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2016年07月28日

孤立する中国が学ぶべきは、戦前日本の特異な「戦争観」だ

南シナ海やAIIBを巡る問題で、孤立化を深めている中国。その状況を見ると、戦前の日本の姿と重なると語るのが、テレビや雑誌などでコメンテーターとして活躍中の国際ジャーナリスト、松本利秋さんだ。トップの意思決定の矛盾や、情勢判断の誤り、問題の先送り、無責任体質といった現代の日本企業も抱える問題点を通して、当時の日本がどのように世界から孤立していったのかを、松本さんに解説いただいた。


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戦前日本の特異な「戦争観」とは


世界の常識と全く異なる日本の「特異」な戦争観

 欧米諸国は人間社会につきものである争いごとを、他人を徹底的にだまし、傷みつけることで解決してきた歴史を持つ。旧約聖書の戦闘にまつわる様々なエピソードがそれを裏付けている。

「男の子は皆殺し、男を知った女も殺せ」
「もし彼らを生かしておけば、その者はお前たちの目の棘(とげ)、脇腹の棘(いばら)となり、お前たちを悩ます結果となるから、皆殺しにしろ」


(いずれも旧約聖書「民数記」)

 これとまったく正反対に立つのが、微温的な世界で培われて来た日本人の戦争観である。例えば、平清盛は源氏との戦いに勝利した後、源頼朝らを助命したが、それが後になって平氏の滅亡に繋がることになる。

 関ヶ原の合戦のときも、あえて農繁期を避け、刈り取りが終わった後に開始された。農民たちは弁当持ちで合戦を観戦していたほどである。その様子が様々な文章として著され、詳細な戦闘記録として後世に残される結果となった。日本における戦闘とはこのような状態であった。

 だが、欧米社会は全く戦争観が異なる。日本人が持っている常識は、欧米では全く通用しない。そのことが太平洋戦争の時も根付いていなかったし、そして今もそうであろう。

 太平洋戦争に至る過程で日本は、「徹底的に敵を殲滅することを根底に据えた欧米諸国が持つ戦争観」と正面からぶつかることになる。実はその時、同盟を結んでいたドイツにも「重要部分」で騙され、日本はそのことにすら気づいていなかったのである。

ドイツに騙されながら三国同盟を結ぶ愚かな日本

 1940年9月27日に結ばれた日独伊三国同盟は、日本の運命を決定づけたエポック的な存在である。とりわけ、日本にとっては1939年にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦を始めていたドイツと同盟を結ぶことは、国際社会における日本の立ち位置を決定づけ、イギリス、フランス、そしてその背後には英仏と利害関係が一致しているアメリカとの対立を生む結果となるのは十分予想できていた。

 さらに言えば、1937年に結ばれた日独伊防共協定は対ソ連同盟を目指していたが、突如として独ソ不可侵条約が結ばれ、独ソは秘密裏に両国によるポーランドの分割を決め、ドイツは第二次世界大戦の切っ掛けをつくってしまったのだ。この独ソ不可侵条約で日本はドイツに騙されたことになる。

 当時の平沼内閣はこの事態を予測できず、この外交的大失敗の責任を取って総辞職してしまった。にもかかわらず、ヨーロッパで戦争に突入したドイツ、イタリアと同盟を結ぶのは辻褄が合わない。日本はまた突如としてドイツに裏切られ、三国同盟も破棄されて全く孤立化してしまう危険極まりない選択をしたことになる。

 事実、ヒトラーは1941年6月22日、ソ連に侵攻するバルバロッサ作戦開始直前にはアメリカにそのことを通告していたが、同盟国である日本には独ソ戦にに関することは全く知らせていなかったのである。

 ともあれ、ヨーロッパで戦争が拡大していく中で結ばれた三国同盟に、日本はどのようなメリットを想定していたのか。当時の日本は中国大陸で国民党政府軍と戦闘状態にあり、多大な戦費と兵員を費やしていた。

日中戦争の裏側で中国に協力したドイツとアメリカ

 中国に利権を拡大しようとしていたアメリカは日本敵視政策を採っており、秘密裏に「フライング・タイガー」と呼ばれる空軍部隊を置く空軍部隊を送り込んでいた。

 この部隊は米陸軍航空隊シェン・ノートを指揮官として創設され、構成員は米軍軍籍を一旦離れた軍人たちが民間人を装い、中国に渡り、米国製の戦闘機や爆撃機を使って日本軍に対抗していたのである。そればかりか、中国軍のマークを付けた爆撃機にアメリカ人が搭乗し、日本本土爆撃計画さえも本格的に検討されていたのだ。

 このような事態に対し、日本政府はドイツと手を結び、アメリカを牽制することで日中戦争を有利に処理しようとしていたのだ。ところが、中国に利権を拡大しようとしていたのはアメリカだけではなく、ドイツも強力に蒋介石を支援し、利権を拡大しようとしていたのである。

 実を言うと、実質的な敵対関係からすると日中戦争においてはアメリカよりも同盟国であるドイツの存在が大きかったのだ。

 第一次世界大戦終了後、ベルサイユ条約で再軍備が厳しく制限されていたドイツは、ソ連や南米で合弁会社を設立して軍需産業を発展させていた。一貫して資源の安定供給源を必要としていたドイツにとって中国は資源を輸入できるだけではなく、近代兵器を売りつけ、その近代兵器を使って戦術・戦略を組み立てる格好の国となっていた。

 日本軍と戦っていた中国は新兵器を実戦で実験できる戦場であり、兵器開発や軍組織の改良実験にはうってつけの条件が整っていたのだ。

 当時、ドイツからは軍事顧問団が中国に渡り、中国軍を徹底的なドイツ式の近代軍に仕立て挙げた。兵器はもとより、制服からヘルメット、分隊、小隊、中隊、大隊というように組織的行動が円滑にできるように編成し、行進や敬礼までドイツ式の軍隊になった。

 1932年1月に始まった第一次上海事変では、ドイツ軍事顧問団が指導した師団が参戦。その後、日本軍が熱河省に進出し、万里の長城付近で交戦した際には、ドイツ軍事顧問団長だったゲオルク・ヴェッツェル中将自ら中国軍を指揮している。

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『なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか──太平洋戦争に学ぶ失敗の本質』(松本利秋 著)
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 ドイツ軍事顧問の日本軍相手の戦闘で嚆矢とされるのが、1933年にナチスが政権を取るのとほぼ同時に上海に派遣され元陸軍参謀総長ハンス・フォン・ゼークトである。ヒトラーは挙国一致で戦争経済推進を政策に掲げ、軍需資源の確保、とりわけ中国で産出されるタングステンとアンチモンを重視したため、ドイツの対中国政策はより一層促進された。

 ゼークトはこれらの事情を背景に、経済・軍事に関して蒋介石の上級顧問となったのである。

 ゼークトは蒋介石にドイツ製の対戦車砲、モーゼル製の銃器、1号戦車などの装甲車両、さらにはヘンシェルHs123やユンカース、ハインケル、フォッケウルフなどの航空機をドイツから購入させ、航空機の一部は中国国内で組み立てている。これらの近代化は直後に起きた日中戦争で効果を発揮した。

【次ページ】国際情勢が読めずドイツ軍が支援した中国軍と戦った日本軍

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