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  • 2011/12/27 掲載

【小田嶋隆氏インタビュー】ネットでものを書くということ――地雷と正義に囲まれた「コラム」の行方

『地雷を踏む勇気』『その「正義」があぶない。』著者 小田嶋隆氏インタビュー

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人気コラムニスト・小田嶋隆氏が、『日経ビジネスオンライン』の連載をもとにした書籍を二冊立て続けに刊行した。『地雷を踏む勇気』(技術評論社)と『その「正義」があぶない。』(日経BP社)の二冊は、現代の扱いが難しい諸問題を無理に結論を出すことなく、きちんと考えようとするスタンスに貫かれている。著者の小田嶋隆さんに、この新刊二冊を軸としてお話をうかがってきた。

「分からない」というスタンス

――『日経ビジネスオンライン』の連載「ア・ピース・オブ・警句」(以下、「警句」)に収められたコラムの多くは、小田嶋さん個人の「違和感」を出発点に書かれているという印象があります。テーマを選ぶ基準や、選び方について教えてください。

 小田嶋隆氏(以下、小田嶋氏)■連載開始当初は、世の中に出回っている言葉(キーワード)を挙げていき、それに絡めて何かを書くということだったんです。原稿用紙5枚くらいの分量で、例えば「草食系」って言葉が気になれば、本来はこういう意味なんだろうけど自分はこう思うんだ、という話を展開するわけですね。それくらいの、いわば箸置きみたいなものを考えていました。でも途中からだいぶ長くなっちゃったんですよね。

photo

『地雷を踏む勇気』

――なぜ長くなったんですか?

 小田嶋氏■時々、『日経ビジネスオンライン』のコメント欄に「金欲しさに長くしてるんだろ」とか書かれるんですけど、長くても短くても原稿料は一緒ですから(笑)。あと、短いから楽で長いから大変とか、そういうこともないんですよ。ある時、何かの原稿が長くなってしまって、編集者に「今回は削れなくて……」と言ってみたら、「別に構いません、長いぶんにはOKです」とのことで。それ以来、ですね。

 本来であれば、本題からズレてしまっても、何千文字オーバーしてもとにかく通して書いてしまい、最後に削って定型的な、引き締まった形にする、というのが私の文章の書き方なんです。でも、Webだとズレてしまった部分も全部入れることができる。で、それも流して読んでもらえたらいいのかな、と。書き方というよりも、編集の仕方の問題ですね。

――ある程度長さがあると、書き手の思考の流れみたいなものが見えて面白いですよね。

 小田嶋氏■でも、それが好きな人と嫌いな人がいるんです。コラムらしくきれいに話が流れていって、最後にストンと着地する、そういうのを想定している読者は「おい、この話どこに行くんだ?」って思うわけで。だから最初のうちは、きれいに落ちる、わかりやすいテーマを選んでいました。でも長くなってしまってからは、「これはやっかいだな」「これどういうことなの?」と考えあぐねてしまうようなことをテーマに選ぶようになって、それが『地雷を踏む勇気』(以下、『地雷』)における地雷感とかに繋がっていったんじゃないでしょうか(笑)。

 これがもし紙媒体での短いものだったとしたら、きれいに論旨が運べないから、やっかいなテーマにはあまり手を出さなかったと思うんです。きっちりしたコラムだと、落しどころがあって論理の流れがあって、というのが大前提になので、「警句」で取り上げたようなテーマは荷が重いわけです。なので、そういう意味では、この連載が始まってから私の書き方が変わったとも言えますね。本来の意味でのコラムニストって、きちんと自分が料理できる素材で、見栄えよくチャチャっと気の利いたものを作っちゃう人、ってイメージですよね。包丁技の冴え、みたいな。でも私のは焼いたり叩いたり煮込んだり、しかもなんだかよく分からない食材も入っていて、もうゴチャゴチャ(笑)。

――闇鍋みたいに何が入っているか分からない(笑)。

 小田嶋氏■少し前にTPPについて書いた回がそうだったんですが、何かについて「どうなんだろう?」って考える過程を見せる論説があってもいいんじゃないかなって。あっちから見ればこう見られるし、こっちから見ればああ見える。だからあの回は「あ、ちゃんと着地しなかったね、ちゃんちゃん」みたいなものになっているんです。ただ、いくつかの問題については、クリアカットに「こうですよ」って言えるものではないし、言っている人の論議っていうのも非常に貧しかったりする。TPPにしても、賛成派も反対派も分かり切ったことを妥協点もなく言っているに過ぎないわけで、だったら真ん中に立って「分かんない」って言ってる方が、いっそ信頼できるんじゃないかなって。

