• 2025/12/19 掲載

「石丸現象」の副産物「再生の道」とは何か?“認知バイアス”が生み出す「絵空事」(3/3)

連載:集団狂気の論理【第3回】

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なぜ東大名誉教授が「再生の道」から立候補したのか?

 というわけで、「再生の道」の公募には、いわゆる「烏合の衆」しか集まらないだろうと予想していたが、その予想を裏切る優秀な人物が何人か存在したことには驚いた。

 その代表格が、片岡 宏誌氏である。片岡氏は、東京大学農学部卒業後、同大学大学院博士課程修了。東大助手・助教授・教授を経て定年退官し、東大名誉教授の称号を得た「東大一直線」のエリート学者である。日本学士院学術奨励賞や日本農学賞などの受賞歴もある。

 片岡氏は、ブログで「『再生の道』は、公募(応募)という形で候補者を広く探すという画期的な方法を提案されました。私はこのアイデアに全面的に共感し、たとえ『人寄せパンダ』と思われようとも、現時点でやりたいことをまとめてみずから応募しました」と述べている。

 そもそも「人寄せパンダ」とは、1972年7月に総理大臣に就任した田中 角栄氏が最初に使った言葉である。田中氏は、就任直後の9月に中華人民共和国を電撃訪問し「日中国交正常化」を実現させた。それを記念して、中国から2頭のパンダが日本に送られた。

 その珍しいパンダを見たい親子たちが上野動物園に殺到し、パンダの一挙一動が日本中の人気をさらった。そこで田中氏は「私は人寄せパンダだ。頼まれればどこにでも行く」と宣言し、全国各地の選挙区へ応援演説に行き、支援者らの人心を掌握していったのである。

 さて、ここで興味深いのは、片岡氏が自分のことを「人寄せパンダ」だと認識していた点である。たしかに片岡氏は「昆虫の脱皮や変態」の研究においては世界的な学者であり、彼が学会で講演するとなれば、昆虫の研究者や学生が殺到するのかもしれない。

 しかし、片岡氏が「再生の道」から都議会選挙に立候補した足立区では、いかに「東大名誉教授」の称号があろうとも、「人寄せパンダ」には遠く及ばないことに、片岡氏は気づかなかったのだろうか?

 実際に、定数6人の足立区には11人が立候補したが、片岡氏はブービーの第10位(5,796票)で落選している。ちなみに、同じ足立区で「再生の道」から立候補した中小企業診断士・恵良 康寛氏は、第8位(15,652票)で落選した。2人の「再生の道」候補者の合計でも21,448票であり、第6位の当選者(25,332票)には届かなかった。

 結果的に、片岡氏は「再生の道」を離脱し、政治活動にも終止符を打つと宣言している。その彼がブログで「再生の道」に残した言葉の中に、「私としては、『公募システム』を大切にして、完成を目指して欲しい。今の政治を変えるために必要なシステムで、『再生の道』の最大の特徴だと今でも思っている」とある。

 つまり、片岡氏は、最初から最後まで「公募」という彼が共感する一面だけを取り上げて「再生の道」の「最大の特徴」とみなしているわけである。要するに、「公募」こそが、片岡氏が「再生の道」に見出した“チェリーピッキング”だったといえる。

 ちなみに、高市 早苗氏と小泉 進次郎氏の対決とみなされていた自民党総裁選挙が実施された2025年10月4日の土曜日、ネットで経済関係のコラムを読んでいたら、「高市氏を応援する。なぜなら月曜日に株が暴騰するから!」というタイプのコメントを多く見かけた。

 これらのコメントは、高市氏の政策や理念について何も触れていないし、興味さえなさそうに映った。投稿者にとって重要なのは、高市氏に決まれば「月曜日に株が上がる」という1粒の美味しい“チェリー”だけであり、それだけのために彼女を支持するわけである。

 片岡氏のような大学教授であり科学者でもある知識人が、“チェリーピッキング”という“認知バイアス”の罠に陥って「再生の道」に加担した責任は重い。というのは、「東大名誉教授」が「再生の道」から立候補したという事実そのものが新たな“チェリー”となって、「再生の道」の支持者層に影響を与えた可能性があるからである。

 片岡氏は、政治活動引退を語るブログで「私は『石丸シンパ』でも『再生の道シンパ』でもないし、『アンチ』でもない。今までも、またこれからもそうでないことを断っておく」と述べているが、その言葉は「再生の道」から立候補する時点で発信すべきだったのではないだろうか?

