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  • 2022/01/10 掲載

歴史と物語は何が違うのか? 私が教科書作りから離れた理由

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学校で習う「日本史」のイメージは、いわゆる“暗記科目”の一つではないでしょうか。そこで、『歴史をなぜ学ぶのか』を上梓した東大教授・本郷和人氏は、高校で使う日本史の教科書を執筆する際に「物語性」を重要視したといいます。歴史を学ぶ上で意識したい、歴史と物語の違いとは一体何でしょうか。

執筆:本郷 和人

執筆:本郷 和人

1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専攻は日本中世政治史、古文書学。『大日本史料』の編纂に携わる。主な著書に『中世朝廷訴訟の研究』(東京大学出版会)、『新・中世王権論』(文藝春秋)、『天皇はなぜ生き残ったか』(新潮社)、『日本史のツボ』(文藝春秋)、『壬申の乱と関ヶ原の戦い』(祥伝社)、『軍事の日本史』(朝日新聞出版)、『北条氏の時代』(文藝春秋)などがある。

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「歴史」のイメージ

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『歴史をなぜ学ぶのか』
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 歴史、とりわけ日本史というと読者の皆さんはどんなイメージを持たれているでしょうか。学生時代に「鳴くよウグイス平安京」「いい国作ろう鎌倉幕府」とか、語呂合わせで暗記させられた方が大半なのではないかなと思います。

 日本史という教科はあまり面白くないという声は少なくありません。そんな方の多くは、学生の頃に暗記ばかりさせられてつまらなかったという体験が記憶に刻み込まれているのではないかと、私は推察しています。

 というのも、私自身、高校で使う日本史の教科書を作る経験をしたことがありました。少なからず、当時の教科書に不満を持っていた私は、自分なりに理想と思える教科書を作ろうと考えていました。

 歴史的事実には原因があり結果があるはずですが、日本史の教科書と呼ばれるものの多くは、因果の関係を無視して、○○年に○○が起きたとか、○○年に○○が将軍に即位した、とか、事実だけを羅列する傾向にありました。

 私はそこで、「物語性」というものに注目することにしました。

 この「物語」というのは、実は歴史学者にとっては厄介な問題です。

 歴史学者が歴史を研究するとき、参照し読み解くのは、「史料」と呼ばれる、資料群です。これらは普通、当時の人間が記した日記や書状、行政文書などが含まれます。

 他方、後世になって編纂・製作された軍記物などは、史実を題材にしながらも作者による想像を織り交ぜ、読み物として面白く脚色がされています。

 つまり、軍記物は「物語」です。

 そうなると、おのずと物語とは果たして歴史なのか、という疑問が湧いてきます。

 それは皇国史観のような「歴史観」とも大きく関わっています。

 物語というのものは、実証的な科学としての歴史学とは一線を画すものである一方、物事の因果関係や歴史の流れをつかみ、歴史のダイナミズムと面白さを体感することができるという「強み」もあります。

歴史と物語の違い

 歴史、特に日本史の成り立ちから説明しますと、江戸時代に入って寺子屋などでは「読み書き算盤」を教えたようにある程度の教養が広まってくると、次第に「日本の歴史」を学ばなければならないという機運が高まり始めました。

 人は読み書き算盤を身につけた後、つまり、その日を生きるための糧となる知識を身につけた後、いったい何に興味関心を持つでしょうか。

 私は「私とは何か」「私たちとは何か」というようなアイデンティティの問題に至るのではないかと考えています。

 一九世紀フランスで活躍した画家ゴーギャンは、タヒチに移住し、当時、「未開社会」と呼ばれたような現地の人々と交わるなかで、《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という大作を描きました。まさにこの絵のタイトルにあるように、江戸時代の人々は、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、という、自分たちの来し方行く末を語るようになっていきます。

 こうしたなかで、台頭してきたのが「国学」でした。日本では、平安時代の昔から伝統的に「歴史」とは中国の歴史を指していました。そのため、江戸時代の知識人は中国の歴史書をよく読んでおり、織田信長ら戦国武将たちも『孫子』や『韓非子(かんぴし)』などに親しんでいたようです。江戸時代の武士の教育も論語を読むことが重視されていました。

 しかし、国学が成立すると、本居宣長ら国学者によって、日本神話などが復元され、中国の歴史だけでなく、日本の歴史にスポットが当てられるようになったのです。

 当時の知識人たちが好んで参照したのは、『平家物語』や『太平記』といった軍記物でした。今日からすれば「物語」と呼びうるものでしたが、それらを読んで「歴史」として学んでいたのです。

 その後、幕末となり、鎖国が解かれ、西洋の文物が一挙に国内に入るようになります。明治維新を経て明治時代に入ると、西洋の学問の影響によりそれまで物語中心だった日本史は、新しく構築し直されることとなりました。西洋の歴史学は科学的な実証性を重んじており、日本史もまた実証的であること、科学であることが重要視されたのです。

 そうなると、江戸時代には歴史として学んでいた『平家物語』『太平記』といった軍記物は、ただの「物語」であり、「歴史」ではないとされました。正確に歴史を知るためには、当時の人間が記した日記や書状、行政文書などの古記録に当たるべきだとされ、もっと客観的な「史料」に基づいて歴史を叙述することが求められたのです。

 その一方で、『平家物語』や『太平記』といった物語は長らく日本人に愛されてきた書物です。それを非科学的だからと捨ててしまうのはもったいないと考える人たちもいましたが、結局、実証的な歴史学が勝り、紆余曲折を経て、今日まで日本史学は客観性を重んじる学問として続いてきました。

 ですから、現在の日本史の教科書もそのような実証的な客観性に基づきます。学問である以上、それは非常に大切なことです。

 しかし、読み物としてはあまりに無味乾燥な文体で、面白くない。だから、冒頭で述べたように「暗記」するしかない科目になってしまっているのではないか。

 若い人たちの「日本史離れ」「歴史離れ」の傾向を変えるには、「日本史って面白い」「歴史って楽しい」と思ってもらうことがまずは重要で、そのためにはある程度の物語性があってもいいのではないか、と私は思ったのです。

【次ページ】日本史は暗記科目

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