- 2023/11/22 掲載
焦点:春闘への期待と不安、日本経済の「体温」回復へ 模索する中小企業
[東京 22日 ロイター] - 大手企業が7%程度の賃上げを相次ぎ表明する中、2024年の春闘に今年以上の成果を期待する声が官民で広がっている。物価を上回る賃金上昇は春闘だけで不確実とみる政府は、減税なども使って所得の下支えを図る構えだが、内需は力強さに欠け、賃金を上乗せする余力に乏しい企業も多い。日本経済が正常な「体温」を取り戻せるかどうかは、中小企業まで含めた持続的な賃上げが実現するかにかかっている。
<23年並みは実現>
24年春闘の開始を前にして、大手企業の一角からは早くも大幅な賃上げ方針が示されている。サントリーホールディングス(HD)は、ベースアップ(ベア)と定期昇給(定昇)を合わせて7%程度の賃上げを表明。明治安田生命保険は全国の内勤職員約1万人を対象に年収ベースで平均7%引き上げるほか、ビックカメラは係長職以下の正社員の基本給を7─16%引き上げる。
この賃上げの背景には、物価高への配慮、底堅い企業業績、海外との賃金格差、人手不足感の強まりなど複数の要因が指摘されている。
労働経済に詳しい法政大学大学院の山田久教授は、24年春闘も賃上げトレンドが維持され「今年と同等、場合によってはそれをやや上回る賃上げ率が見込める」と予想。第一生命経済研究所の新家義貴シニアエグゼクティブエコノミストも、24年の春闘の賃上げ率(厚生労働省ベース)を3.70%と予測するなど、23年(3.60%)並みの高い賃上げ率が実現するとみている。
<春闘だけでは不十分>
ただ、政府は春闘だけで賃金の伸びが物価上昇を上回る状態にもっていけるか不確実性が高いとし、6月のボーナス支給時期に合わせて所得税・住民税の定額減税を実施することで、国民の可処分所得を下支えする方針だ。
批判もある定額減税だが、政権幹部の一人は「所得の伸びが物価上昇を上回る状態を1回作らないと『成長と賃金の好循環』が回り始めない。これはやるべきだ」と意義を強調する。
このほど発表された7─9月期の実質国内総生産(GDP)速報値で個人消費や設備投資が力強さを欠き、この状態を放置すればデフレに後戻りしかねないとの危機感もある。
日本経済は長びくデフレのもと、人への投資や未来の成長につながる設備投資などが抑えられ、「低体温」状態から抜け出せなかった経緯がある。デフレから完全に脱却し、消費と投資が伴う「体温」の感じられる経済に移行することが政府の目標だ。
<「あなたの番です」>
政府はこのほど策定した総合経済対策の柱の1つに、地方、中堅・中小企業を含めた持続的な賃上げを掲げ、価格転嫁対策や省力化・省人化投資への支援などを盛り込んだ。ある政府関係者は「ここまでお膳立てしたのだから、中小企業にも是非賃上げしてもらいたい。経営者の方々には『あなたの番です』と言いたい」と、対策のメニューに自信を示す。
もっとも、財務状況やビジネス環境など中小企業の置かれている状況は様々だ。
「僕らの賃上げは人材流出を防ぐのが目的。いい人材をとりたい大企業の賃上げとはちょっと意味合いが違う」。こう話すのは、従業員113人を抱える日東精密工業(埼玉県寄居町)の近藤敬太社長。自動車部品の加工に用いる、ブローチと呼ばれる精密切削工具を手掛ける。
この分野では数少ない日本メーカーの一つだが、全体的な人手不足の中、社員の確保に苦慮しているという。若手が集まりにくい中、定年を65歳に引き上げ、さらに70歳まで再雇用している。
これまで新入社員の給料や既存社員の賃上げの原資は、相対的に給料の高い高齢社員の定年退職などで捻出していたが、こうなっては難しい。今年は適正な価格に見直さなければならないという空気のもとで価格交渉に応じた取引先も、来年・再来年と続けて価格改定してくれるかは不透明だ。近藤社長は、賃上げの原資を確保するには、売り上げを伸ばしていくしかないと思い定め、インドネシアなど東南アジアでの事業強化や各種金型関連の展開など次の手を打つ。
来年の賃上げについては「現実論として、できて今年と同等、定昇で2%前後だろう」と話す。
<ジョブ型の雇用人事制度を導入>
大型車両の重要保安部品や建機油圧装置部品など鋳造品の切削加工を手掛けている井上鉄工所(埼玉県上尾市)。40人弱の社員が働く同社では、井上裕子社長が今期(24年9月期)からジョブ型の雇用人事制度を導入した。
19年に父親から経営を引き継いだ井上社長は、社員の評価基準があいまいで、その時々の雰囲気で昇給や賞与が決まる状況に課題を感じてきたという。
22年9月期はベアと定昇で平均2.8%の賃上げを実施したが、23年9月期はさえない業績を踏まえて見送った。これには社員に意識改革の必要性を訴える意味合いも込めた。
井上社長はジョブ型の定着ついて、数年単位の取り組みになると覚悟している。「社員は家族のようなものなので根っこの部分では守ってあげたい。だけど今まで通りだと苦しくなっていく一方だから、自力で強くなる。政府がどうだとか、周りがこうだからとかじゃなく」。
<日本経済、再構築の契機>
埼玉県にある地方銀行、武蔵野銀行のシンクタンク、ぶぎん地域経済研究所(さいたま市)の吉竹章主任研究員は、原材料価格の上昇による価格転嫁は取引先にも説明しやすいが、「電力料金や賃金が上がったから値上げさせてくれという要請はなかなか通らない」と指摘。人手不足の中、現在の従業員を手放すわけにもいかず、「賃上げもやるにはやるが、身を削りながらやるというのが正直なところ」という。
各種コストが高騰し、人件費に割ける余力が残されていないケースがみられるなか、人手不足倒産の件数は増加するとの見方もある。帝国データバンクの調査によると、23年の人手不足倒産の件数は累計で206件に上り、10月時点ですでに年間ベースの過去最多を更新している。
さらに、日銀が異次元緩和政策を修正して「金利のある世界」に向かえば、銀行からの借り入れコストが上昇し、財務が脆弱な中小・零細企業の倒産リスクも高まる。
井上鉄工所の井上社長は、人手不足感が強い現状を踏まえれば、企業が廃業しても従業員は他の会社にポジションを得るチャンスがあると指摘。「出血」を最小限に抑えつつ弱い企業が退出し、日本経済が強い構造に再構築されていく契機になり得るとみている。「それは良いことか悪いことか分からない。でも、やっぱり私は散り散りばらばらになりたくないので、生き残っていけるようにみんなで頑張りたい」と前を向く。
(杉山健太郎、梶本哲史 編集:石田仁志)
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