「再生の道の癌」と呼ばれた船本優月氏

 もう1人挙げよう。船本優月氏は、東京理科大学理工学部土木工学科を卒業後、同大学大学院理工学研究科修士課程修了。東京電力ホールディングス株式会社に入社し、原子力設備管理部と電気自動車推進部、データセンターの3部門で勤務してきた有能な経歴を持つ。

 その彼女が「再生の道」に共感したのは、政策を候補者の「自主性」に任せるという点にあった。もし東京電力の組合経験もある彼女が、どこかの既成政党から立候補して都議会議員になれば、その政党の党則にしたがって意見表明や投票を行わなければならない。彼女は、「党則で縛らない」という「再生の道」の一面に強く共感し、それを“チェリーピッキング”してしまったのである。

 ところが、政治活動を始めた彼女がSNSでいろいろと自由な発言をすると、「それは石丸さんが言っていることと違う」「もっと石丸さんを前面に出して選挙活動しろ」「石丸さんの足を引っ張るな」などと責められるようになった。その主体となったのが、いわゆる「石丸信者」と呼ばれる石丸氏の熱狂的な支持者層である。

 結果的に、船本氏は「再生の道から出馬したことを後悔している。理由は、信者対応という、無駄な労力を使うことになるからだ。私の大切な人が再生の道から出馬したいというなら、政党に属すことよりも、無所属で挑戦することを勧めます」と述べて、離脱した。

 ところが、この離脱宣言に対しても「石丸信者」から猛烈なバッシングが巻き起こり、彼女は「再生の道の癌」とまで誹謗中傷されるようになったのである。

 この件で想い起こすのは、私が『週刊新潮』(新潮社)に連載していたコラム「反オカルト論」において、2015年6月25日号から6回にわたって「幸福の科学」教祖・大川隆法氏に言及したところ、SNSで膨大な誹謗中傷に晒され、勤務する大学や自宅にまで「幸福の科学」の信者が押しかけてきた事件である。

 ここで、自分のことを「信者」と称する人々に言いたいことがある。それは、いかなる人間も完璧ではないのだから、誰のことであろうと「崇拝」すべきではないという1点に尽きる。なぜなら、「崇拝」した瞬間に「思考放棄」が始まるからである。

 カタギの世界からヤクザの世界に足を踏み入れる人は「親子盃」の儀式を行う。そこで「実の親があるにもかかわらず、今日ここに親子の縁を結ぶからには、親が白といえば黒いものでも白と言い……」という口上を宣誓する。

 つまり、親分が白と言えば白、黒と言えば黒になるわけで、子分は何も考えずに絶対服従する。これはヤクザ社会に限らず、教祖に絶対服従する信者や、社長に絶対服従する会社員も、同じように自分からロボットになっているわけである。石丸氏の発言を妄信し、集団内で競って彼を褒め称える「石丸信者」も、同種の「思考放棄」に陥っているといえる。

 化学界で驚異的な業績を達成して「ノーベル化学賞」を受賞し、さらにベトナム戦争に反対し、世界平和を追求して「ノーベル平和賞」も受賞したライナス・ポーリングという科学者がいる。彼は、人格的にも、DNA解明のライバルだったジェームズ・ワトソンが「世界中を探しても、ライナスのような人物は一人もいないだろう。彼の人間離れした頭脳と、周囲を明るくする笑顔は、まさに無敵だ」と褒めるくらい、すばらしい人物だった。

 そのポーリングが、晩年になると、ビタミンCを大量摂取すれば風邪も癌も治るという奇妙な学説を主張し始めた。そもそも過剰に投与されたビタミンCは排泄される。しかも、ポーリングの学説は何度かの追試でもまったく確認されなかった。それにもかかわらず、彼は最愛の妻にビタミンC療法を施し、彼女の癌は完治せずに亡くなってしまったのである。

 ここで、ポーリングが「ノーベル平和賞」受賞式のパーティで、世界中から集まった大学生にかけた言葉を紹介しよう。

「立派な年長者の話を聞く際には、注意深く敬意を抱いて、その内容を理解することが大切です。ただし、その人の言うことを『信じて』はいけません! 相手が白髪頭であろうと禿頭であろうと、あるいはノーベル賞受賞者であろうと、間違えることがあるのです。常に疑うことを忘れてはなりません。いつでも最も大事なことは、自分の頭で『考える』ことです」

