころの見極め」が現場に蓄積されてきた、ということだ。 【次ページ】AI:「量子で学習データを作る」新しい潮流
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