• 2025/12/19 掲載

「石丸現象」の副産物「再生の道」とは何か?“認知バイアス”が生み出す「絵空事」(2/3)

連載:集団狂気の論理【第3回】

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「幸福度」と「差別」に対する石丸氏の“認知バイアス”

 また、石丸氏の『覚悟の論理』には、市長として中学生に話をしたというエピソードが登場する。石丸氏が「今の自分の幸福度はどれくらいか考えてみましょう。10段階でどれくらい幸せですか」と尋ねると、今の中学生は「6」程度と答えるという。ところが、そこで石丸氏は、「今の私の幸福度はどれくらいかというと……『2万』です」と言うそうだ!

 当然ながら、多くの中学生が「『10段階と言ったのに2万なんておかしいじゃないか』と納得のいかない表情をしますが」というのだが、そこから石丸氏は「なぜそれほど私の幸福度が跳ね上がっているか」について、自慢話を始めるというわけである。

 このエピソードをわざわざ自著で紹介するということは、石丸氏は、これがよほど「良い話」「楽しい話」だとでも思っているのだろうか? このエピソードは、いかに石丸氏が独り善がりで、どれだけ多くの中学生を失望させたのかを、明瞭に表している。

 そもそも前提を覆すことは、論理を破綻させることである。石丸氏のように自分が言った前提を勝手に覆すようでは、公平なコミュニケ―ションが成立しない。中学生を相手に市長がこのアンフェアなエピソードで悦に入るとは、呆れるしかない。

 石丸氏の“認知バイアス”の話は、他にもある。たとえば2023年5月14日、当時の石丸市長はX(旧Twitter)に「予備校の講師が話していて『なるほど』と思った覚えがあります。『差別は排泄と同じ、誰でもするが、人前でしてはならない』」と投稿している。

 2023年6月16日、安芸高田市議会の一般質問で、山本 数博議員がこの投稿を取り上げ、「これは、完全に差別を助長する書き込みであり、あらゆる差別をなくすために社会全体で取組を進めている中で、市長のこの投稿は不適切極まりないと思います」と指摘した。

 それに対して、石丸氏は「端的に言って、解釈が間違っています。国語の問題です。読解の問題です。その読み方が間違っています。そして、こうした質問をこの場で一般質問にするのが不適切です。以上が回答です」と意味不明な言葉を重ねて、言い逃れようとした。

 さらに山本氏が「排泄」と「差別」に踏み込んだ質問を続けても、石丸氏は真摯に答えようとせず、「国語の読解というのは、幾つも選択肢があって、どれもそれっぽく読めたとしても一意に定まるようにできているんです。これを読解力といいます。これがないんであれば、何とか勉強してみてください」と、高圧的に論点を逸らそうとした。

 「国語」の問題は、もちろん正解が1つになるように論理的に構成してあるが、複雑で奥深い日本語は「一意に定まる」ものではない。だからこそ、誤解や曲解を正しながら、相互理解を目指して、幅広い視点から公平なコミュニケーションをとることが重要なのである。

 しかも、そもそも「排泄」は生命を維持するための先天的な生理的現象であり、「差別」は社会・文化的背景において特定の個人や集団を不当に扱う後天的な経験的行為を指す。

 したがって、「差別は排泄と同じ」「誰でもする」という発想自体が「偏見」に満ちた“認知バイアス”なのである。事実、「排泄はするが、差別はしない」人々が存在する以上、石丸氏の主張には数多くの反例が存在し、論理的に「偽」であることは明らかである。

なぜ「再生の道」は「絵空事」に陥るのか?

 これまでに本連載で述べてきた内容だけでも、石丸氏が「政治家」としても「教育者」としても適格性に疑問のあることは、十分おわかりいただけると思う。だからこそ、彼が都知事選で166万票を獲得した「石丸現象」に危機感を抱いたのは、私だけではなかった。

 石丸氏の引き起こした数々の問題点を、当初から発信し続けた「安芸高田市政刷新ネットワーク」の市民各位、問題点を整理してわかりやすく明確に動画で発信し続けた「取材不足」氏、石丸氏の政治資金報告書の分析を行う「石丸情報局」氏らをはじめとして、真相をSNSに発信した諸氏の努力によって、石丸氏と「再生の道」は、次第に票を失っていった。

 ちなみに「取材不足」氏は、拙著『理性の限界』(講談社)の愛読者ということで直接連絡をいただき、本名と職業も教えてくださった。もちろん、それらをここで明かすことはできないが、許可を得たので、彼が理系の国立大学大学院を修了している学歴だけは公開しておきたい。彼の理知的な発信のおかげで、石丸氏や「再生の道」を妄信しかけた人々がどれだけ救われてきたか、筆舌に尽くし難い。

 さて、2025年1月、石丸氏は新党「再生の道」を立ち上げた。この党名には「地域を再生する」ことによって「日本を蘇らせる」という意味が込められているという。党が掲げるのは、議員の任期を 2期・8年までに制限するという唯一の規定だけである。党としての政策やマニフェストを定めず、政策は候補者の「自主性」に任せるという。

 石丸氏は「利権・既得権」に支配されている「腐敗した都議会・地方議会を変えたい」と主張し、「既存政党にしがみつく政治家」ではなく「『地域の声を反映する議員』を送り出す」と訴えた。この訴え自体は、世襲政治家や地盤を引き継ぐ政治家に対する正当な批判であり、地方政治に対する「理想」としても理解できる。

 しかし、具体的には、石丸氏は「地方政治に政党は不要」「政党らしい形は持たない」という方針に基づいて「再生の道」を立ち上げたにもかかわらず、実際の「再生の道」は、既存政党と同じように候補者を擁立して選挙活動を行う。つまり、既存の政治的システムを批判しながら、そのシステムを使って選挙に臨むという自己矛盾を抱えるわけである。

 しかも、党の基盤となるはずの政策そのものが候補者によってバラバラなので、組織としての論理的な一貫性を保つこともできない。したがって、「再生の道」は、たとえ「理想」としては興味深い試みであるとしても、「現実」には「絵空事」で終わるであろうことは、当初から予測できたことだった。

 すでに本連載で述べたように、石丸氏は、「東京を動かす」「政治屋を一掃する」「日本を変える」「政治を正す」といった単純でインパクトのあるメッセージを繰り返して、都知事選で大量の票を集めることができた。都議選でも「再生の道」は、「世代交代」「新陳代謝」「地域重視」「多様な人々の参入」といったメッセージを繰り返したが、多くの都民は、それがデマゴーグに過ぎないことに気づき始めていた。

 結果的に、都議選の「再生の道」全候補者の合計得票数は約40万票であり、石丸氏が都知事選で得た166万票の約24%にまで減少している。

 その都議選後の2025年7月、石丸氏は「今この場にいらっしゃる皆さんが、やっぱり政治に満足しないというんであれば、ぜひ皆さんそれぞれが政治に参入してみてはどうかなあと思います。チョロいですよ、この業界」と発言している。

 ところが、その「チョロい」はずの政治業界から、いつの間にか石丸氏は「再生の道」代表を辞任して、立ち去っている。その後、「再生の道」からも離脱者が相次ぎ、挙句の果てに「再生の道」の新代表には人間ではなく「AIペンギン」が就任するという、まさに「絵空事」らしい結末に至っている。 【次ページ】なぜ東大名誉教授が「再生の道」から立候補したのか?
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