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  • 【芹沢一也氏・荻上チキ氏インタビュー】“アカデミック・ジャーナリズム”で現在に切り込む「シノドス」

  • 2009/12/21

【芹沢一也氏・荻上チキ氏インタビュー】“アカデミック・ジャーナリズム”で現在に切り込む「シノドス」

日本社会を多角的に検討する知の交流スペース「シノドス」が法人化をした。書籍、イベント、メールマガジンなど複数の場で旺盛に活動する「シノドス」が現在の日本の状況をどう読み、そして今後何をしようとしているのか。「シノドス」の芹沢一也氏と荻上チキ氏にお話をうかがった。


シノドスとは何か?

――まず「シノドス」とは一体何なのか。活動は多岐に渡っていますが、端的にはどう理解すればよいのでしょう?

荻上氏■
一言で述べるのは難しいんですが、「コアコンピタンス(他社が真似できない力)は“アカデミック・ジャーナリズム”」と説明する機会が多いです。たとえばポール・クルーグマンやキャス・サンスティーンのような、一流の学者が平易な文章で、読者に対してアカウンタビリティ(説明責任)を果たすような機会がますます増えることを望んでいるわけです。

 しかし日本の現状では「専門知」と「世間知」の乖離が著しく、「評論」がその架け橋になかなかならない。そうした現状に苛立ちを表明していた山形浩生さんのような方が、海外の知性に文脈を与えて紹介しなおすという仕事を懸命になされてきた。たとえばそうした、専門知を出来る限りわかりやすく社会に広げる、そのための活動を支援するメディアを作ることが、現在のシノドスの活動になります。

【コラム】
芹沢一也氏
――いわゆる「知識人」の方々が展開してきた「私塾」のようなものの延長と考えてもよいのでしょうか?

荻上氏■
たしかにセミナーなどは活動の一部ではあります。一般的に、私塾を在野で立ち上げる人は、既存制度のオルタナティブを志向してのこと。そのモチベーションはさまざまで、たとえば現在の環境を前提とした上で、メインストリームに席がない人たちが「次は俺達だ」と勉強会のようなものを立ち上げていたり、もっと大きく「社会を変革する」という動機で私塾や結社を作ったり。

 後者のようなケースとしては、歴史上にも松下村塾や明六社のような事例があります。社会変動期において、独立した知識人や政治アクターの集う場所であると同時に、情報発信メディアを作っていた。

芹沢氏■私塾というよりも、明六社のような活動に近いかもしれません。また精神においてもシノドスは福沢的な性格をもっています。さきほど荻上さんからアカデミック・ジャーナリズムという言葉が出ましたが、その意味するところは「状況」への強いこだわりです。

 普遍的な理念のようなものを金科玉条にするのではなく、またその反対に機会主義的に現状に追随するのでもない。自分たちが身をおいている具体的な状況を正しく認識し、その上で何らかのアクションを起こすのに資するような言論ですね。そうした言論を複数の知識人や専門家が共同で生産し、さまざまなメディアによって社会に発信し、そして流通させていくことを目指しています。


「この人たちの本から読もう」という
名簿を作ること

荻上氏■現在でも松下政経塾というそれなりに影響を持った例もあれば、カルチャースクール的なものも、サークル的なものもある。それぞれ目的や効果の差はある。松下系の場合、政経塾から育った人材を政治の場に送るほか、PHP研究所という出版社やPHP総合研究所というシンクタンクなどを作って保守系の言論を盛り上げたりと、なかなかに多面的ですよね。そうした展開は見習いたいなと思う一方で、松下政経塾のモデルと異なる点も意識しなくてはならないと思っています。

――というと?

荻上氏■
というのも、まず松下幸之助という社会貢献に目覚めた人がいて、余剰にある私財を投じ、バックアップしていたからこそ運営できているというモデルなわけですね。言論自体で儲けて、言論の活性化にまわしている、というだけではない。

――パトロンありきである、と。

荻上氏■
ええ。言論がパトロンに寄生しなくては生き延びられないという構造は今も続いています。それはもちろんスポンサーだけでなく、出版社内でも稼いでいる部署のお金がいわゆる言論の部署を支えるパトロンのような役割を果たしていたとも思います。

 それがいけないとは思わない。しかし不況も続く現状で、パトロン自体がどんどん疲弊している。そんななか、パトロンへの「寄生」ならまだしも、なかにはボランティア状態で学生を酷使したりする「やりがいの搾取」に頼らないと持たないケースが多くある。リベラル・保守問わず、さまざまな媒体が「場」をなさなくなってきている。そうした状況で、「自給率の高い」言論を維持することのできるシステムを作りたいというニーズがあった。

