- 2026/09/07 06:40 掲載
ワインさえ「AIソムリエ」の時代が到来? 人間が担う「最後の仕事」の意外な正体(3/3)
味の好みを「本人より理解」するAI?
消費者側にも変化が及ぶ。世界最大のオンライン・ワイン・マーケットプレイスVivinoは、6000万人を超えるユーザーの評価データを抱える。創業者ハイニ・ザチャリアッセン氏のこんな述懐がある。「私自身は気づいていなかったが、Vivinoのアルゴリズムは、私が好まないシャンパンがすべてシャルドネベースであることを見抜いていた」
これは示唆に富む。私たちは自分の好みを、思っているほど把握していない。「なんとなく苦手」の裏に、明確な統計的規則性が潜んでいる。自分で自分に問いかけるより、日々の選択の積み重ねのほうが、よほど正直に本音を語っている。
LVMH傘下のMoet Hennessy Wine Estatesが2024年に発表した『Divine(ディヴァイン)』となると、もはや演出の域に入る。Unreal EngineとMetahuman技術によって生み出されたこの『動く肖像画』が、ふいに命を吹き込まれたように自然な表情で語りかけ、対話の中からゲストの好みを汲み取って最適な一本を提案する。技術デモとしては見事だ。ただ正直に言えば、これが「便利」になるかどうかより、「気持ちいい」かどうかで評価が決まる領域である。ラグジュアリーとは常にそういうものだ。
600本から選定する「AIソムリエ」が登場
そして極めつけがWineCab社の「WineWall」だ。高さ15フィート、600本を収める壁面セラー。7軸の高速ロボットアームが、ボトルのロード、スキャン、サーブまでを担う。顔認識でユーザーを識別し、理想的な温湿度でコレクションを守る。搭載AIは最大60万種のヴィンテージを識別し、「78年のボルドーはステーキに合うか?」といった問いにも即答する。価格は18万ドル前後から。
これは道具ではなく、舞台装置である。
合理性で買うものではない。ゲストがリビングに入った瞬間、アームが静かに動き出し、一本を差し出す。あの数秒の演出に金を払っている。ワインセラーはこうして「保管設備」から「体験のインターフェース」へと役割を変えた。それを俗と斬るのは簡単だが、豊かさの形が変わったと見るほうが、たぶん実態に近い。
「神業」実現にもう人間は不要なのか
しかし筆者は、むしろ逆だと思っている。
AIが得意なのは、徹底して「客観」の領域だ。この液体は何か。どこで生まれたか。統計的にどう評価されるか。それは重要な仕事であり、人間が担うには不確かすぎた仕事でもある。だからAIに渡せばいい。
そして客観が外部化されたとき、人間の手元に残るのは「主観」という、最後にして最良の仕事である。
今日、この人と、この料理と、この光の中で、この一本はどう響くか。相手が抱えている疲れや高揚をくみ取って、何を注ぐか。それは60万種のデータベースには載っていない。なぜならその答えは、今目の前で生まれつつあるからだ。
分かった、と思った瞬間に、味は痩せる。
冒頭に戻ろう。
ワインとの対話とは、完璧な味覚を持つことではない。予想を超える豊かさに、いちいち驚ける感性を保つことである。
「このワインは理解している」──この一言が、グラスから発見を追い出す。危険なのは知識そのものではなく、知識がもたらす安心感のほうだ。
AIは、その安心を心地よく壊してくれる相手にもなり得る。自分が気づかなかった好みの構造を突きつけ、思い込んでいた評価に別の角度を差し込む。うるさい友人のような存在だ。
その日の体調や気分で表情を変えるワイン。それを面白がる人間の繊細さと、膨大なデータを解析するAIの精緻さが噛み合ったとき、グラスの中にはたしかに、これまでなかった広さが現れる。
古代から続くワイン文化は、驚くほど頑固でありながら、驚くほど新しいものを飲み込んできた。今回もきっと、同じことが起きる。
次の一杯は、何も知らないふりをして飲めばいい。無知を装える者にだけ、世界はまだ驚きを取っておいてくれるのだ
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