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- 2025/05/09 掲載
ついに終焉の「井阪セブン」、大迷走の買収劇は「あのお家騒動」が元凶と言えるワケ
連載:大関暁夫のビジネス甘辛時評
株式会社スタジオ02代表取締役。東北大学経済学部卒。 1984年横浜銀行に入り企画部門、営業部門の他、新聞記者経験もある異色の銀行マンとして活躍。全銀協出向時にはいわゆるMOF担を兼務し、現メガバンクトップなどと行動を共にして政官界との調整役を務めた。2006年支店長職をひと区切りとして独立し、経営アドバイザー業務に従事。上場ベンチャー企業役員を務めるなど、多くの企業で支援実績を積み上げた。現在は金融機関、上場企業、ベンチャー企業などのアドバイザリーをする傍ら、出身の有名進学校、大学、銀行時代の官民有力人脈を駆使した情報通企業アナリストとして、メディア執筆やコメンテーターを務めている。
ついに到来「井坂セブン」の終焉
以前の連載で、セブン&アイに対する、カナダのACTからの買収提案に関して取り上げましたが、その後、創業家による買収提案の断念、社長交代と相次いで、状況に急激な変化が出てきました。先行きは依然として不透明ですが、ここに至った要因を探るべく、今回は、退任した井阪隆一社長の9年にわたる経営の功罪を検証してみたいと思います。そもそも、井阪セブン&アイはいかにして誕生したのか、そこから振り返ってみましょう。
井阪氏は、大学卒業後コンビニチェーンのセブンイレブン・ジャパンに入社し、主に食品畑を歩んで2009年に社長に就任します。同時にセブン&アイ取締役兼務となり、同社CEOで「小売りの神様」と呼ばれたカリスマ経営者鈴木敏文氏の下で、コンビニ事業の責任者として業績の伸展に従事することになります。
同氏は社長を7年間務めた2016年に、鈴木氏から退任を突き付けられます。ところが、取締役会でこの人事案は否決。鈴木氏は逆に退任に追い込まれ、井阪氏は、セブン&アイ社長としてグループトップの座に就く「下剋上」が起きたことは話題を呼びました。
当時、業績が好調であった中、鈴木氏が井阪氏に退任を申し付けたのは、「セブンイレブンの社長として物足りなさがあった」からであるとし、具体的には「セブンイレブンの経営方針はずっと私(鈴木氏)が出し、彼はそれに従ってきただけ」と、その理由を自身の退任会見で明らかにしています。
なぜ井阪氏の「下剋上」が成功したのかですが、そこには鈴木氏とグループの祖業であるイトーヨーカ堂創業者でグループオーナーである伊藤雅俊名誉会長(当時)との確執が関係しているとされています。
両者間での確執の存在は、鈴木氏自身が退任会見で示唆しています。この確執が、取締役会で井阪氏の退任案が否決を生み、鈴木氏の退任と井阪氏のグループトップ就任という結果を引き起こしたと言われているのです。 【次ページ】お家騒動こそが「すべての元凶」と言えるワケ
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