AIではなく、なぜ量子?川崎市が公共施設予約の調整業務を「1カ月→1週間」にした方法
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川崎市が挑む「量子技術」の社会実装
こうした中、自治体を実証フィールドとして量子技術の社会実装に取り組んでいるのが川崎市である。同市は「量子イノベーションパーク」構想を掲げ、研究開発や人材育成に加え、市内全体を実証の場として活用することで、量子技術の社会実装を推進している。
同市 経済労働局 イノベーション推進部 担当係長の苗倉力氏は、「量子技術を将来の新たな産業の柱として育てていくことを目指しています。研究開発だけでなく、市内全体をフィールドとして社会実装を進めていくのが『量子イノベーションパーク』の考え方です」と話す。
経済労働局 イノベーション推進室 担当係長
苗倉力氏
具体的な取り組みの1つが、「令和7年度 量子実証 川崎モデル創出事業」だ。川崎市内を実証フィールドとして量子コンピューティング技術を活用した地域・行政課題解決の有効性を検証する。
実証事業の運営を担うのは、電気通信大学発のTLO(技術移転機関)として、産官学の広域的な連携のコーディネートを手掛けるキャンパスクリエイトであり、事業者の公募や採択後の調整、有識者のアサイン、広報活動などを担い、自治体と企業の橋渡し役を務めている。
そして、この枠組みの中で採択された事業の1つが、量子スタートアップQuanmatic(クオンマティク)による「公共屋内スポーツ施設の予約割り当て業務の最適化」である。
年間500件の調整に1カ月…公共施設の予約業務という“難題”
同市 市民文化局 市民スポーツ室 地域スポーツ振興担当係長の山城良太氏は、この業務の複雑な調整作業について次のように話す。
「屋内スポーツ施設の優先予約では、各団体から希望日程や希望施設を提出してもらい、それをもとに割り当てを行っています。年間でおよそ50団体、イベント数にすると500件ほどの調整が必要です」(山城氏)
市民文化局 市民スポーツ室 地域スポーツ振興担当係長
山城良太氏
対象施設は、市内各区のスポーツセンターなど9施設に及ぶ。多くの大会は土日に開催されるため、日程が重複するケースも多く、施設ごとに設備や規模が異なるため、単純に別の施設へ振り替えることが難しい場合もある。
これまでは、職員がこうした条件をすべて確認しながら、手作業で調整を行ってきた。近年はWebフォームでの申請に変わり、CSVデータとして出力できるようになったものの、最終的な割り当ての調整は依然として人手に頼っていた。
「各団体の希望を確認しながらカレンダーを作り、重複する部分を1つひとつ調整していきます。なるべくすべての希望をかなえられるように考えるのですが、どうしても重なってしまう場合もあります」(山城氏)
優先予約の調整にはおよそ1カ月の期間を要していた。さらに、複数の団体が同じ日程や施設を希望した場合、どの希望を優先するのかを判断しなければならない心理的な負担もあった。
こうした課題を解決するため、川崎市では数理最適化などの技術を活用できないか検討を進めていた。その過程で浮かび上がったのが、量子コンピューティング技術の活用可能性である。
各部局に対するヒアリングの中で、市民スポーツ室の業務課題が量子技術の実証テーマの候補として挙がった。その後、実証テーマの具体化を進めた結果、最終的にこのスポーツ施設予約割り当て業務の最適化がプロジェクト化されることとなったのだ。
AIではなく「量子×数理最適化」で解決したワケ
「業務課題を踏まえ、AIを使う方法も考えられました。AIは大量の過去データを学習して未来を予測するという点では非常に優れた技術ですが、今回のケースでは、庁内ルールや制約条件、団体の希望など、多くの条件を満たしながら最適な組み合わせを探索することが重要でした」(寺田氏)
CPO
寺田晃太朗氏
こうした問題は、「組み合わせ最適化問題」と呼ばれる数学的な問題であり、量子コンピューティングが得意とする分野の1つだ。
寺田氏は、「行政の業務では、公平性や説明性が非常に重要です。AIのようにブラックボックス的に結果が出てくる方法では、なぜその結果になったのか説明するのが難しい場合があります。一方、数理最適化のアプローチであれば、どのような条件のもとで計算された結果なのかを明確に示すことができます」と、量子コンピューティングを使って数理最適化を行う方針に決めた理由について話す。
