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  • 2019/09/11 掲載

インターネット界隈に「ヒグマ」があふれている理由

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インターネットが社会や経済、生活へ与えた影響は計り知れない。今回はそれまで間を取り持つ仲介者なしには実現できなかった「関係性の構築」について、当事者同士でダイレクトに締結できるようになった点に注目したい。この状態を評価しつつも、これまで「里山」という中間地点があったからこそ成立した「人とヒグマの共生」の価値を再評価すべきかもしれない。

編集者/文筆家 高橋幸治

編集者/文筆家 高橋幸治

1968年生。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、92年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、95年、アスキー入社。2001年から2007年まで、Macとクリエイティブカルチャーをテーマとした異色のPC誌「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、紙媒体だけでに限定されない「編集」をコンセプトに、デジタル/アナログを問わず企業のメディア戦略などを数多く手がける。国際ファッション専門職大学国際ファッション学部教授。日本大学芸術学部文芸学科および横浜美術大学美術学部美術・デザイン学科非常勤講師。著書に『メディア、編集、テクノロジー』(クロスメディア・パブリッシング刊)がある。

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インターネット上に、「ヒグマ」があふれている
(Photo/Getty Images)

ヒグマの出没に見る里山という中間地帯=緩衝地帯の喪失

 2019年8月、札幌市の住宅地にヒグマが出没し連日ニュースなどで話題となっていた。周知のようにヒグマは極めてどう猛な大型の動物だから、人間など太刀打ちできるわけはなく、出合い頭に襲われなどしたらひとたまりもない。幸い人的な被害こそ出なかったものの、農作物などはかなり食い荒らされたようだ。

 そして同月14日、とうとうこのヒグマは地元の猟師によって射殺されたとのことだが、またいつ、別のヒグマが山を下りて人間の生活区域に侵入してこないとも限らない。1頭駆除したからといってそれで問題解決というわけではないだろう。

 当該のヒグマがなぜ今回のような挙に及んだのかについては知る由もないが、おおかたの見方では、やはり、ヒトが住む「里」とクマが住む「山」との中間地帯である「里山」の消失に原因があるようだ。

 つまり里山という中間領域が消滅つつある現在において、山での食糧不足を補うためには、クマとしてはヒトが住む里にダイレクトに下りてくるしか手がないのだろう。筆者はこのニュースが報道されるたびに、民俗学者の赤坂憲雄氏による『性食考』(岩波書店)のある個所を思い出していた。以下にその数行を引用してみる。

 それにしても、いま、なぜ<内なる野生>について問いかけるのか。人と動物との境界あたりに、<内なる野生>をめぐる闇やカオスが蠢いている。たとえば、この日本列島においては、自然空間の構造はムラ/里山/奥山という分割のもとに論じられるのが、つねだ。奥山という最深部には、野生を抱えこんだ原生的な自然がいまだ、わずかなものであれ、息づいている。その野生を抱いた奥山と、人間たちが暮らすムラとを分かつ緩衝地帯であった里山が荒廃するにつれて、野生の領域が膨張をはじめている。山のムラに暮らす人々が、「山が攻めてくる」といった言葉を漏らすようになったのは、一九八〇年代以降ではなかったか。その頃から、都市のなかに現れ、闖入者として追いまわされる、シカ・サル・イノシシ・クマなどの野生動物の姿が、ときおりテレビのニュース映像のなかに見られるようになった。
 まさに冒頭のヒグマの騒動に言及しているかのような記述である。この直近の件だけでなく、そして北海道だけに限らず、毎年、山に住む野生動物の里への出没はそこかしこで起こっており、もはや特段珍しい事件ではなくなりつつあるものの、赤坂氏が用いている里山=「緩衝地帯」というキーワードは現在の私たちを取り巻くさまざまな事象に適用可能な概念ではないだろうか?

 今さら言うまでもなく本稿は自然や環境の問題、動物との共生を考えることが本来の使命ではないから、もちろんこれを現代の情報社会に当てはめて考えていきたいと思う。

直接性への盲信が排除してしまったミドルウェアの効能

 インターネットが私たちの社会や経済、さらには生活にもたらした恩恵は数え上げればキリがないけれども、その中の1つとして、何かと何か、それは往々にして人と人であったりするのだが、とにかく、それまで間を取り持つ仲介者なしには実現できなかった関係性の構築を、当事者同士でダイレクトに締結できるようになったということが挙げられるだろう。

 結果として旧弊で無駄な習慣やシステム、既得権益を貪っていた中間業者などが排除され、さまざまな情報が自由かつ柔軟に行き来できるようになった。音楽や映像などの創作物は言うに及ばず、幾多の言説も既存の流通経路を経ずして、直接、発信者から受信者へと送り届けられるようになったのは今さら述べるまでもない。

 これはこれで大いに歓迎すべきことであり、インターネットの持つ最大の利点の1つであると言っていい。

 しかし、あらゆるモノ/コト/ヒトがダイレクトにぶつかり合っていくことの弊害も忘れてはならないだろう。弊害と言っては語弊があるかもしれないけれども、少なくとも、異物同士が出会う場にはある種のクッションが用意されていたほうが物事がスムーズに運ぶ場合がある。

 つまり、冒頭に話の枕として挙げたヒグマの例で言えば、里と山の中間に広がる里山のような緩衝地帯の存在である。見方によっては、インターネットの直接性が悪しき斡旋業者の排斥と共に、事物の直接的な衝突を回避するための緩衝地帯まで抹消させてしまったとは言えないだろうか?

 この緩衝地帯は空間的な地帯かもしれないし、抽象的な概念であるかもしれない。はたまた特定の技能を持った人の場合もあるだろう。とにもかくにも、上下や主従の関係ではなく並列で対等な関係の中において、質の異なる物事を最良のかたちで出会わせるための橋渡しをする役目である。

 このミドルウェア的な重要な機能は、かつて出版の領域においては、営利を最大の目的とする企業と表現に至上の価値を置く作家のあいだに立つ編集者と呼ばれる人々が担ってきた。

 しかしあらゆる情報がダイレクトにやり取りされるようになった結果、緩衝地帯としての職能=編集はともすると不要な中間業者と見なされるようになった。結果としてインターネット上における言説のあからさまな質の低下や、意見や見解の相違に端を発するむきだしの敵意があちらこちらで見受けられる。

画像
インターネットに「緩衝地帯」はない
(Photo/Getty Images)

【次ページ】不意の侵入も暴力ならば、頑迷な拒絶もまた暴力である

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