芹沢氏■「言論の衰退」とよく言われますよね。それも単純な話で、お金が回っていない業界に優秀な人材がくるわけがない。それは衰退もするでしょう。けれども、そうなるとまっとうな言論が減っていくわけですから、社会にとっての損失はとても大きい。

荻上氏■今は、80年代のお金があった頃に育った論者にまだ書いてもらっている状態です。一方で、在野の場から出てくる書き手は少ないし、育ちにくい。だから、シノドスという場で、アカデミックな基盤を持つ論客をまず声がけさせていただいているんですね。言うなれば、「この人たちの本から読もう」という名簿を作る作業ですね。


法人化から見えてくるもの

――法人化することの強みとは?

荻上氏■
簡潔に言えば、個人単位ではできない仕事ができることでしょう。BtoBの仕事もしやすくなりますし、複数のプロジェクトを同時に走らせることもできます。再び松下幸之助の話になりますが、社会を動かすためには、技術革新や経済的ベースはもちろんのこと、ロビイングも、コネクション作りも、人材育成も、制度設計も、メディア啓発も、そのための資金繰りも、いずれも必要になる。彼はそのことを踏まえた上で、「使えるツールをいくら使ってもいいから、国民を幸せにする」ことに私財を投げ打った。もちろん松下と僕は政治的スタンスが異なりますけど、その理念自体には大変共感するんです。

芹沢氏■言論人やメディアの人間は、正しいことを言えばただそれだけでことが済むような、そういう態度をとりがちですよね。だけど、当たり前のことだけれども、言論を可能にしているのは社会の諸制度なわけですから、ぼくらが目指す言論活動を成り立たせるためには、それこそ事業計画やキャッシュフローの作成からはじまって、もはや個人では対応しきれない仕事がたくさんでてきます。

荻上氏■もちろん「言論」という武器でできることはすべてやる。だけれども、それ以外にもできることは全部やる、と掲げるためには、言論人としての「芹沢一也」「荻上チキ」という個人の人格だけではダメで。法人格があってはじめて可能な仕事もたくさんあるんあるからです。

 今はメディア育成に力を注いでいますが、サステナビリティが確保されたら――今は公開できないのが残念なんですが――具体的な貢献プロジェクトも行っていく予定です。自己言及になるけど、こうした状況論的な語りだけではやっぱり無価値ですから。

【コラム】
荻上チキ氏
――そうしたことをこれまでの思想系の「言論人」がやってこなかったのはなぜでしょう?

荻上氏■
嫌な質問ですね(笑)。もちろん、試みてきた人は多くいますよ。ただ、「大きな絵」を求める一方で「営業力がない」……というと身も蓋もないのですが、実際、評論世界の「偉い人」って、社会人経験が皆無で、びっくりするぐらい非常識な行動を取る人も多いのは確かです。あと、プラグマティックなことから社会を変えるって、実際に可視化できる効果って小さくてしょぼく見えるため、それほど格好良くはないんですよね。

 たとえば僕は、ネット系の本を何冊か出したおかげで、教育系や放送系の会議に出席することもしばしばあるんですけど、そこで行う作業って、細かなチューニングをするエンジニアリング作業です。対して「評論」というのは、あくまで一番上に立っている「総監督」だ、みたいな認識が強い気がする。

芹沢氏■世界の真理みたいなことは言うのだけど、足元の現実を変えることには本当に無頓着だし、無力ですね、思想系の言論人は。システムや権力を批判するならば、それを変えるための具体的な方法論をもっと考えるべきだと思うのですが。

荻上氏■加えて、特に左派系の人に多いんですが、なんとなく金儲けを嫌がる。でもそれだとプロジェクトは何も進まない。お金がないと誰も幸せにできない。

芹沢氏■言論とお金の関係については左派は変に潔癖ですよね。でもお金って、結局は三か所からしか持ってこられないんです。共同体か市場か、それとも国家か。国家だと受給資格の問題が出るし、また悪しきパターナリズムが生じたりする。では国家から自由な共同体がいいかといえば、そこではメンバーシップと排除の問題だったり、さきほど荻上さんが指摘した「やりがいの搾取」が横行していたりする。結局、市場が一番ニュートラルなのではないでしょうか。

