- 2023/06/21 掲載
歴代内閣の「経済参謀」=政界に強力な人脈―死去した牛尾氏
13日死去した牛尾治朗氏の財界活動は半世紀以上に及ぶ。一中堅企業の経営者にもかかわらず、歴代首相や政界の実力者と親交を結び、「経済参謀」として時の政権運営に強い影響力を持ち続けた。政治の表も裏も知り尽くした大物財界人だった。
20代から財界活動を始めた牛尾氏は、日本青年会議所会頭時代、後に首相になる大平正芳氏の知遇を得た。第2次臨時行政調査会では専門委員に起用され、国鉄民営化など行政改革を進めた中曽根康弘首相(当時)のブレーンとして活躍。政界に強力な人脈を築いていった。
挫折も経験している。1988年に発覚したリクルート事件では、未公開株を受け取っていたことが表面化し、財界活動を一時謹慎した。だが、「きれいな光も見方が変わればすべて影になる」との言葉を心に刻み、持ち前の調整力で復帰。財界トップに上り詰めた。
「常に時の政権の近くにいる」と評された牛尾氏だが、大平首相(同)に打診された東京都知事選出馬や、小渕恵三首相(同)に持ち掛けられた入閣などは固辞。「官民のパイプ役」としての立ち位置を晩年まで貫いた。
政府関係機関への民間人起用が持ち上がるたびに政治家から相談を受け、多くの「牛尾人脈」を送り込んだ。松下政経塾の設立にかかわったことから塾出身の旧民主党幹部とも太いパイプがあり、存在感は民主党政権時代も際立っていた。
【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答えるウシオ電機の牛尾治朗氏=2002年12月、東京・大手町
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