• 2022/04/15 掲載

沖縄の魅力、学生時代に確信=かりゆしグループ・平良会長に聞く

時事通信社

photo
  • icon-mail
  • icon-print
  • icon-hatena
  • icon-line
  • icon-close-snsbtns
会員になると、いいね!でマイページに保存できます。


復帰10年前の1962年、わずか14室の観光ホテルから始め、沖縄を代表する観光グループに成長した「かりゆしグループ」(沖縄県恩納村)。同社を率いる平良朝敬オーナー会長(67)に聞いた。

―復帰前の沖縄観光とは。

沖縄では太平洋戦争の地上戦が行われ、20万人以上の方が亡くなった。本島南部には戦没者らの碑が建立され、遺族会などが毎年、慰霊目的で沖縄を訪れていた。75年に沖縄国際海洋博覧会が開催され、観光業が注目されるようになった。

―当時は学生だった。

東京の大学に通っているとき、友人と湘南の海へ泳ぎに行った。黒い砂浜に驚いたが、友人はこれが普通だと言う。「砂浜は真っ白なものだよ」と言って夏休みに沖縄に来てもらったら、青い海と白い砂浜を見て「これが海か」とびっくりしていた。このとき、沖縄の魅力は「海」だと確信し、私の原点になった。海洋博の翌年、沖縄の観光業は不況に陥り、学校をやめて22歳で家業のホテルを手伝うようになった。

―コロナ禍で沖縄の観光業は大打撃を受けた。

観光客数は30年前の水準まで減った。まずは観光客数をコロナ前の1000万人に戻すロードマップが必要だ。観光客の滞在日数を延ばしたり、消費単価を引き上げたりといった沖縄観光の「質」の向上は、「量」の回復とともに取り組むべきだ。

―コロナ後の沖縄観光は。

沖縄はアジアに開かれ、香港や韓国などの国際的なハブ空港を経由して欧州ともつながる。潜在的な魅力は大きい。ただ、コロナ後は国内外の空港との競争も激しくなる。今から手を打っていかなければならない。黙っていても沖縄に観光客が戻ると思っていたら大間違いだ。

【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答えるかりゆしグループオーナー会長の平良朝敬氏=2月16日、那覇市 〔写真説明〕かりゆしグループの原点となった1962年開業の「観光ホテル沖乃島」(同社提供)

評価する

いいね!でぜひ著者を応援してください

  • 0

会員になると、いいね!でマイページに保存できます。

共有する

  • 0

  • 0

  • 0

  • 0

  • 0

  • 0

  • icon-mail
  • icon-print
  • icon-hatena
  • icon-line
関連タグ タグをフォローすると最新情報が表示されます
あなたの投稿

    PR

    PR

    PR

処理に失敗しました

人気のタグ

投稿したコメントを
削除しますか?

あなたの投稿コメント編集

機能制限のお知らせ

現在、コメントの違反報告があったため一部機能が利用できなくなっています。

そのため、この機能はご利用いただけません。
詳しくはこちらにお問い合わせください。

通報

このコメントについて、
問題の詳細をお知らせください。

ビジネス+ITルール違反についてはこちらをご覧ください。

通報

報告が完了しました

コメントを投稿することにより自身の基本情報
本メディアサイトに公開されます

必要な会員情報が不足しています。

必要な会員情報をすべてご登録いただくまでは、以下のサービスがご利用いただけません。

  • 記事閲覧数の制限なし

  • [お気に入り]ボタンでの記事取り置き

  • タグフォロー

  • おすすめコンテンツの表示

詳細情報を入力して
会員限定機能を使いこなしましょう!

詳細はこちら 詳細情報の入力へ進む
報告が完了しました

」さんのブロックを解除しますか?

ブロックを解除するとお互いにフォローすることができるようになります。

ブロック

さんはあなたをフォローしたりあなたのコメントにいいねできなくなります。また、さんからの通知は表示されなくなります。

さんをブロックしますか?

ブロック

ブロックが完了しました

ブロック解除

ブロック解除が完了しました

機能制限のお知らせ

現在、コメントの違反報告があったため一部機能が利用できなくなっています。

そのため、この機能はご利用いただけません。
詳しくはこちらにお問い合わせください。

ユーザーをフォローすることにより自身の基本情報
お相手に公開されます