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  • 2025/07/07 更新

米国市場の王者争う「任天堂 vs SEGA」、今も続く…激しい攻防戦の裏で何が起きてる?

連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第30回)

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1980年頃から壮絶な開発競争が繰り広げられてきた家庭用ゲーム業界。先頭を走り続けていた任天堂を一時期追い詰めた企業がいた。それがSEGA(以下、セガ)だ。そしてその戦いは現在も主戦場を米国に移し続いている。スーパーファミコン vs メガドライブ、マリオ vs ソニック──。今回は、日本本社と米国支社の調整に葛藤しながらも、任天堂に挑み続けるセガの戦略を解説する。
執筆:エンタメ社会学者、Re entertainment代表取締役 中山 淳雄

エンタメ社会学者、Re entertainment代表取締役 中山 淳雄

東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在し、日本コンテンツ(カードゲーム、アニメ、ゲーム、プロレス、音楽、イベント)の海外展開を担当する。早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、シンガポール南洋工科大学非常勤講師も歴任。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。『推しエコノミー「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)、『オタク経済圏創世記』(日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書)など著書多数。

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任天堂越えに挑んだ…セガの作戦がスゴイ?
(Photo:Interneteable / Shutterstock.com)

任天堂 vs セガ戦争時代、繰り広げられた「ゲーム開発競争」

 業界最大手の任天堂に挑んだセガだが、同社の競争力を支えてきた重要キャラクターが、青いハリネズミを擬人化したキャラクターの「ソニック」だ。1991年に家庭用ゲーム機「メガドライブ」のゲーム作品としてデビューした。誕生した当時は、「任天堂 vs セガ戦争」の大時代、両社は家庭用ゲームのプラットフォームで大激戦を繰り広げていた。

 たとえば、セガの家庭用ゲーム機「SG1000(1983年)」に対し、任天堂が「ファミリーコンピューター(1983年)」の販売台数で勝利を収め、その後、セガが「セガ・マークⅢ(1985年、米国名マスターシステム)」で780万台といった記録を打ち立て1980年代においてはハードで成功するも、任天堂が「ディスクシステム(1986年)」でそれに続くなど、両社は激しい開発競争を繰り広げていた。

 そうした中、ソニックが誕生したキッカケとなったのが、セガの黄金期を作り出した3000万台越えの大ヒットゲーム機「メガドライブ(1988年、米国名ジェネシス)」だ。メガドライブを開発する際に、「任天堂のように長く愛されるキャラクターが欲しい」という中山隼雄社長の要望に応える形でソニックは生まれたという。

 このメガドライブ(米国名はジェネシス)は、日本では任天堂「スーパーファミコン(1990年)」に押し負けるも、1990年代前半に米国で任天堂以上にセガブランドを引き上げた。それはなぜか。そこにはソニックというハリネズミキャラクターがいたからだ。

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【図解】ソニック誕生により、セガはどれだけ稼ぐことができたのか?
(記事の後半で解説します)

セガの救世主?キャラモチーフに「ハリネズミ」が選ばれた理由

 ソニックの生みの親は、1984年にセガに入社したプログラマーの中裕司氏、1987年に入社したキャラクターデザイナーの大島直人氏、1988年に入社したゲームデザイナーの安原広和氏の3人だ。

1ページ目を1分でまとめた動画
 任天堂のマリオをベンチマークし、もともと「マークⅢ」時代に、社内でマスコットキャラクターのコンテストが行われ、「アレックスキッド」という猿の擬人化キャラクターが採用されていた。1980年代後半に7本ものゲームも作られていたが、あまりに不発であり、1989年を最後に制作されなくなっていった。

 そうした中、入社3~7年目の新人たちが集まり、 “猿のキャラクターの代役”として考えたキャラクターは最初、犬・猫・チーターなど、さまざまな動物案から「耳の長いウサギ」となっていた。しかし、ニューヨークでキャラクター案について街頭アンケートをとってみると、ハリネズミが1番人気という結果になったのだ。

 「フィリックス・ザ・キャットの顔をミッキーマウスの体に付けたらああなった」という大島氏のコメント通り、当時の日本人から見た「アメリカで売れているってこういうことだろう」と安易に考えられたようにも見える。大島氏はこのハリネズミを「ミスター・ニードルマウス」と呼んでいた。

 このキャラクターは、社内評判は芳しくなかった。1989~1990年にSOA(セガ・オブ・アメリカ)の社長だったアタリ出身のマイケル・カッツ氏に見せたところ、即座にダメ出し。「卵はばかばかしいアイデアだし、ハリネズミの方もまるで意味不明だ」。カッツ氏に「セガを崩壊に導く疫病神」とすら言われたが、本社SOJの中山社長の独断でゲーム開発が決まる。

日本 vs 米国支社の対立、ゲーム開発「超大変だった時代」

 日本本社が開発したゲームソフトと米国支社のマーケティング部門、この対立はどの会社にもあった当時の風物詩だ。たとえば、任天堂はNOA(ニンテンドー・オブ・アメリカ)から「『ゼルダの伝説』は設定がややこしすぎる」「イタリア人の配管工をヒーローにするのは最低のアイデアだ」といったフィードバックを受けてきた。

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