- 2023/01/31 掲載
日銀、問われた独立性=脱デフレ、政治対応に苦慮―12年下期の決定会合議事録
日銀は31日、2012年下半期(7~12月)に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。デフレ脱却に向け、強力な金融緩和を求める政府への対応に苦慮する場面が続き、日銀の独立性が問われた。10月には当時の民主党政権と共同文書を出した。その後発足した第2次安倍晋三政権下で、現在まで続く大規模金融緩和の根拠となる「2%の物価目標」導入につながっていく。
日本経済が低迷する中、日銀は「中長期的な物価安定のめど」として1%の物価上昇率を掲げた。しかし、実現の見通しは立たず、前原誠司経済財政担当相(肩書は当時、以下同)は10月5日の会合で、「政府と日銀は意思疎通をさらに深め、密接に連携していくことが重要」と迫った。白川方明総裁は「政府と十分な意思疎通も図りながら、しっかり使命を果たしたい」と呼応。同月30日、デフレ脱却へ政府と日銀が協調するとの共同文書をまとめた。
共同文書に関し、金融政策の独立性確保を明確にした新日銀法の観点から「日銀の独立性との関係で問題が起きないか」(山口広秀副総裁)との懸念も出た。しかし、政権奪還を目指す自民党の安倍総裁が日銀の対応は不十分だと主張。11月20日の会合で前原氏が「『日銀が全部悪い』といった考え方にはくみしない」と対抗するなど、激しさを増す政治対立に日銀は巻き込まれていった。
12月の衆院選では自民党が圧勝。直後の同月20日の会合で、日銀は安倍氏が要請する2%の物価目標を次回会合で検討することを決めた。白川氏は「政策委員会にとって非常に大事なことであり本業だ」と強調。西村清彦副総裁は「海外の市場参加者には、日銀がデフレ脱却に消極的であるという明らかな誤解がある」として、物価上昇の「めど」を明確な目標にするべきだと訴えた。
翌年1月22日、政府・日銀は2%目標を明記した共同声明を公表。しかし、それから10年を経た現在に至るまで目標は安定的に達成されず、共同声明の見直し論も浮上している。
【時事通信社】 〔写真説明〕金融政策決定会合後、記者会見する白川方明前日銀総裁=2012年12月20日、日銀本店
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