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- 2024/01/31 掲載
被災地に食料や水が届かない…個人・企業の独自支援が輸送を妨害し得る「思わぬ理由」
連載:「日本の物流現場から」
物流センターに支援物資があふれかえっていた…
東日本大震災発生当時、災害対策基本法で定められた指定公共機関として指名されていた運送会社は、日本通運だけだった。指定公共機関とは、防災行政上重要な役割を有するとして、内閣総理大臣によって指定された法人であり、物流については緊急物資輸送などの責務を負う(ちなみに、東日本大震災以降、福山通運、佐川急便、ヤマト運輸、西濃運輸が指定公共機関として追加指定されている)。東日本大震災が発生した2011年3月11日の午後11時ごろ、日本通運は、帰宅困難者(帰宅難民)の受け入れ施設に対する毛布の輸送依頼を東京都から受けた(注)。
だが当時は、大量の帰宅困難者が発生していたことにより、都内の道路は大渋滞していた。結果、オーダーは受けたものの、毛布を備蓄している防災倉庫にたどり着くことすらできず、最終的に輸送できたのは夜が明けてからだったという。
政府からの輸送依頼が最初に入ったのは、震災翌日(3月12日)午前4時46分。中部以西の山崎製パン工場から被災各地へのパン輸送であった。これを皮切りに日本通運は政府主導の緊急支援物資輸送の9割を担うこととなる。
当時の状況について、日本通運は興味深いデータを公開している(図1)。
これは宮城県内に設けられた1次集積拠点における、3月18日から31日までの支援物資の入出庫量をグラフ化したものである。本資料では、3月21日を除いて、全日で出庫量を入庫量が上回っている。
被災者は、「モノが足りない」と苦しんでいたのだが、支援物資を集積し、2次集積拠点や避難所へと支援物資を送り出す物流センター機能を担っていた1次集積拠点では、支援物資があふれかえっていたことになる。
物資を滞留させた「3つの反省」
まず留意すべきは、大規模災害発生時における緊急支援物資輸送は、複数の集積拠点を経由せざるを得ないということだ。現代のサプライチェーンでは、たとえば工場に物流センター機能を併設し、小売店への直送体制を実現するなど、中間通過施設を排除していく考え方が一般的である(※ただし、最近ではあえて物流センターを多層化する考え方も出てきている)。
だが緊急支援物資輸送においては、被災地や避難所ごとに異なる状況(被害の程度や避難者の人数など)・支援ニーズに応えていくため、複数の集積施設を経由せざるを得ないという事情がある。つまり、日常の物流プロセスよりも、より手間のかかる運営を行わざるを得ないのだ。
さらに災害発生時には以下のような課題が生じる。
- 緊急支援物資輸送を被災地・被災者側からコントロールする役割を担う市区町村らの職員も被災者であり、また役所等の施設や機能も被災・損傷しているため、十分な能力を発揮できないこと。
- 市区町村の職員は物流(支援物資の手配、荷役、仕分け、入出荷など)に関しては素人であること。
- 集積拠点の多くは、公共施設(体育館や文化ホール、公民館など)であり、物流倉庫に比べて、保管や仕分けなどのオペレーションを行う上での機能不足が否めないこと。
こういった事情に加えて、道路の寸断やトラックなどの燃料不足などが生じた。
東日本大震災における反省を踏まえ、政府が行う被災地・被災者支援にはさまざまな改善が行われた。その1つが、プッシュ型支援である。
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