- 2026/09/09 06:50 掲載
【単独】廃業予定から「売上10倍」…名古屋の100年和菓子店を救った「バズへの備え」
1993年早稲田大学第一文学部卒業後、ぎょうせい入社。地方行政をテーマとした月刊誌の編集者として、IT政策や産業振興、防災、技術開発、まちおこし、医療/福祉などのテーマを中心に携わる。2001年に日本能率協会マネジメントセンター入社。国際経済や生産技術、人材育成、電子政府・自治体などをテーマとした書籍やムックを企画・編集。2004年、IDG Japan入社。月刊「CIO Magazine」の編集者として、企業の経営とITとの連携を主眼に活動。リスクマネジメント、コンプライアンス、セキュリティ、クラウドコンピューティング等をテーマに、紙媒体とWeb、イベントを複合した企画を数多く展開。2007年より同誌副編集長。2010年8月、タマク設立、代表取締役に就任。エンタープライズIT、地方行政、企業経営、流通業、医療などを中心フィールドに、出版媒体やインターネット媒体等での執筆/編集/企画を行っている。
100年企業だが…「3代目で幕引き」思いを固める
元祖鯱もなか本店の創業は明治40年(1907年)。4代目の現社長(古田氏の妻・花恵氏)の曽祖父にあたる初代が現在の蟹江市から名古屋市へ出て、伏見にある御園座裏の御園通りで店を構えたのが始まりである。名古屋大空襲で全焼した後に現在の場所(名古屋市中区松原)へ移り、戦後はこの地で商いを続けてきた。店は家族代々、ごく小規模に営まれていた。先代は1980年(昭和55年)に事業を引き継いで以降、社員を持たず、製造はすべて先代が担い、袋詰めなどの軽作業をパートが手伝う。そうしたスタイルで一代を通してきた。
売上のピークは2005年の愛・地球博(2005年日本国際博覧会)。世界中から名古屋へ人が訪れたこともあって売上は拡大したが、この時期を境に、売上は少しずつ落ちていく。
そして先代も歳を重ね、後継者もいない。こうした中、先代は「自分の代で幕引き」という思いを固め、減っていく売上をそのまま受け入れるようになっていったという。
値段が付かない…無借金の老舗が直面した「M&Aの壁」
廃業が既定路線となる中でも、古田氏には別の思いがあった。無借金でそのまま畳むこともできる。だが110年を超える歴史をこのまま終わらせるのは惜しい──そう考え、M&Aを模索したのが2020年のことだった。「そのまま廃業すればいいという状態ではあったんです。ただ、それではもったいない。この100年の歴史、その“価値”を売れないかと考えました」(古田氏)
しかし、商工会議所が提携するM&A会社に決算書を見てもらうと、評価は厳しかった。無借金ではあったものの、わずかな赤字が積み重なり、決算上は債務超過となっていたためである。老舗の暖簾(のれん)に価値が付くのではという期待に反し、その点が評価されることはなかった。
「結局、値段が付かないということですよね。暖簾の価値があるんじゃないかと思ったんですけれど、そこには特に触れられませんでした」(古田氏)
M&Aという選択肢は、こうして早々に断たれたのだった。 【次ページ】4代目夫妻が決意した「再建への道」
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