• 2022/01/09 掲載

橋爪 大三郎氏と佐藤 優氏が語る、文明とは何か?世界のすみ分けができた時代を探る(2/2)

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陸の文明と海の文明

橋爪氏:さて、農業を中心に話してきましたが、農耕地帯の周辺に、遊牧民がいます。降雨量が少なく、農業には適さないが、草は生えているあたりで、牛や羊やラクダを飼う人びとです。人口密度は低い。

 ステップ草原には、馬を飼う人びともいる。騎馬民族です。馬に乗る技術は、紀元前1000年ごろになって、やっと普及しました。

 遊牧民と農耕民は、まるで考え方や行動様式が違います。交易の相手でもあるが、争いの相手でもある。とりわけ騎馬民族は、しばしば盗賊や強盗団に変身します。何千騎もまとまって襲来すると、防ぎようがない。荒され放題になって、農民は、なんとかしてほしいと心底願います。

 騎馬民族にいちばん苦しめられたのが中国。メソポタミアやヨーロッパもときどきやられますが、中国は毎年です。そこで、統一政権を求める、強い動機がうまれます。

 統一政権は、政治的統一を果たし、農民を主体とする正規軍をつくる。必要なら騎馬民族の侵入を防ぐ城壁までこしらえてしまおう。大変なコストですが、農民はそれを負担する。農民の被害が、いかに大きかったかわかります。儒教は、統一政権を支えるイデオロギーを提供します。儒教は言う。学問ある有能な人間が、官僚となって政府を組織するのは正しい。農民が税金を払い、政府の命令に従うのは正しい。そのトップに、皇帝がいるのは正しい。彼らは古典を学び、その原則に従って政治をしなさい。要するに、いまの中国の原則は、3000年前にできているのです。

佐藤氏:なるほど。

橋爪氏:メソポタミアは奴隷制だった。奴隷は責任がありませんから、こういう考え方には必ずしもならない。インドは、北方が山で、ここまでの脅威はない。

佐藤氏:ここで出てくるのが中世イスラームを代表するアラブの歴史家、イブン・ハルドゥーンだと思いますが、ハルドゥーンは、人間の社会とは、強い連帯意識のある砂漠の文明と、高度な技術や文化のある都会の文明が随時交代し、循環しているものであると唱えましたね。

橋爪氏:遊牧民は、しばしば農耕地帯に侵入して、そこを統治します。定住すると、遊牧民の文化を忘れて軟弱になり、戦闘力が下がってしまう。すると新しい遊牧民に襲撃されてやられてしまう。イブン・ハルドゥーンが『歴史序説』でのべたのはこれです。科学的・合理的な説明です。

 でもこれは、中東でありがちなことでも、世界中で起こるのか、わからない。

佐藤氏:おそらく中国モデルとは違いますね。

橋爪氏:はい。でも中国でも、遊牧民族が征服王朝をつくって、新しい遊牧民族に悩まされることは、よくあります。

橋爪氏:ここで、交易について考えてみます。

 交易は、資源を移動させて、不均衡だった配分を均衡にし、人びとに利益を与える活動です。足りないものを持っていくので、足りなかったひとは喜びます。お返しがもらえるので、持ち出す側も喜びます。喜ぶ双方のなかだちをするのが、商人です。商人は仲介料を取れるから喜びます。ウインウインのゲームで、すばらしい。

 すばらしいけれど、高価な物資をもって移動していると、奪われてしまう。

佐藤氏:だいたいそうなりますよね。

橋爪氏:商人は集団で移動するんですけれど、盗賊も集団をつくります。どうやって安全を保障するか。一般に陸路は危険です。特に農業地帯は、どの土地にも住民がいますから、いちいち挨拶しなければならない。

佐藤氏:そうすると当然、課税をしてくる。

橋爪氏:帝国が、自由通行を保証してくれて、安い税金ですむならありがたいのです。帝国ができると商業が発展し、帝国が滅ぶと商業が衰退します。

 さて、砂漠があります。砂漠の特徴は、農業ができず、住民がいないことです。われわれから見ると、何の価値もない空き地です。でも商人にとっては、理想的です。ラクダさえあれば、物資を積んで、順調に移動できる。遊牧民は、砂漠を通商路として、大きな富をうることができます。この可能性を、いちばん積極的に追求したのが、イスラム教徒だと思います。

 イスラム教の利点、大きな政治的統合を実現できる。法律がひと通りに決まっている。ムハンマドは商人でしたから、イスラム法は、商売に便利なようにできているのです。そして乾燥地帯は、ユーラシア大陸の主要部分に拡がっています。すべての地域社会を、結びつけることができる。そこでイスラム文明は、出現してからおよそ1000年近くのあいだ、繁栄を謳歌しました。これがイスラムの原体験です。イスラムはすばらしくて、平和で、もうかるのです。

 ヨーロッパは大陸の端っこでしたから、こういうチャンスに恵まれない。イタリア人は地の利を活かして、イスラム教徒と商売をし、それなりに儲けました。コショウなどを輸入して、高値で売りさばく。ヨーロッパの富はイタリアに集まって、大理石の建物に化けてしまいました。地中海文明は、イスラム文明のおこぼれです。

佐藤氏:なるほど。

大航海時代を経ることで世界のすみ分けができた

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橋爪氏:そこで今度は、海路の話をします。

 イスラムは、陸路のほかに海路も開発して、インドやインドネシアと行き来しました。でもあまり、本気でなかった。

 そこで、それまで交易から締め出されていたヨーロッパの連中が、逆転の発想で、大航海時代に乗り出すわけです。

 海は砂漠と似ていて、住民がいません。誰にも断らなくても、船さえあれば、自由に移動できる。交易のやり放題です。ただし、外洋を航海できる船は、技術的にむずかしく、簡単に造れなかった。でもなんとか造って、スペイン人やポルトガル人ががんばって、航路を開いた。あとからオランダやフランスやイギリスも追随します。

 彼らはインドに向かったのですが、インドのつもりが、新大陸だった。新大陸は全部、キリスト教徒のものになりました。これがのちのち、キリスト教文明が大発展する起点になりました。そして、アメリカ合衆国もできた。

 アメリカ合衆国はなぜできたのか。

 キリスト教世界は、カトリックとプロテスタントに分裂し、仲が悪かった。プロテスタントもいくつもの教会に分かれ、仲がよいとは限らなかった。お前、出ていけ、みたいなことを言われ、新大陸の植民地に移住し、自分たちの社会をこしらえなければならないという動機があったのです。そんな動機を、中国人もインド人も、持っていない。イスラム教徒だって、本拠地で順調なのに、世界の果てに植民地をつくる動機がない。南米は大土地所有制で、現地住民や奴隷に働かせた。北米にアングロサクソンの新教徒が入植して、核家族の自作農の社会をつくったのが、画期的でした。

佐藤氏:なるほど。

橋爪氏:この大航海時代を経ることで、現在の世界の大体のすみ分けができたのです。

【後編に続く】
※本記事は『世界史の分岐点 激変する新世界秩序の読み方』を再構成したものです。本記事に興味を持たれた方はぜひ本屋などで手に取ってみてください。

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