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- 2025/09/02 掲載
なぜ東海道本線・京浜東北線は儲からない?売上爆増の最後の望みは…「ある港区の駅」
連載:小林拓矢の鉄道トレンド最前線
1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。「東洋経済オンライン」「ITmedia」「マイナビニュース」などに執筆。Yahoo!ニュースエキスパート。単著に『京急 最新の凄い話』(KAWADE夢文庫)、『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)など。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)などがある。
大都市の私鉄とJR「決定的」な違いとは
大都市の私鉄は、鉄道事業と沿線開発を組み合わせるというビジネスモデルを確立している。一方、JRはまずは鉄道事業が中心となっており、そこにさまざまな事業をどう組み合わせるかを長年試行錯誤してきた。その歩みは、国鉄由来の企業であり、そもそもは国営の事業として人や物をどう運ぶかを考え続けてきたJRという組織体にとって、大きな変化を分割民営化により強いられてきた歩みとも言える。
では、国鉄時代から営々と続けられてきた「人々の輸送をどれだけよいものにしていくか」という取り組みと、JRになってから注力されてきた「駅と沿線をどれだけ繁栄させるか」という取り組みは、東海道本線方面でどのように行われているのだろうか。
東海道本線が強いられてきた「重い負荷」とは
東海道本線は、五街道の1つ東海道の沿線にあり、そもそもこの路線は関東と関西とを結ぶ重要な路線であった。その路線網に、貨物列車や長距離の旅客列車だけではなく、地域の通勤利用の役割を果たさせるといういささか重い負担が強いられるという構造があった。戦前にはすでに、東海道本線と京浜線(現在の京浜東北線)という複々線ができ、緩急分離運転が実施された。横浜より北側のエリアでは、通勤客メインの駅を京浜線が担い、長距離輸送の列車が使用する駅を東海道本線が担った。
かつては、長距離列車は客車中心であり、特急のみならず普通列車でも東京駅からの列車は小田原や熱海どころか大阪やさらにその先まで行っていた時代があった。東海道新幹線開業前の東京駅は始発から終電まで長距離の特急・急行列車と東海道本線の各駅停車が多く発車し、さらには横須賀線さえ東京~大船間で線路を共有していたという状況がある。京浜東北線はまだ現在のように大船まで向かわず、根岸線が大船まで開業したのは1973年4月である。
東海道新幹線が開業して東海道本線に昼行特急がいなくなり、急行も少しずつ減っていったものの、そのぶんを通勤客向けの列車に割り当てた。一方で夜行列車が多くあったので、夕方から夜には列車を増発することが困難だった。朝ラッシュ時には、夜行列車は通勤時間帯のピーク時に到着しないようにダイヤが設定されていた。 【次ページ】東海道と「輸送」の切っても切れない関係
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