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  • 2026/05/14 掲載

アニメ事業撤退もありえた…? 角川グループ・安田猛氏が語るアニメ事業躍進の裏側

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『アニメック』『ドラゴンマガジン』『富士見ファンタジア文庫』の編集を歴任し、多くのヒット作を支えた安田猛氏。今では売上500億円超、業界の2割を占める出版社のアニメ事業も、かつては赤字に悩まされ、撤退の選択肢もあったという。そんな中、編集部時代から多様なスタイルを融合させた安田猛氏が、2001年に新しい座組で流れを一変。角川グループのアニメ事業躍進の起点は一体どこだったのか。
聞き手・執筆:エンタメ社会学者 中山 淳雄

エンタメ社会学者 中山 淳雄

東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。

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編集者・クリエイター・プロデューサー
安田猛(やすだ・たけし)氏
1962年10月23日生まれ、神奈川県横浜市出身。KADOKAWA(旧角川書店)の常務執行役員などを歴任し、アニメやライトノベルを軸としたメディアミックスの礎を築いたプロデューサー。独自の視点でクリエイターを支援し、後にアニメーション制作の指揮を執る。『フルメタル・パニック!』『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『日常』といった京都アニメーション制作作品の企画・制作を数多く手がけたほか、『ケロロ軍曹』『ストライクウィッチーズ』『艦隊これくしょん -艦これ-』など、ブームの火付け役となるヒット作を次々とプロデュース。現在は、長年培った経験を生かし、次世代のコンテンツ創出に尽力し続けている。

KADOKAWAの「アニメ事業」創世記の企画案

安田猛氏がアニメに深く関わり始めたのは、2000年にアニメ事業へ異動してからだけではない。編集者時代からすでに、ノベライズやコミカライズ、アニメ化作品のスタッフ調整などを通じて、原作側の立場で映像の現場と接点を持っていた。まずは、その「事業部以前」の関わりから振り返りたい。
──1988年に『ドラゴンマガジン』創刊、そして1990年代はラノベとアニメの時代です。初代編集長の小川洋さんは「アニメ化の流れで『天地無用!魍魎皇鬼』を始めたことが、たぶん現在のライトノベルにつながっているんですよ。ハーレム作品のはしりみたいな作品ですが、あれは安田がパイオニアLDCから引っ張ってきた版権です(注1)」と言っています。

安田猛(以下、安田)氏:『天地無用!』は後にジェンコを創業する真木太郎さん(1955~)からのプロジェクトでした。彼はパイオニアLDCで多くのアニメプロジェクトを立ち上げたのですが、その一環で「安田くんのところで、ノベライズやってみない?」と声をかけられました。最初の私の感想は「主人公が品行方正な『うる星やつら』みたい」でしたね(笑)。

注1:山中智省2018ライトノベル史入門 「『ドラゴンマガジン』創刊物語―狼煙を上げた先駆者たち」勉誠出版

──アニメ制作には安田さんは関わられていたんですか?

安田氏:『アニメック』時代からいろいろな脚本家やイラストレーター、アニメーターとの縁ができているので、そのアサインなどはしていましたね。当時はアニメ出資なんて考えることもなく、あくまで雑誌編集者としてアドバイザー的に関わっていたにすぎません。私が人をつなげてアニメのノベライズ、コミカライズを掲載するということはよくやっていました。

 ただ、この頃から『ドラゴンマガジン』の作品がアニメ化され始めて、原作側として制作スタッフの意見をいう機会が増えました。劇場版アニメ『風の大陸』(1992年プロダクションIG)も真下耕一監督をアサインしたり、スーパーアニメーターの結城信輝さんにキャラクターデザインをお願いしたりしましたね。

──なるほど。雑誌編集者をしながら、アニメーター・イラストレーターには詳しいから、アサインを手伝ったりするわけですね。「企画」「企画協力」でこの時期の安田さんのお名前をよく拝見します。そういえば『スレイヤーズ!』以来、1990年代後半は巨大な目のかなりデフォルメしたアニメスタイルが流行りました。神坂さんの作品にあのイラストを入れたのは、どなたのアイデアなのですか?

安田氏:私のアイデアです。あらいずみるいさんは美少女マンガ系の絵を描いていたので合うのではないかと思って「ぜひ、絵を描いてくれませんか?」とお願いしました。彼が書いた絵柄がその後1990年代を席巻していきました。

 『風の大陸』のイラストレーターいのまたむつみさん(1960~2024年)もその代表的な作家だと思います。あの時代に少女マンガの絵柄が一般マンガ誌にどんどん浸透してくるようになります。少年マンガと少女マンガが合流した時代ですね。

最初の成功事例?『スレイヤーズ!』大ヒットのカラクリ

──1991年から連載された『スレイヤーズ!』は1994年にゲーム化、1995年にテレビアニメ、劇場版アニメ、OVA化とまさに最初のラノベのメディアミックス大成功作でした。

安田氏:『スレイヤーズ!』のアニメ化ではテレビ東京へ角川歴彦さんとプレゼンに行っています。ちょうどパート1の放送が『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~1996年)の半年前でした。

 『スレイヤーズ!』はテレビ東京の関連会社が番組枠を持っていました。プレゼンして企画が通れば作品が入れられる。そこに熱烈アプローチしてこれを通せば、ほかの富士見書房のラノベもアニメ化が実現できると意気込んでいましたね。

──『スレイヤーズ!』は1990年前後でラノベが普及していく時期と、1995年アニメ化後はどういう違いがありましたか?

安田氏:アニメになるとそれまでラノベやコミックでは中学生の男の子向けだったものが、徐々に女の子にも普及していきます。『リナ=インバース』は本当に斬新でした。

 当時のアニメは男性主人公が主流でしたので「女の子が強い」という設定はこれまでにあまりなかったものですし、ヒロインが主人公になりながら、しかもナウシカと違って「いいこちゃん」でもない。リナはわがままですしね。そういう彼女のまわりにどんどんキャラクターが集まっていくという話自体が、それまでのフォーマットを覆しました。
こうして1990年代の安田氏は、編集者でありながらアニメの企画や現場に深く関わるようになっていった。ただ、この時点ではまだ「原作側から関わる人」である。転機が訪れるのは2000年、角川グループのアニメ事業そのものを立て直す立場へ移ったときだった。
【次ページ】赤字ばかりで撤退予定だったアニメ出資。『フルメタル・パニック』で初めて座組完成
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