 なお、ポーリングをはじめとする23人のノーベル賞受賞者の生涯については、拙著『天才の光と影』(PHP研究所)をご参照いただきたい。

日本に必要な政治家像「世界一貧しい大統領」

 さて、本連載を読んだ読者から、次のようなコメントが届いた。「たしかに、石丸氏はデマゴーグであるかもしれない。しかし現代の政治家は皆、似たようなデマゴーグばかりではないか。そうでない政治家がいるなら、教えてほしい」

 それでは「デマゴーグでない政治家」の一例として、「世界一貧しい大統領」として有名なホセ・ムヒカ(Jose Alberto Mujica Cordano)を挙げよう。ムヒカは、何よりも「貧者・弱者の味方」という「信念」を貫いて生き抜いた政治家である。

 ムヒカは、1935年5月20日、スペインのバスク家系の父親とイタリアからの移民家系の母親の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。彼が5歳の時、農園を所有していた父親が破産して死亡したため、ムヒカは、畜産業に従事しながら、極度の貧困生活の中で暮らした。

 彼は、少年時代から政治団体に顔を出していたが、1959年にカストロとゲバラが成功させた「キューバ革命」に触発されて、ゲリラ組織「トゥパマロス」に参加するようになる。トゥパマロスは、資本家を優遇する「大土地所有制」の解体や労働者の権利を求めて武装闘争を行った。

 1970年3月、モンテビデオのバーに居たところを逮捕されそうになったムヒカは、警官に銃で対抗した。彼は、2人の警官を負傷させる一方で、6発の弾丸を撃ち込まれる重傷を負った。

 「内戦状態」を宣言した当時のウルグアイ政府は、軍部に命令して「トゥパマロス」を弱体化させた。その功績によって増長した軍部は、1973年にクーデターを起こして政権を握る。

 ムヒカは、軍事政権当局から合計4回捕えられ、2回は脱獄している。その後、1985年に軍事政権が「民政移管」されるまでの約13年間、ムヒカは収監されたまま「人質」として扱われた。結果的に、彼の身体には合計25発の弾丸が撃ち込まれている。

 出所後のムヒカは、かつての「トゥパマロス」のメンバーと政党を結成し、1995年の下院議員選挙で初当選を果たした。2005年にはタバレ・バスケス大統領の下で農林水産大臣として入閣し、2009年の大統領選挙でルイス・ラカジェ元大統領を決選投票で破って、2010年3月に大統領に就任した。

 ムヒカは、2015年2月までの大統領在任中、カトリック教会の反発を抑えて「人工妊娠中絶」を合法化し、「同性婚」を承認した。また、地下組織化した麻薬密売を抑止するために、世界で初めて国家として「大麻」の生産と販売を合法化した。これらのラディカルな政策は非常に斬新であるとはいえ、麻薬組織が強大な勢力を持つ南米で施行するのは、命懸けの決断だった。

 ムヒカが「世界一貧しい大統領」として有名になったのは、大統領時代に月給の約90%を慈善団体に寄付して、月に1,000ドル程度の貧困生活を送ったからである。彼の生き方をBBCが2012年に報じた特集によれば、ムヒカの個人所有資産は、1987年製の中古車フォルクスワーゲン・ビートルのみだった。ムヒカは、ノーベル平和賞に2度ノミネートされたが、2025年5月13日、癌のため逝去した。

 さて、現在の平和な日本で、ムヒカのように想像を絶する経歴から政治家になる人物は存在しないだろう。しかし、石丸氏の政治活動が「“自己愛”と空虚な“デマゴーグ”」に満ちているのに対して、ムヒカの政治活動が「“他者愛”と現実の“政策実行”」にあることは、明確にご理解いただけると思う。

 少なくとも権力に屈せず、自分が権力を掌握しても思い上がらず謙虚であり、金に執着せず、自分が必要とする以外の金や所有物を貧困者に分け与え、命を狙われても自分が掲げる政策を果敢に実行し、国家の将来に長期的な展望を持つような人物にこそ、政治家になってほしいものである。

【最終回 了。ご愛読ありがとうございました。】

本稿は著者の意向により、タイトル含めてすべて原文そのままで掲載しています

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