- 2023/03/03 掲載
アングル:植田日銀の金融政策、構造的賃上げに向けた「黒子役」に
[東京 3日 ロイター] - 経済学者の植田和男氏をトップとする日銀の新体制が国会の同意を経てスタートする。岸田文雄政権が期待するのは「異次元緩和」の副作用への対応や経済・物価情勢を分析、見通したうえでの政策運営だ。デフレ脱却・経済再生の「主役」として金融政策を強力に組み込んだ第2次安倍晋三政権とは大きくスタンスが異なる。政権が優先課題として掲げる構造的賃上げに関しても日銀に求めるのは物価安定を通じて環境を整備する「黒子」の役回り、との指摘が出ている。
<官邸と日銀、信頼関係>
ある政府関係者は「岸田政権が植田日銀に求めているのは、金融政策のパラダイムシフトではない」と言い切る。白川方明総裁から黒田東彦総裁に移行した10年前の交代は「白い日銀」から「黒い日銀」へ転換したと形容されるほどのドラスティックな変化だった。
一方、今回の日銀首脳の交代にあたって政権側が求めたのは、データ分析とリアルな状況認識をベースにした政策判断だ。
植田氏は先月24日の所信聴取で、「基調的な物価見通しが一段と改善していく姿になっていけば、正常化方向での見直しを考えざるを得ない」とし、将来的な正常化の可能性に言及した。同時に、2013年に策定した政府・日銀の共同声明について「ただちに見直す必要があるとは考えていない」とも述べた。
植田氏の一連の発言に対し、岸田首相は同日夜の会見で「政府として、特段違和感のある内容はなかった」とコメントした。
首相はこれまで共同声明の修正の是非について具体的な言及を避けてきただけに、首相周辺では「総理として相当踏み込んだ発言をした」との声が上がった。
植田氏はまた、新しい情報をもとに将来の見通しを変化させて政策判断していくため、場合によってはサプライズが避けられない可能性があるとした。ただ、そうなった場合でも、考え方を平時から平易に説明しておくことによって「サプライズは最小限に食い止めることができる」と述べた。
今後、市場機能の低下など副作用が指摘されるイールドカーブ・コントロール(YCC)の修正だけでなく、経済・物価情勢の展開次第では金融正常化への思惑から金融市場や経済自体への影響を懸念する声が広がりかねない事態も想定される。
この点について、ある政府高官は、具体的に日銀に何か要求することになるのかどうか、仮定の話には答えられないとして言葉を濁すが、「植田氏の手腕や判断力に信頼を置いている」と話し、混乱の回避に期待感を示す。
岸田首相は、植田氏が総裁に着任後できるだけ早期に面会し、今後の政府と日銀の連携のあり方について改めて確認する方針だ。
<バイプレーヤー>
こうした姿勢の変化には、金融政策では効果が未知数な政策課題に政権が直面している事情も関係している。
物価高騰による家計への影響が強まる中、岸田政権の看板政策「新しい資本主義」では、企業の賃上げ加速が焦点になってきた。
有力なグローバル企業が賃金上昇をけん引すると同時に、最低賃金の引き上げや中間層の労働移動の円滑化などを進め、雇用者全体に持続的な賃上げの流れを作り出すことが、岸田政権の目指す「構造的な賃上げ」の姿だ。
足元、コストプッシュ型とはいえ日本でもインフレが高進しており、首相側近は「短期的に物価上昇をカバーするだけの賃上げも促すし、中長期でも政府の責任や権限でできることはやる」と話す。
植田氏も「経済・物価情勢に応じて適切な政策を行い、経済界の取り組みや、政府の諸政策とも相まって、構造的に賃金が上がる状況を作り上げる」と発言。一方で、賃金上昇を政府・日銀の共同声明に日銀の目標として盛り込むことには慎重な姿勢を示した。賃金を引き上げる主体はあくまで個別企業であり、金融政策は「構造的賃上げ」のメーンプレーヤーにはならない。
植田氏は物価の安定が「経済にとって極めて重要なインフラだ」とする。インフラが整えば、国民や企業が無駄な心配を起こさずに経済活動を行い、能力を十分発揮することができ、その果実として「実質賃金や生産性の上昇が生まれてくる」と説いた。
日本の労働市場改革という、地道で時間のかかる政策を進める上で、物価や金融システムの安定は欠かせない。ある経済官庁の幹部は「学者出身の植田氏は黒いアカデミックガウンも似合う。国民や企業を『主役』とするなら、植田日銀は役者を手助けする『黒子』とも言えるのではないか」と話す。
(杉山健太郎 編集 橋本浩)
関連コンテンツ
PR
PR
PR