• 2020/01/11 掲載

肺がんステージ4を宣告された僕が「死に直面して」教わったこと(2/2)

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目の前に危機が迫ったとき、人間が取る行動は2つだけ

 目の前に危機が迫ったとき、人間が取る行動は2つしかないと言われている。それは“逃げる”か“戦う”か。これは人類がまだ狩猟採取民族であった頃に作られた反応のパターンだと言われている。目の前に大型の肉食動物が現れた! さあ、どうする? これが僕たちの中でも脈々と生きている。

 「がん宣告」のような心理的な危機が訪れたときも同じように「逃げる」か「戦う」かという選択を無意識に行なう。「逃げる」という選択は、全てを医者任せ、病院任せにしてしまい、治療と正面から向き合わないということ。

 治療のことは知りたくない、怖いことは知りたくない、だから全て病院と医者に任せて、病気のことはなるべく考えないようにする、という選択。

 あるいは病院が勧める治療が全て正しいと思い(そのほうが安心だから)、本来ならできることをやらずに病院の治療のみにすがってしまう、依存してしまう。医者の言うことを鵜呑みにしてしまう。いいお医者さんもたくさんいることも事実だけれど、医者は神ではない。自分の命を全うさせられるのは、自分しかいない。

 肉食動物からは運よく逃げられたかもしれないが、がんは自分の身体の中にいるのだから、がんから逃げきることはできない。しかもそれがステージ4ならなおさらだ。僕は「戦う」サバイバルモードに突入した。僕の強固な自我(エゴ)が「絶対に生き残ってやる!」と拳を握りしめ、戦いを始めた。僕がもし「敵前逃亡」していたら、たぶん助からなかったと思う。

 今振り返って言えることは、事実を正面から受け止め、医者任せにしないで自分ができることを全部やる、そういう覚悟が僕を救ったのではないかと思う。医者が言うネガティブな予言めいたことは「絶対に受け入れない」くらいの気力は大切だと思う。それを受け入れてしまったら、きっとその通りになってしまうだろう。自分の命は自分が決める。なぜならば、人生の主人公は自分自身なんだから。

 僕は、どうやったらがんを消せるのか? とにかく人生でこんなに努力したことがない、というほど懸命に調べ、実践した。この期間が9カ月ほど続いた。体調が悪くなっていく中で、それは僕にとって厳しい戦いだった。しかし「この戦い、絶対に生き残ってやる」「この戦い、負けるわけにはいかない」「敗北は死を意味する」という強い自我(エゴ)があったからこそ、後述する「明け渡し」、「サレンダー」が劇的になったんだと思う。

 なぜなら、明け渡しとは手放すことだから、手放すべき自我(エゴ)が弱いと、明け渡しも弱くなってしまう。強い自我(エゴ)、強い執着、強いしがみつき、それを手放す。つまりそのギャップが大きければ大きいほど、明け渡し、サレンダーがどういうものかを強く体験できるんだと思う。

 だから僕は思う。『戦うときは、徹底的に戦え!』と。握りしめるときは『徹底的に握りしめろ!』と。

 自我(エゴ)の力で状況を好転させることができれば、それでよし。もしそれでもどうにもならなかったときに、次に明け渡し、サレンダーがやってくる、そう思う。危機に陥ったとき、まずは「逃げるな!」「戦え!」「できることは何でもやれ」「とことん、自分が納得するまでやってやってやり尽くせ!」ということ。

 しかし病気に関してはもう一つの選択肢があるということを、今の僕は知っている。それは『愛する』ということ。『がんが消えた』の著書で有名な寺山心一翁先生の口癖である「がんを愛するのです」という態度が、病気に対する最高・最強の態度である、と今では思う。

 しかし僕がこの領域に達したのは明け渡し、サレンダーの後だった。サバイバルモードの真っ只中ではなかなか「がんを愛する」ことは難しかったし、僕には恐怖の対象を愛することはできなかった。ゆえに、この領域に達するには、さまざまな内的冒険を経験する必要があるのではないかと思う。

「ポジティブ・シンキング」では越えられない壁

 ポジティブ・シンキングでは越えられない壁がある。しかし肺がんのステージ4という状況では「ポジティブ」に意識を持っていかなければ、あっという間に「ネガティブ」にのみ込まれてしまうことも事実だ。

 病気、しかもそれが「がん」ともなると、気持ちは落ち込む。このネガティブスパイラルに落ち込まないようにポジティブを意識することは、もちろん大事だし、対症療法としては必要なことだ。ネガティブに取り込まれて、アリ地獄のように地底深く引きずり込まれたら、浮上することはとても難しい。

 しかし「ポジティブ・シンキング」で全てが乗り越えられるかというと、そうではないと僕は思う。「ポジティブ・シンキング」は緊急避難アイテムだ。サバイバルモードのとき、僕は意識を常にポジティブに集中した。絶対に弱音は吐かない。「僕は治りますから」と誰にでも言い、自分にもそう言い聞かす。そうやって自分自身を洗脳しようとした。「僕は治る」ということだけを考え、「ダメかも」という声には一切耳を貸さないということをやっていた。

 当時僕に会った人は、自信満々の僕に出会っていたと思う。「僕は治ります」「僕は完治します」そればっかり言っていたし、自分もそのつもりでいた。しかし、ふとしたときに頭の中に鳴り響く「やっぱりダメかもよ」という死神の声。

 ポジティブを強く意識すればするほど、ネガティブも強くなる。ポジティブとネガティブは同じエネルギーの両端。僕は強くポジティブを意識した。すると同じくらい強いネガティブがふとしたときに襲ってくる。僕はポジティブとネガティブの間をグラグラ動くヤジロベエのようだった。

