- 2026/09/25 06:50 掲載
【単独】事業承継に2度失敗も…大阪の町工場が「ヒット量産で売上2.3倍」にした大改革
連載:勝てる工場のつくり方~木村石鹸工業編~
東北大学大学院応用化学専攻修了。大手製造業を経て自治体に勤務し、大学での産学連携業務も経験。現在はビジネス分野を中心に取材・執筆。導入事例、記事広告、技術紹介、セミナー記事、SEO記事、法令解説記事などのほか、企業向けコンテンツ制作にも携わる。理系・技術職出身で、環境分野(脱炭素・廃棄物・水質)に強み。脱炭素アドバイザー(環境省認定)、公害防止管理者。著書に『ビジネス教養として知っておくべきカーボンニュートラル』(ソシム)。
2度の「事業承継に失敗」…100年企業に何が起きた?
大きな釜の前で、職人が石鹸の状態を確かめながら火加減を調整する。創業(1924年〈大正13〉年)から100年以上がたった今も変わらない、木村石鹸工業の日常の風景だ。一方で、若手社員が自由な発想で新商品を生み出し、明るく開放的な工場でものづくりに取り組む。伝統を守りながら、新たな挑戦も続ける。それが現在の同社の姿だ。生活協同組合向けなどのOEM(受託製造)を軸に事業基盤を築いてきた同社は、近年、自社ブランド事業も成長し、現在では両事業が売上の柱となっている。
しかし、その歩みは決して平坦ではなかった。戦時中には原料不足による一時廃業を経験し、近年には会社の将来を左右する2度の事業承継に直面した。当時、木村氏に家業を継ぐ意志はなく、社長だった父・幸夫氏は外部への承継を模索していた。
最初に経営を託したのは、長年現場をともに支えてきた工場長。しかし、現場をまとめる立場と経営を担う立場では求められる役割が異なり、経営は思うように軌道に乗らなかった。利益へのプレッシャーが強まるにつれ、現場の管理も厳しくなり、社員が納得しにくいルールも増えていったという。
「ミスが起きれば徹底的に追及し、『責任を取れ』と迫る。そうしたマネジメントが敷かれていたようです」(木村氏)
取引先から値下げや仕様変更を求められ、利益率は低下していった。社員から相談を受けたことをきっかけに、幸夫氏が再び経営の前面に立つことになる。
その後、外資系企業出身の経営者を社外から迎え、再び事業承継を試みた。能力評価制度など新たな仕組みを導入したものの、小さな町工場の風土にはなじまず、組織は思うようにまとまらなかった。営業利益も改善せず、幸夫氏が再び経営を担うこととなった。
しかし、幸夫氏自身も年齢などの理由もあって第一線で経営を続けることが難しくなっていた。「手伝ってほしい」。父のそのひと言が、木村氏に家業へ戻る決断を促した。
「3年で辞める」はずがなぜ社長に?
一方木村氏は、子どもの頃から幸夫氏に「お前がこの会社を継ぐんだ」と言われて育ってきた。そのことへの反発もあり、大学進学を機に地元を離れ、その後は在学中に仲間とITベンチャーを立ち上げた。家業とは異なる道を歩んでいたのだった。家業へ戻る決断も、あくまで一時的なもの。2度目の事業承継で社長に就いた外部経営者は、木村氏自身が父に紹介した人物でもある。その経緯もあり、父の頼みを断ることはできなかった。3年で会社を立て直したら、またIT業界へ戻るつもりだったという。
しかし、実際に働き始めると、その思いは少しずつ変わっていく。ITベンチャーでは顧客の商品やサービスを支援する立場だったが、同社では自ら商品を企画して市場へ送り出し、その反応まで見届けることができる。しかも、自分自身も日常的に使う製品だ。これまでとは異なるものづくりの面白さに、次第に引き込まれていった。
2015年に立ち上げた自社ブランド事業は、その思いをさらに強くした。メーカーとしての醍醐味を実感する中で、「3年だけ」という当初の考えは次第に薄れていった。そして入社から3年後の2016年、木村氏は経営者として腰を据える決断をする。
4代目が考える「同族経営の良さ」とは
同族経営で続いてきた木村石鹸工業。2度は同族以外の人に経営をゆだねようとしたが、最終的には木村氏が社長に就き、同族経営を維持している。木村氏は、同族経営の価値について次のように語る。「同族経営の良さは、先代がどんなことを大切にしてきたのかを身にしみて理解していることです。過去の事業承継がうまくいかなかったのは、社長という役割は引き継いでも、その哲学までは継承できなかったことではないでしょうか」
その哲学や大切にしてきたものは、人によって異なり、ときに非合理にすら映る。だからこそ、継承するには時間をかけて丁寧に伝え続けることが欠かせないのだろう。
そして、木村氏が社長に就いてから大きく変えたのが、2度の事業承継を経て根付いた「失敗を恐れる組織風土」だった。問題が起きた際の「取る責任」は会社が負い、社員には自ら決めたことに最後まで向き合う「果たす責任」を求める。さらに稟議書や開発依頼書を廃止し、社員が自ら判断し、自由に挑戦できる環境を整えた。
その結果、年間約10件だった新商品は50件超へ増え、開発着手件数は年間約300件にまで拡大。売上高も入社当時の約2.3倍となる17億4,000万円に達した。特徴的なのは、成功確率を高めること以上に「挑戦の総量」を増やしたことだ。実際、掃除機のホースを洗浄する商品の開発では試作品によって社内の掃除機を壊してしまったが、失敗を責めるのではなく、そこで得た技術を別の商品へと生かした。
最大のヒット商品となったヘアケアブランド「12/JU-NI」も、開発担当者がマーケティングを意識せず、約5年をかけて自分自身が理想とする商品を追求したものだった。市場ありきではなく、開発者自身の「つくりたい」を尊重し、失敗も次の挑戦につなげる。こうした組織改革が、ヒット商品を次々と生み出す土台となっている。
そして現在は、沖縄に研究拠点を設け、地域特有の植物を原料化する研究にも着手。将来的には栽培から手がけ、原料メーカーとして川上領域へ進出することも視野に入れる。創業100年を超えてなお新たな領域へ踏み出せる背景には、社員の挑戦を経営側が引き受けるという、木村氏が築いてきた文化があるのだ。 【次ページ】新商品数5倍・売上2.3倍にした「2つの組織改革」
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