- 2006/08/17 掲載
【CIOインタビュー】 山崎文栄堂 代表取締役社長 山崎 登氏
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山崎文栄堂 代表取締役社長 山崎 登氏 |
山崎 登 (Noboru Yamazaki)
山崎文栄堂 代表取締役社長
精密機器メーカー・先生機器、リコー販売店・カネタカを経て、1993年、祖父が創業した会社、山崎文栄堂に入社。
アスクルの代理店になるなど新事業を展開。
アスクルエージェント1500社中5位の実績に。
2005年5月に経済産業省IT経営百選最優秀企業認定。
2002年9月より現職。
他業種/異業種に圧迫され
消えゆく町の文房具店
その昔、文房具と言えば学校の近くやオフィスの近くの文房具店で買っていた。しかし今、街のいたるところにコンビニやスーパーが建ち並び、郊外にはホームセンターが点在し、そこで文房具を購入するのが日常となっている。大きな文房具店であれば、オフィス向け什器やコピー機、FAXなどを官公庁や企業に売って収益を得ることもできるだろうが、それができない昔ながらの町の文房具屋は徐々にその姿を消していっている。
渋谷に居をかまえる山崎文永堂も、昔は周辺のオフィス向けに商売をしていた。しかし今では、オフィス関連商品の販売だけでなく、逆に顧客に働きかけ、顧客に満足を届けるという思いから、快適なビジネス環境の提案/改善という、今注目を集めているファシリティコンサルティングサービスを展開し、企業経営サポートの分野にまで事業を拡大している。
オフィス用品の購買を効率化するコンサルティングはもちろん、空間活用や風水を取り入れた「結果が出るオフィス」、出逢った人に幸せを与える言葉を商品化した「感動名刺」など、独自の視点から開発したユニークな商品/アイデアでクライアント企業を喜ばせようとしているのだ。今では、取引社数が2万5000社にのぼる。つい10年前まで年商1億だった会社が、今では25億円を売り上げる会社へと変わった。
4年連続で赤字。わかりやすいサービスを求める日々
その新生・山崎文栄堂を引っ張るのが、3代目社長の山崎登だ。山崎は高校卒業後、静岡県にある精密機械メーカーで生産管理を3年、コピーなどの営業を3年経験した後、25歳の時に実家の山崎文栄堂へ戻ってきた。場所がら、近くのオフィスが主な客だったが、利益が少なくなり倒産の危機を迎える。冒頭でも書いたように、文房具を買う場所が移り変わってしまい、毎年10%ずつ売り上げが減っていった。4年連続で赤字を記録し、銀行からも見込みがないとそっぽを向かれた。渋谷中の銀行を巡り、なんとか金を工面してくれる銀行を探した。その頃山崎には、文具業界の在り方について疑問があった。
「昔、お客様に無理をしてでも商品をお届けしたとき、『ありがとう』とは言ってくださるのですが、あまり喜んでいただいていない気がしたんですね。助かったとは思ってるのは間違いないのですが、何か使い走りみたいだなと感じたんです。使い走りじゃ喜ばれないのは当たり前なので、頼んだものがいくらで、いつ届くとか、ここに載ってるものは明日届きますよとか、お客様にわかりやすくするのがサービスだと思ったのです。」と山崎は言う。
商品をいつ頼めばいつ届くのかや、その値段はいくらなのかがわからない、と顧客から苦情を言われることがあった。それは業界特有のわかりにくさから由来すると山崎は考え、もっと分かりやすいサービスへシフトする必要があるという結論に達した。「わかりやすいことがお客様へのサービス」だと肝に銘じ、通販の取り扱いを始めた。
「次の日に商品が届くのがわかると仕事の段取りができますよね、と一件一件お伝えし、多少なりとも利益を上げることができ、次にはそのお金でチラシを配ろうとか、お客様への分かりやすさを高めるため1つひとつやっていきました。」
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