 これは「思考」と「感情」の乖離という視点でも捉えることができる。僕の思考は常に「僕は治る」「がんは治る」と考えていたし、その方法を調べ、計画を立て、実践していた。しかし「感情」のほうはどうだったかというと、「本当にこれで治るんだろうか」「本当に助かるんだろうか」「いや、無理なんじゃない?」「やっぱりダメなんじゃない?」「3か月後は生きてないかも」と感じていた。

 脳の中では「思考」と「感情」を扱う部分が違う。それぞれの脳細胞が違う電気信号を発信し、頭の中が大混乱の状態だった。これは顕在意識と潜在意識という側面でも同じことが言えると思う。顕在意識とは、自分が意識で気づいている〝思考〟や〝感情〟のことで、潜在意識とは、顕在意識のもっと深くに存在する意識のこと、無意識と呼ばれることもある。

 僕は顕在意識では常に「僕は治る」と意識していた。しかし、身体の痛みや体調不良、あるいは細胞に刻み込まれた感情によって、潜在意識では「やっぱりダメかも」という感覚を持っていた。顕在意識を保っていることのできる時間は限りなく短いと言われているので、必然的に潜在意識の時間のほうが遥かに長くなる。

 僕はほとんどの時間を恐怖の中で過ごし、はっと気づいて「いやいや、僕は絶対に治るんだ」(顕在意識)とポジティブに持っていく、ということを延々と繰り返していた。これでは疲れるわけだ。

 自分の意識を常に客観視してコントロールするなんてことは、禅の達人でもなかなかできることではないし、ましてや普通の人間である僕など、まず無理だ。僕には顕在意識を保ち続けることは不可能だった。

 「ポジティブ」の裏側には同じだけの「ネガティブ」が存在する。また、思考と感情の乖離や、顕在意識と潜在意識の関係性などから考えても、いわゆる「ポジティブ」な側面しか意識しないような「ポジティブ・シンキング」は、「ネガティブ」を大きく育てたり潜在意識に押し込んだりして、振り子の振れ幅が大きくなるので、逆に危険な状態になる可能性があると思う。

 「ポジティブ」と「ネガティブ」は同じエネルギーの両端でしかないこと、思考で感情をコントロールすることはとても難しいこと、顕在意識を常に保ち「ネガティブ」の潜在意識を抑え込んで「ポジティブ」を意識し続けることは、ほぼ不可能であることを考えると、次の新しい次元は「ポジティブ・シンキング」を越えた先にあると思う。その新しい次元へつながっている扉が、明け渡し、サレンダーだと僕は思う。

「自分ではどうすることもできない」に直面して見えてきたこと

 がんが脳にまで転移し、緊急入院を提案された後、待合室の天井を見上げながら感じたことは、不思議なことに絶望ではなく解放だった。まるで空間・次元が変わったかのように世界が軽くなった。

 『自分では、もうどうすることもできない、何もできない』という状況に直面したことで、自分が今まで握りしめてきた『自分の力で絶対になんとかしてやる』という思いを手放すことができたんだと思う。

 僕はこのとき、今までの自分自身を、しがみついていた自我(エゴ)を手放すことができたんだと思う。これを明け渡し(サレンダー)と呼ぶ人もいる。明け渡しを辞書で調べると「建物や土地を立ち退いて、他人の手に渡すこと」と出ているが、もちろん、僕の体験した明け渡しはこれとは全く違う。サレンダーも辞書で調べると「(軍事的に)降伏する、(感情などに)ゆだねる、身を任せる」と出ている。僕がイメージしている明け渡しは、どちらかというとこちらに近いと思う。

 僕の感覚だと、身を任せる・ゆだねるのは〝感情〟ではなく、自分よりももっと〝大きな存在〟。古来、神、大いなる存在、ハイアーセルフ、サムシング・グレート、空、TAO(道)などと呼ばれてきたものにゆだねるという感覚が、一番近い。

 頑固者の僕はとても強い自我(エゴ)で生きてきた。自我(エゴ)が強かったため、たいていのことは自我(エゴ)で苦しみながらもなんとか乗り切ってきた。肺がんステージ4の宣告を受けてからも、今までと同じように自我(エゴ)で生き残ろうとして、サバイバルモードに突入した。

 そして、やってやって、できること、やれることを全てやり尽くして跳ね返されたとき、自我(エゴ)ではどうにもならない、ということに気づかされた。いや、気づかざるを得なかった。徹底的に抵抗し尽くしたからこそ、徹底的に叩き潰された。まだ他のやり方があるとか、あれを試していなかった、などの言い訳や逃げ道が全くなくなったからこそ、僕の強固でしつこい自我(エゴ)が完全に白旗を掲げた。この明け渡し(サレンダー)を境に、僕はがんの苦しみから解放され、その後、運にも助けられ、病状は快復へと向かう。

 僕ほど自我(エゴ)の強くない人は、もっと早い段階で明け渡し(サレンダー)が起きるかもしれないけれど、そのタイミングは人それぞれだと思う。

 紙面の都合で限られるが、以上は僕が生還をたどってきた道の1つだ。本誌の読者にはまだまだ働き盛りの人も多くいることだろう。これはあくまで僕が自身の経験から得た知見だが、がんという多くの人が対峙する病気に対して、何かしら皆さんのお役に立てると幸いだ。さらに興味を持っていただいたという方はぜひ拙著『僕は、死なない』を手に取っていただきたい。

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