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- 2024/07/06 掲載
「このままでは見殺しだ」能登地震から半年、無策で進まない復興と被災地の現実
連載:小倉健一の最新ビジネストレンド
「まだ水すら…」被災地で進まない復旧作業
「本当に馳さん(馳浩石川県知事)はいい加減なことばかり。地震から半年経っても何一つ復興が進んでいない。進んでいないどころか、ほとんどが震災直後のまま…輪島の朝市だって、テレビがきてやったぐらいで、何もかもが1月1日のままほったらかし」そう怒りをあらわにするのは、山形洋子さん(70歳、仮名)だ。山形さんは30年間、東京と輪島を往復してビジネスをしている。2024年1月1日起きた能登地震から、約半年たった6月20日に、筆者は石川県能登地方にある輪島市に訪れた。山形さんは続ける。
「ガレキの撤去も何一つ進まず、倒れたビルはそのまま。上下水道とも水が来ないから、飲食店も、ゴーゴーカレーとか数えるぐらい。ホテルはお風呂が使えるのはルートインしか探せていない」
実際に、公式情報などで能登の状況を確認すると、石川県観光サイト「ほっと石川 旅ねっと」には、2024年6月24日現在、「灯りが見えたら営業中」という注意書きで道の駅の飲食店が1店舗、そしてゴーゴーカレーの営業が確認できた。「ルートイン輪島」は営業を行っているようだが、ネット予約は行っておらず、電話予約のみだ。ネット環境が万全ではないのだろうか。
2024年6月21日付の北國新聞には、生活情報【給水】の項目があり、輪島市もほぼ全域で給水活動がいまだに行われている。ほかにも輪島市において支援物資の配布や入浴支援が行われていることが確認できる。
震災から半年、復興どころか、復旧すらまともに進んでいない。
現在も「2000人以上」長期化する避難所生活
輪島市は「能登地震」で最大震度7を記録し、大きな被害を受けた地域である。実際、この地域は17年前の2007年3月25日に発生した「能登半島地震」(マグニチュード6.9)でも震度6強を記録し、多大な被害を受けた経験を持っている。そのときから、被災した住居を再建することは容易ではなかったため、多くの住民が17年前の地震のダメージを抱えたままの家で生活せざるを得ない状況にあった。今回の地震がこのような脆弱な地域にさらなる打撃を与えたわけである。
今回の地震による輪島市全域の住家被害は、2024年5月8日現在で1万4816棟に上り、世帯数(1万887世帯)を超えている。さらに、半壊以上の被害を受けた住家も8546棟に達し、これは世帯数の約8割に迫る数である。
このような甚大な被害により、地域全体が大きな課題に直面しており、復旧に向けた取り組みが急務だ。さらに、地震前は朝市が開催され、賑わっていた朝市通りは火災で大きな被害を受けてしまった。
「大地震が発生してからおよそ1時間10分後の、1日午後5時23分頃、奥能登広域圏事務組合消防本部が火災の知らせを受けた。火災発生場所は、河原田川右岸のいろは橋詰の南、輪島市河井町の朝市通り近くと見られた。地震による断水や津波への恐れで海へも近づけず、消火活動が遅れる中、北東方向に向かって火は燃え広がり、朝市通りと呼ばれる本町商店街周辺を焼きながら拡大した。消防は翌2日朝、7時半頃に火災を鎮圧し、6日午後5時10分、鎮火した。焼失面積は約4万9000m、店舗や住宅など焼損棟数は約240棟に上った」現地で確認する限り、重機が数台入って焼け跡の撤去作業が続いているが、まだまだこの平地にするだけでもしばらくの時間がかかりそうだ。2024年6月21日現在、輪島市では22の避難所に、441人の避難者が生活している(被災地全体では1143人に加え、2次避難の県避難所に1291人の避難者がいる)。(情報誌『能登』2024年春号)
上下水道が通らなければ、飲食店は開けない。筆者も輪島で食事をすることは諦めて金沢市内へ向かった。最寄りの空港「のと里山空港」には、1日1便しか航空機がなく(到着すると1時間もたたないうちに帰りの便がでてしまう)、日帰りができない上に、宿泊施設がほとんどないとなれば、地元民か、復興復旧業務にあたる人でないと能登へ行くのは難しいということになる。
ただ、もし観光客が来たところで、朝市もなければ、建物は倒れたままではあるので観光できるところがそもそもないという問題はある。 【次ページ】輪島の復旧・復興が進まないのは県庁だけの責任か
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