同社は、「量子アニーリング」と呼ばれる量子コンピューティング技術と、従来の計算機を組み合わせた手法によって、この問題にアプローチした。
まず取り組んだのは、行政の業務ルールを数理モデルへと落とし込む作業である。各団体の第1希望、第2希望といった施設や日程の希望を「点」として表し、同時に成立できない条件を「線」で結ぶことで、問題を数学的な構造へと変換していく。
「今回の問題は、『最大独立集合問題』というよく知られた数理最適化問題に落とし込むことができます。たくさんの点があり、その中で互いに矛盾しない組み合わせを選びながら、全体として最も多くの希望を満たす解を探していくという考え方です」(寺田氏)
この取り組みにおいて求められたのが実務上の完成度である。研究としてのアルゴリズム開発にとどまらず、職員が日常業務で利用できるアプリケーションとして仕上げなければならない。
2025年9月のプロジェクト開始後、要件定義・プロトタイプ初版の作成を経て、12月ごろから川崎市の職員のフィードバックと反映の改善サイクルを重ねていった。最終的にアプリケーションはwebアプリとして提供され、予約希望のcsvデータをドラッグ&ドロップでアップロードして計算を実行することで、誰でも簡単に約1分で予約調整結果を得られるようになった。
調整結果の精度についても、アプリケーションの調整結果と職員による調整結果をいくつかの項目について数値的に比較し、良い結果が得られていることが確認できた。たとえば、第1希望の割当数は約15%改善、公平度(注1)は約38%改善している。
調整期間を約1カ月から1週間に短縮
山城氏は、「これまでは職員が手作業で調整していましたが、量子技術を使ったツールでは計算自体はすぐに終わりますので、本格導入した場合、データ整形作業を含めても1週間程度で完了する見込みです」と業務の変化について話す。
計算結果の精度についても、現場の職員から高い評価が得られたという。実証では、従来の方法で作成した想定表とツールの算出結果を比較したが、ほぼ同等の割り当て結果が得られた。
「事前に職員が作った想定表と結果を見比べてみたところ、ほとんど差がありませんでした。納得感のある結果が出ていると感じています」(山城氏)
一方、Quanmaticにとっても今回の実証は重要な成果となった。同社 VP of Strategic Business Developmentの山中祐治氏は、今回のプロジェクトの意義を次のように話す。
「今回の取り組みで大きかったのは、量子計算技術が行政の業務課題にも適用できる可能性を示せたことです。これまで最適化のユースケースは製造業や物流分野が中心でしたが、行政分野でも有効であることが見えてきました」(山中氏)
VP of Strategic Business Development
山中祐治氏
また、自治体の現場と密に連携しながらツールを開発した経験も、同社にとって大きな財産になったという。山中氏は、「最適化のアルゴリズムを作るだけでなく、現場の担当者の判断における思考プロセスを引き出すことが重要でした。行政の業務プロセスを理解しながらツールを作り込むことで、実務で使える仕組みに近づけることができたと思います」と語る。
本実証で得られた成果は調整期間の短縮による作業負荷の軽減や計算結果の精度向上にとどまらない。担当職員の暗黙知を整理・言語化して、それをアプリケーションとして実装することで、業務の属人化解消を実現した。さらに、数式に基づく自動計算により、市民への説明性・公平性を担保するとともに、希望が重複した場合に担当職員が判断を迫られることによって生じていた心理的負荷の軽減効果がみられた。
応用可能性はさまざま、「川崎モデル」が示す道筋
苗倉氏は、「量子技術の社会的な価値は、実際の活用事例が増えていくことで見えてきます。市内をフィールドにした実証を積み重ねながら、量子技術の社会実装を進めていきたいです」と今後の展望を語る。
量子コンピューティング技術はまだ発展途上の技術だが、今回のプロジェクトは現実の業務の中で実装できる可能性を示した。自治体の現場から生まれた「川崎モデル」は、量子技術の社会実装に向けた1つの道筋を示している。