- 2023/03/13 掲載
堅実経営貫く=巨大流通グループへ成長―ヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏
10日死去したセブン&アイ・ホールディングス名誉会長の伊藤雅俊氏は、兄から引き継いだ洋品店を大手スーパーへと育て上げた。1970年代に始めたコンビニ事業が急成長し、同社はイオンと並ぶ巨大流通グループとなった。80年代前半には他社に先駆け業務改革を進め、バブル期も拡大路線とは一線を画し堅実経営を貫いた。
「銀行はお金を貸してくれないもの、問屋は品物を売ってくれないもの、お客さまは商品を買ってくれないもの」が口癖で、謙虚な姿勢や誠実な対応を大事にした。高度成長期にイトーヨーカ堂が店舗を増やす際、リスクを考えて賃貸を基本とするなど独自の出店戦略を展開した。
多角化は、コンビニ「セブン―イレブン」やファミリーレストラン「デニーズ」など本業に近い領域にとどめた。当時のライバルだったダイエーが広範囲に手を広げて膨大な借金を抱え、バブル崩壊後に経営難に陥ったのとは対照的だった。財テクにも走らず、信用を商売の基本と肝に銘じながら顧客第一主義をモットーに業績を伸ばした。
コンビニ事業の立役者で、後継者となった現セブン&アイ名誉顧問の鈴木敏文氏が、新しい経営手法や理詰めのデータ分析に積極的な「理」の人と称されるのに対し、伊藤氏は「情」の厚さで店長ら現場の人心をつかんだと振り返る関係者は多い。
伊藤氏は、鈴木氏の経営にほとんど口を挟まなかったとされる。しかし、鈴木氏が2016年に当時セブン―イレブン・ジャパン社長だった井阪隆一氏を交代させようとした際には反対を表明。鈴木氏辞任の一つの引き金となった。
伊藤氏が死去した10日は、セブン&アイがヨーカ堂の33店閉鎖と衣料品事業撤退を発表した翌日だ。カジュアル衣料「ユニクロ」などの専門店やインターネット通信販売に顧客を奪われ、セブン&アイの祖業は時代の荒波に直面している。
【時事通信社】 〔写真説明〕セブン&アイ・ホールディングスの合同入社式を後にする伊藤雅俊名誉会長(手前)=2018年3月、東京都港区 〔写真説明〕「イトーヨーカドー食品館千住店」開業式典でテープカットを行う伊藤雅俊セブン&アイ・ホールディングス名誉会長(右から2人目)=2019年3月、東京都足立区
関連コンテンツ
PR
PR
PR