 論壇にいる人たちって、AかBかどちらかの結論を持ってからじゃないと議論に参加できないでしょ? だから、この「分からない」っていうのは、私にとって新しいスタンスだったわけです。『この〈正義〉が危ない』(以下、『正義』)の前書きで、「正義」について書いているんですが、マイケル・サンデル的な議論の運び方とでもいうのかな、結論ありきで何かを言うことが正義とされる、そんな考え方に対する気持ちの悪さは持っていますね。

「斬る」のではなく「つつく」

――『地雷』において、時事ネタの賞味期限の短さについて書かれていますが、しかしこうして書籍になったものを拝読していても特に古さを感じないのは、出版されたタイミングもありますが、何より原発問題のような解決の見通しが立たない、現在も進行中の案件に関する文章が多数収められているからかなと思ったのですが。

 小田嶋氏■本来、時事ネタは賞味期限があるはずなのに、ここに収録した文章に腐った感じがしないのは、私が取材結果、情報、データなんかに立脚したもの書きじゃないからだと思います。記者や学者は、今一番アクチュアルな原発の情報はこれです、自分が取材した結果はこうで、こう解釈しなければなりません、って書くわけですけど、それってその時点ではものすごく大切なことだし、みな興味を持つわけだけど、2週間も経つと「あー、そういえばあったよね」となっていたりする(笑)。でも、一次情報に基づいて書かれたものは、それが避けられない。

 一方、私の場合は、現場に近づかず、遠くの方から見ているので、書いた文章が時間が経てもほとんど変わらないわけです。震災で言えば、現地に赴き、そこに住む人の生の声を聞いて書くと、それは素晴らしく臨場感のあるものになる。でも、臨場感というのは一番先に消えていくんです。つまり一番説得力はあるけれど、一番賞味期限も短い。「警句」にはコメント欄があるんですけど、そこに寄せられる意見の中に、「現場にも行かず、座ってテレビばかり見ているやつが何言うんだ!」というものが一定数あります。でも、コラムっていうのは、そもそもそういうものでもあるんです。そりゃその人たちが求めているであろうルポルタージュ、ジャーナリズムというものが取材せずに書いたり、架空の話を書いたらそれは問題ですけど。「お前のは感想文じゃないか!」って言われれば、「その通りです」と声を大きくして言いたいですね。

――進行中の話題について書くことの難しさはありますか?

 小田嶋氏■とても難しいです。でも、自分が今考えていることをなるべくそのまんま書こうとすると、どうにかなります。何らかの結論を出そうとか思って書くと、すごく嘘くさいものができあがるんです。だから最後のオチなんかも、技巧上つけているシャレみたいなものというか、本編とまるで関係なかったりすることもありますし、結論ではないんですね。ああしたオチをつけることで、「あーでもないこーでもないと引っ張り回されて、結局結論は出なかったけど、結果いろいろ考えさせられたな」という気分になってもらえたら成功かなと。時事問題って、そうやって扱うしかないというか、あまりにも幅が広いじゃないですか? 池上彰さんがやっているようなのは本当に奇跡的なことであって、普通は無理です(笑)。

 だから「分からない」あるいは「俺の目にはこう見えるぞ」というところから始めるしかない。それと同じように、「正しい/間違っている」は言えないけど、「好き/嫌い」とかなら言えますよね。だから私は一刀両断にはしない。「斬る」のではなく「つつく」ということですね(笑)。

――先ほど「取材に行っている/いない」というお話がありましたが、コラムというのは、テレビ、新聞、雑誌など、一般の人が得られる情報のみに基づいて書かれている、ということも言えますね。

 小田嶋氏■かつてナンシー関さんが、あくまでテレビを見る側に留まり、そこで得られる情報だけで書く、といったことをおっしゃってましたが、言われてみたら自分もそうだなと。サッカーとかだと取材することも稀にありますが、それ以外では、視聴者や読み手と対等な情報しか持っていない。それでも違った視点を提供できる、というちょっと名人芸みたいなところがあります。

 コラムとルポの一番の違いはそこにあって、ルポなりジャーナリズムは、読者が行けない取材現場に「僕が代わりに行ってきますよ」というようなものでもあり、それはとても意義がある。でも私は絶対にしない、それどころか意識的に避けているところがある。そうじゃないと自分がジャーナリスティックなものを書かねばならなくなる。そうなると無責任な感想が言えなかったり、取材に立脚したものの書き方を自分に強いなければならなくなって、すごく苦しくなると思うんです。確かに現場を見なければ分からないことはあります。けれども、今回の震災なんかがまさにそうですけど、あの福島の瓦礫を見てしまうと、もう感想なんてものがすべてふっとんでしまって、何も書けなくなってしまうんじゃないかなって。

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