荻上氏■もちろん、アカデミック・ジャーナリズムの輪に参加してくれる人たちというのは、基本はアカデミックな人で、それはつまり国にお金をもらっているわけですが、それでも「ギャラ度外視でいいから声かけてよ」と言ってくださる方もいる。それは嬉しいことだし、「アカデミアに籍を置きつつ、廉価で社会還元する」というのは立派なことだと思います。そうじゃないと翻訳されなかった学術書とかもたくさんあるわけですからね、実際。

 でも企業としては、そこに甘えてばかりではいけない。個人の善意に持続可能性を求めるのは不安定ですし、究極的には、企業の役目は雇用の創出にあるはずですから。


シノドスが考える「現在」

――シノドスといえば、『PLANETS』とか『思想地図』『ロスジェネ』「文化系トークラジオLife」といったものとも並べられることが多いですが、その点についてはいかがでしょうか。

芹沢氏■
まず同時代の言論人として、大きな共通点があると思います。「これからの言論はメディア構築も含めて行わなくてはならない」という前提をもっていることですね。ただぼくらからみて違和感があるのは、アイデンティティをめぐる問いに拘泥しているようにみえることです。明確にテーマとして掲げているメディアもあれば、言論活動を通してアイデンティティ・ゲームを、つまりは論壇の立ち位置ですね、そうした立ち位置をめぐるゲームを展開している人たちもいる。シノドスにはそうした側面はほとんどないと思います。

――たしかに、シノドスは自意識の匂いがしませんよね。

芹沢氏■
ぼくらが必要とし、また模索しているのは具体的な方法論ですからね。観念的に自意識が肥大化する余地はないと思います。

――佐々木敦さんの『ニッポンの思想』(講談社現代新書)ではありませんが、ある種の批評ブームが来ているようにメディアで語られがちですよね。

荻上氏■
絶対そんなブーム起きてないですよ(笑)。

――(笑)。

荻上氏■
他媒体が何をしたいのかは、それぞれあるでしょう。僕個人としては、「基礎づけとしての哲学」は、役割がほぼ失効した、というか正確には、「想定していた機能を果たしていなかったということが露呈してきた」と思うんですね。たとえばこの20年ほど、『構造と力』(勁草書房)の現代版みたいなものはさっぱりでなかったけれど、一方で『ヤバい経済学』(東洋経済新報社)的なものや、リベラリズムの理念を前提にしつつも、さらに具体的な実証と実践を添えるような議論の方がスリリングに響いていた。

――実効性の高い本が読まれていた印象はたしかにあります。

荻上氏■
そうした路線の逆コースは行きたくない、という気持ちはあります。たとえば、経済学の言葉を知らないで不況に立ち向かうと、不況は天災のようなものに映ります。「いつ通過するんだろう」といった具合に、解消するために何ができるのかもわからない。

 流言の歴史を見るまでもなく、人が情報不足やボキャブラリー不足になったときに、手近な石を掴んで、誰かをスケープゴートにし、リンチを引き起こしたり、自分を窮地に追いやったりしてしまうことがありますよね。だから、できる限り、流言的でなく実効的な言葉、概念、認知枠組、ボキャブラリーを共有していきたいと常々思うんです。本当に微力だと痛感しつつ、ですが。


自由国民社とシノドスとのコラボレーションにより、「メルマガ・現代用語の基礎知識」がスタート!

http://synodos.jp/collabo/yougo/index.html
 


(取材・構成:前田久

●芹沢一也(せりざわ・かずや)
1968年生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門は近代日本思想史、現代社会論。 犯罪や狂気をめぐる歴史と現代社会との関わりを思想史的、社会学的に読み解いている。 著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)、『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)、『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書)。浜井浩一との共著に『犯罪不安社会』(光文社新書)。編著に『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)。高桑和巳との共編著に『フーコーの後で』(慶應大学出版会)がある。

●荻上チキ
1981年、兵庫県生まれ。成城大学文芸学部卒業。東京大学大学院情報学環・学際情報学環修士課程修了。 テクスト論、メディア論を中心に、評論、編集、メディアプロデュースなどの活動を行う。社会学者・芹沢一也と共に株式会社シノドスを創立。メールマガジン「αシノドス」を創刊、編集長を務める。 著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社)、『ネットいじめ』(PHP新書)、共著に『バックラッシュ!』(上野千鶴子、宮台真司ほか、双風舎)、『革命待望!』(スガ秀実、橋本努ほか、ポプラ社)など、編著に『日本を変える知』(本田由紀、吉田徹ほか、光文社)など。

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