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  • 【藤田直哉氏インタビュー】高度情報社会が変えていく社会像と文学――SF分野の動向を踏まえて考える

  • 2011/04/20 掲載

【藤田直哉氏インタビュー】高度情報社会が変えていく社会像と文学――SF分野の動向を踏まえて考える

限界小説研究会 藤田直哉氏インタビュー

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話題の評論集『社会は存在しない セカイ系文化論』や『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』(ともに南雲堂)を編んだ限界小説研究会。この2冊の書籍の狙いから最近のSF分野の活況についてまで幅広い話題について、同研究会のメンバーであり、文芸評論家としてもご活躍中の藤田直哉氏にお話を伺った。

“戦争”が身近になった!?

――『社会は存在しない セカイ系文化論』(南雲堂)や『サブカルチャー戦争 セカイ系」から「世界内戦」へ』(南雲堂)といった注目を集めた評論集は、限界小説研究会が編纂および執筆しています。まず、限界小説研究会について、そのメンバーでもある藤田さんからお教えいただけますか。

 藤田直哉氏(以下、藤田氏)■限界小説研究会としての最初の著作である『探偵小説のクリティカル・ターン』(南雲堂)の頃は、ミステリの創作と評論を行っている笠井潔や小森健太朗を中心として、いわゆる「脱格系」と呼ばれる、清涼院流水、舞城王太郎、西尾維新、佐藤友哉といった新しい特徴を持ったミステリを研究する会という側面がありました。「脱格系」を一言で言うと、オタク・カルチャーの影響を受けた新しい時代を象徴するミステリということになります。なので、初期の限界小説研究会は、オタク文化に深くコミットしている前島賢が参加し、旧来のミステリ批評とオタク・カルチャーの接点を探る勉強会という側面が強いものでした。

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『サブカルチャー戦争』

――2009年に刊行された『社会は存在しない』に続いて『サブカルチャー戦争』を2010年末に限界小説研究会は出されたわけですが、その狙いを教えていただけますか。

 藤田氏■ミステリの構造的変化はオタク・カルチャーの影響として単純に考えるべきではなく、もっと大きな大衆的なメンタリティの構造的な変化を反映しているのではないかという風に問題が拡張していきました。そのような仮説に基づいて、ゼロ年代前半にオタク・カルチャーで大きな流行を見せた「セカイ系」やそれに類似した構造の作品群をさまざまな文化領域で確認に見出し、「セカイ系」という概念を「社会論」風に適用してみせたのが『社会は存在しない』のアプローチでした。

 その続編的性格のある『サブカルチャー戦争』では、その「さまざまな文化領域」を扱うという方法論は変らないものの、前作のように「セカイ系」という言葉や概念のフィルターを通して作品を観るのではなく、作品から何か時代を象徴する概念なり認識を取り出すことを目指しました。少しマジックワード化したきらいはありますが、便宜的に我々はその特徴を「世界内戦」と呼んでいます。

 「世界内戦」を一言で言うと、9・11以降のテロリズムや情報環境の変化などの影響を受け、日常と戦争の区別が崩壊した世界の状態、あるいは世界認識のことです。多くの作品がさまざまな形でそれを表現していました。その表現の意義と受容の問題を解きほぐしていこうというのが『サブカルチャー戦争』の試みでした。

――この2冊に関連しそうな本もいくつか出ているようですね。

 藤田氏■初期の限界小説研究会を強く主導してくださった前島賢氏は『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書)で、僕らのような「社会に拡張させていく」アプローチとは反対に、「セカイ系」という言葉の意味や定義を厳密に確定しようとする著作をお書きになられています。これは一見アプローチは反対なのですが、前島氏は僕が聞き手を務めたインタビューで「けれど、『エヴァ』やセカイ系というのは、冷戦と9・11の間に生まれた隙間的な存在ではないかと思うんです」と仰っており、基本的な認識の枠組みは共有していると思います。

 同じ頃に福嶋亮大氏の『神話が考える ネットワーク社会の文化論』(青土社)というサブカルチャー批評の著作も出ていますが、限界小説研究会のアプローチは、ゼロ年代の批評の多くがインターネットを重視したことを受け入れつつ、それを取り巻く社会や政治の問題にサブカルチャー批評を結び付けようとするという態度の違いが存在しています。もちろん、そのことには善し悪しがあるのですが、格差社会やロスジェネ問題などの浮上を意識して、脱社会的な存在を肯定するようなオタク・カルチャーの批評に対するオルタナティヴを提出しようとする意志の有無は、大きなスタンスの違いになっていると思います。

――9・11以降の映画やアニメに描かれている“戦争”はどのように変わったのか、という点がこの論集の1つの柱になっているかと思います。最近ではエジプトやリビアなどでの動乱においてソーシャルネットワークの影響も取り沙汰されています。このあたりもまた今後の“戦争”イメージに更新を迫るものとなるでしょうか? そしてそのような技術と戦争の関わりをどう見ていらっしゃいますか?

 藤田氏■例えば「テロ」という概念を考えるとわかりやすいのですが、今ではウィキリークス(Wikileaks)のような情報漏えいも「テロ」と呼ばれ、国会の予算案まで「テロ」と呼ばれたりします。物理的な暴力によるものだけではなく、情報や経済、政治的駆け引きにまで「テロ」という言葉が簡単に転用されていき、それを不自然とは思えないという言語感覚に我々は変化していると思います。

 これは9・11以降の“戦争”の描かれ方の変化と相同しています。「経済“戦争”」、「ネットカフェ“難民”」、「キャラ“戦争”」などのような言葉が一般に流通しやすくなる状況を反映しているおり、情報やコミュニケーションや経済などと、物理的な暴力を伴う戦闘との区別がどんどん融解しています。例えば、小説ですと『となり町戦争』のように、戦場とそうでない場所とにあったはずの差異が失われているかのような作品も多く見受けられます。

 “戦争”の変化というものは、実際の戦闘行為の変化だけではなく、“戦争”をどう描いて、どう人々に認識させるかという次元も含めての変化であって、しかもその「描き方」も“戦争”の不可欠な一部だという複雑な循環をしています。ソーシャルネットワークの場合だと、それが実際に革命や戦争に影響を及ぼした部分と、ソーシャルネットワークの存在によって我々に“見え方”が変ってしまう部分の両方が、我々の“戦争”認識に更新を促しました。アルジャジーラのネット放送を見ることができたり、モバイル端末で撮影された現地の映像が簡単に手に入るということ自体が、“戦争”に対する想像力を否応なく更新していくのだと思います。

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