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- 2016/10/07 掲載
本当は「使えない」アドラー心理学『嫌われる勇気』がベストセラーになった理由

『嫌われる勇気』が出版されるまで
まず司会進行の松井氏は、両者にアルフレッド・アドラーとの出会いについて訊ねた。岸見氏が、アドラーと出会ったのは、子どもがきっかけだった。子どもがなかなかいうことを聞いてくれず悩んでいたとき、たまたま教えてもらったのがアドラーの本だった。「初めてアドラーを読んで、本当に目から鱗の100倍ぐらい衝撃を受けました。私自身は哲学の研究者でしたが、それ以来、アドラー心理学を多くの人に知ってもらいたいと思い、原本の翻訳などを通じてアドラーを紹介してきました」という。
一方、バトンズの古賀氏は、その岸見氏が翻訳した「アドラー心理学入門」を読んで、頭を打つような大きな衝撃を受けたひとりだった。当時まだ20代のライターだった同氏は、次のように回想する。「ひねくれた自分の考えを一変させてくれる本でした。もっと岸見先生にアドラーについて語ってもらいたいと願い、出版社に企画を持って行ったが、なかなか実現しなかったんです。その後、新聞社の仕事で岸見先生に取材をさせていただきました。それが岸見先生に初めてお会いしたキッカケになりました」。

松井氏は「この部数は、出版社としては少し期待する程度のものでした。当時アドラーという名前は、心理学を学ぶ一部の人しか知りませんでした。しかし、それが大ベストセラーになったのは、この本が単にアドラーの本というよりも、岸見さん・古賀さん両者の思想が込められた本だからだと思います」とし、両者の思いについて詳しく訊ねた。
「売れる・売れない」の問題ではない翻訳作業
岸見氏は「アドラー心理学入門を1999年に出版しましたが、入門書は日本で初めてでした。その後も、ほとんど一般に知られることはありませんでしたが、とにかく地道に原典の翻訳を続けてきました。そうすれば、いつか誰かが目をとめてくれるはず。とても大変な作業でしたが、やらないといけないという使命感がありました」と内に秘めた思いを明かす。実際にアドラーの原著を翻訳する作業は困難を極めた。もともとアドラーは、ドイツ語圏であるオーストリア出身だったが、のちに米国に渡った。慣れない英語で出版していたため、部分ごとに表現が変わったり、まったく異なる言葉で説明されることもあった。
「アドラー心理学について、十分な知見がないと翻訳できない内容でした。数十年にわたり残っていく遺産のような翻訳を、岸見先生がこつこつと成し遂げてくださったわけです。この地道な活動について、もっと評価してもらいたいと思いますね」(古賀氏)
これを受けて岸見氏は「売れない本なのに、よく頑張れましたねと言われましたが、当時はまったく違う次元で仕事をしていたんですよ。私にとってアドラーはグル(導師)でもなく、友人のような感覚でした。機械的な翻訳ができない相手です。文章を読み解きながら対話をし、翻訳していった覚えがあります」と応えた。
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