- 2025/11/20 掲載
新潟・柏崎刈羽原発に行ってわかった「現場のリアルな苦労」と「再稼働しないリスク」(2/3)
【凸ってみた】原発に行ってわかった「現場の苦労」
この疑問を解き明かすことも含め、筆者は今年10月、新潟県にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所を訪れた。もちろん、自費で。日本海から吹き付ける風が肌寒いその日、広大な敷地に静かにたたずむ7つの巨大な原子炉建屋を目の当たりにした。
私たちが議論すべきは、漠然とした不安やイデオロギーではなく、物理法則と工学的現実である。そして、柏崎刈羽原子力発電所の現場を訪れたことで、机上の空論とはまったく異なる、極めて現実的なリスクと向き合い続けてきた歴史の重みを知ることになった。
その象徴が、2007年にこの地を襲った新潟県中越沖地震と2011年に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故だ。柏崎刈羽原子力発電所副所長の大東正樹氏は、これらの災害から得た教訓の重要性を、静かに、しかし揺るぎない口調で語る。
「福島第一原発の事故を受けて作られた新規制基準は、もちろん厳格なものでした。福島事故の教訓である電源の多様化や高台への移設ももちろん重要です。しかし、この発電所の安全性の根幹を成しているのは、中越沖地震や福島第一原子力発電所事故という現実の災害と対峙(たいじ)し、その現象を徹底的に分析し、災害対応を通して得られた教訓を踏まえ、安全強化に徹底して取り組んできた地道な努力の積み重ねなのです」(大東氏)
この言葉は、メディアや政治家たちによる「不安」「怖い」といった観念的な領域ではなく、現場の技術者たちが、現実世界でいかに真摯(しんし)に安全性を追求してきたかを物語っている。現場のこの地道な努力には、心からの敬意と称賛を送りたい。
原発稼働の是非より考えるべき「逆のリスク」
さて、我々は「原子力発電所を動かすリスク」について、この10年以上、飽きるほど議論を重ねてきた。しかし、その裏側に存在する、より巨大でより確実なリスクから目をそらしていないだろうか。そのリスクとはすなわち、「原子力発電所を動かさないリスク」である。
現代社会において、電力は水や空気と同じ、生命維持と文明活動に不可欠なインフラだ。特に、これからの日本の未来を左右する重要産業は、例外なく莫大な電力を消費する。AI革命を支えるデータセンター、国際競争の最前線にある半導体工場、そして脱炭素社会の切り札とされる電気自動車(EV)。
これらすべての成長戦略は、安定的で安価な電力供給という土台がなければ、すべて「絵に描いた餅」に終わる。夏の猛暑日に病院の空調が止まる事態を、冬の厳寒期に暖房が使えなくなる社会を想像してほしい。それは単なる不便ではない。文字通り、人の命を奪う国家的危機である。電力が止まることは、社会の血流が止まることに等しい。
エネルギー資源の9割以上を海外からの輸入に頼る日本にとって、準国産エネルギーである原子力は、この社会の血流を維持するための、いわば戦略的な心臓と言える。ロシアのウクライナ侵攻による天然ガス価格の暴騰、不安定化する中東情勢を背景とした原油価格の乱高下。私たちは、化石燃料に依存するエネルギー供給がいかに脆弱(ぜいじゃく)で、他国の都合に翻弄されるものであるかを、すでに痛いほど経験したはずだ。 【次ページ】原発稼働で生まれる「ある経済効果」とは
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