• 2025/11/17 掲載

なぜ「日本の受験秀才」はAI時代に通用しない…教育が全然違う「米国との致命的な差」(2/3)

連載:野口悠紀雄のデジタルイノベーションの本質

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受験秀才こそ、真っ先に「AIに代替される」…

 しかしこの問題を見つける能力は、大学受験までの勉強では求められない。

 その結果、「問題を探し出す努力をせず、問題が与えられるのを待つ」という受動的な態度が一般的になる。そして、「与えられた問題に正しい答えを書く」受験秀才が過剰に高く評価される一方で、問題を見つける能力の高い人が過小評価されてしまっている。

 「問題を見つけること」の重要性は、AI時代にはさらに高まる。なぜなら、問題さえあれば答えはAIが出してくれるからだ。

 現在のAIは、まだ間違った答えを出すなどの問題を抱えているが、ここ数年で、驚くほど能力が向上した。今後、さらに進化することは間違いない。

 したがって、良い質問さえあれば、その答えはAIが導き出してくれるだろう。目的が正しく設定されれば、エージェントAIがそれを自動的に実行するようになるだろう。

 つまり、将来の世界で人間に求められるのは、与えられた問題に答えるよりも、問題そのものを探し出すことだ。

「AIに問題を探してもらう」が意外と難しいワケ

 もちろん、AIが問題そのものを探し出す可能性もある。11月3日の本欄で述べた「AIを用いた集合知の形成」はその例だ。ただしそのためには、企業の状況の詳細をAIに伝えなければならない。十分な情報がなければ、AIがどれだけ能力が高くとも、分析はできないからだ。

 しかし、企業のすべての情報を詳細に伝えるのは容易なことではない。そのため、「問題の発見」については人間が担う方が、人間とAIの分業体制として合理的だと言える。

 つまり、組織の場合でも問題発見は主に人間が行い、そこで見出された問題に対する答えをAIが見いだすという分業体制が確立されるのではないだろうか。

 人間が行うべきことは、「問題を探し出すこと」が中心になる。人間に求められるのは、与えられた問いに「正しい答え」を出す力よりも、「意味のある問い」を発見する知性だ。これこそが、本来の「学力」である。

 しかし、日本の教育課程では、そのような訓練が行われていない。試験でも、問題発見の能力は評価されない。日本での試験は、あらかじめ定められた問いに対して正解を導く力を問うものであり、創造的思考や問題発見力を測るものではない。

 そのため日本の学校教育は、「正解のある試験」に適応する人材を選抜しているだけで、創造的な人材の育成にはつながっていない。そして学生は、問題を探す能力が十分に訓練されないまま、社会に出てしまうことになる。 【次ページ】“米国型”学歴社会との「決定的な違い」
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