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- 2024/12/15 掲載
レジェンド武豊に学ぶ、なぜ小さな仕事でも「全集中」で取り組むべきか
東京大学文学部社会学科卒業後、1967年 NHK に入局。主にスポーツアナウンサーとして、モントリオール(1976年)及びレークプラシッド(1980年)オリンピックをはじめ、全米オープンテニス、全米オープンゴルフ、プロ野球、高校野球など国内外のさまざまなスポーツの実況中継を担当。また、「ニュースセンター9時」「NHKニュースワイド」などの報道番組のキャスターも務めた。1985年2月 NHK 退局後、フリーに。TBS「朝のホットライン」、日本テレビ「ザ・ワイド」、テレビ朝日「草野☆キッド」、テレビ東京「主治医が見つかる診療所」など数多くの情報番組、バラエティ番組の司会を務めた。中でもTBS「日立 世界ふしぎ発見!」は38年も続く驚異的長寿番組となった。著作も多く、近著に2013年『話す力』(小学館)、2015年『老い駆けろ!人生』(KADOKAWA)などがある。
猛者がゴロゴロ、任される番組もマイナーなものばかり
私がNHKに採用されてアナウンサーとしての研修を終えた後、最初に赴任したのは鹿児島放送局でした。その後福岡、大阪と、地方局での勤務を経て、東京に戻って来られたのは入局して11年目のことでした。NHKのアナウンサーが10年ほどで東京に帰ってこられる割合は、おおむね5人に1人。結構「狭き門」です。私は幸運だったと言ってもいいと思います。主にスポーツを担当していました。
「○○という仕事について10年」といえば、一般的には、ある程度キャリアを積んできたと言えるでしょう。
しかし、東京のアナウンス室には、15年、20年、25年、さらにそれ以上のキャリアをもつ猛者がゴロゴロしています。私はいちばん下っ端でした。
ですから任される番組も、「NHK杯学生フェンシング大会」や「NHK杯学生馬術の障害飛越」など、一般的には話題に上ることの少ないものばかりでした。
1年に1度の放送を楽しみに待っている人たちがいる
しかしそのときにふと、この大会に出るために切磋琢磨してきた選手たちや、選手を支えてきたコーチ、応援してきた家族や友人の存在に思いが至りました。彼ら選手の活躍を見るために、1年に1度の放送を楽しみに待っている人たちがいる。だから、一般の視聴者の関心が薄いからといって、決しておろそかな放送をしてはならない。選手にとっては大切な場所なのだから、それに値するような放送をするべきだ。そう思ったのです。
そこで、放送中にどんなことが起きてもきちんと解説ができるよう、各競技ルールに精通しておくように努めました。また、選手たちをよい形で紹介できるよう、可能な限り取材をすることも心がけ、必死に取り組みました。
組織というのは面白いもので、一人ひとりの仕事ぶりを、ちゃんと見ている上司がいます。あるとき「ここまで結構、一生懸命にやってきたな。来年はひとつニューヨークに行って、全米オープンテニスの中継をやってみろ」と声をかけられました。
この経験によって感じたのは、小さな仕事に全神経を集中してやり遂げるという経験を積み上げていってこそ、大きな仕事に取り組んだときに、実力を発揮できるのだということです。
仕事を通じてそのことを感じ取れたのは、私にとって、とてもよい経験でした。 【次ページ】武豊さん、朝2時からの仕事「大変だと思ったことは一度もない」
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