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  • 2023/08/04 掲載

「ニッポンスゴイ論」が最悪だった? 渋沢栄一の悪い予言が“的中しすぎ”と言える理由

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2024年7月に新紙幣が発行され、1万円札の肖像画が福沢諭吉から渋沢栄一に変わる。どちらも日本経済の立役者の1人だが、両氏が思い描いた近代日本の姿はいまだに実現していない。日本経済がより厳しい状況に追い込まれた今こそ、両氏が唱えた資本主義の意義について再認識する必要があるだろう。

執筆:経済評論家 加谷珪一

執筆:経済評論家 加谷珪一

加谷珪一(かや・けいいち) 経済評論家 1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。 野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)、『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス)、『新富裕層の研究-日本経済を変える新たな仕組み』(祥伝社新書)、『教養として身につけておきたい 戦争と経済の本質』(総合法令出版)などがある。

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2024年7月に新紙幣が発行され、1万円札の肖像画が福沢諭吉から渋沢栄一に変わる。彼らが唱え続けてきた資本主義の意義とは何だったのか
(写真:毎日新聞社/アフロ)

福沢諭吉と渋沢栄一は何を語っていたか?

 日本の紙幣は、約20年に一度のペースで変更される。紙幣の偽造を防ぐことが主な目的だが、デザイン変更はタンス預金をあぶり出すという効果もある。日本は諸外国に比べてGDP(国内総生産)に占める紙幣流通額の比率が高いという特徴があり、キャッシュレス化が進んだ現在でも紙幣に対する依存度が高い。流通紙幣の中でも1万円の比率が高く、多くの国民がタンス預金を行っていることが推察される。タンス預金が多いということは、国民の自国経済に対する信頼度が低いことの裏返しとも言える。

 新紙幣の肖像画には資本主義の父と言われる渋沢栄一が採用されることになった。福沢諭吉も渋沢栄一も日本の資本主義に多大な貢献をした人物であり、1万円札の肖像画にふさわしいと言えよう。

 一方で両氏は、日本の前近代的な社会風潮が、経済の発展に大きな制約条件になると当時から繰り返し警告していた。両氏が思い描いていた本格的な資本主義社会は日本ではまだ実現しておらず、それどころか先進国から転落の瀬戸際にある。

 では両氏は日本経済についてどのような主張をしていたのだろうか。

 福沢諭吉の名前はほとんどの人が知っているだろうが、福沢の著作をじっくりと読んだ人は少ないのではないだろうか。福沢は、日本の前金代的社会風潮が日本の資本主義の発展に大きな妨げになると考えており、旧態依然とした社会の改革を強く訴えていた。

 代表作である「学問のすすめ」を読むと、現在、日本の企業社会で指摘されている諸問題がそのままという印象であり、旧漢字や言葉使いの違いがなければ、つい最近、出版された書籍なのかと思ってしまうほどである。つまり福沢が指摘した諸問題というのは100年以上経過した今でも解決していないことになる。

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紙幣に採用されている福沢諭吉、新紙幣に採用された渋沢栄一。両氏が思い描いていた本格的な資本主義社会は日本ではまだ実現しておらず、それどころか先進国から転落の瀬戸際にある
(Photo/Shutterstock.com)

「学問のすすめ」の主張は現代日本に100%当てはまる

 福沢は、「人には各意思あり。意思は以て事を為すの志を立つべし」(『学問のすすめ』)とし、近代社会の運営において、自由意思というものがいかに大事なのか力説している。人間社会で起きる出来事に偶然というものはなく、良いことも悪いこともすべて人の意思が作り出すものであるとも述べており、その場の空気に流されて決断することを強く戒めている。

 その上で福沢は 「人たる者は他人の権義を妨げざれば、自由自在に己が身体を用るの理あり」(同書)として、他人の権利を侵害しない限り、すべての行動は自由であると強調するとともに、「我了簡を出すは宜しからず」(同書)という意見について強く否定している。これは少し分かりにくい文章だが、要するに「周囲に対して忖度すべきだ」という意見について「おかしい」と述べているのだ。つまり忖度が発生している社会というのは、遅れた前近代的社会であるという厳しい指摘である。

 福沢は別の章でも、自由意思が尊重されず、上下関係などの暴力的な関係性によって物事が決まる日本社会を強く批判している。「只管(ひたすら)目上の人の命に従て、かりそめにも自分の了簡を出さしめず、目上の人は大抵自分に覚えたる手心にて、よきやうに取計ひ、一国の政事も、一村の支配も、店の始末も、家の世帯も、上下心を一にして、恰も世の中の人間交際を親子の間柄の如くに為さんとする趣意なり」(同書)として、情緒的な関係性や意思決定が企業や自治体、さらには国政にまで及んでいると深く憂慮している。この話は、現代日本にも完璧にあてはまると言って良いだろう。

 「社員は家族だ」と言いながら、無制限のサービス残業を強要したり、愛情と称して教師が壮絶な暴力(体罰)を振るったりするケースはなくならず、政府は、いまだに「お願い」という形で国民に対する強制を行っている。東京オリンピックでは、国家のためと称して、一部の人間が自分に利益が転がり込んでくるよう恣意的に物事を決断していたことは記憶に新しい。

 「他人と他人との附合には情実を用ゆ可らず、必ず規則約束なる者を作り、互に之を守て厘毛の差を争ひ、双方共に却って円く治るものにて、此乃国法の起こりし由縁なり」(同書)という福沢の主張(情緒ではなくルールで社会を構築するというのが法の大原則である)はいまだに実現できていないことが分かる。 【次ページ】渋沢栄一が憂慮した日本の商習慣

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