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- 2013/07/31 掲載
【片岡剛士氏インタビュー】異次元緩和から消費税増税まで――アベノミクスのこれまでとこれからをどう捉えるか
『アベノミクスのゆくえ』 片岡剛士氏インタビュー
異次元緩和のインパクト
──アベノミクスについては、有識者やマスコミの中でも賛否両論ありますが、『アベノミクスのゆくえ』では、第一の矢である「大胆な金融緩和」こそが、第二の矢である「機動的な財政政策」、第三の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」を適切に作動させるための必要条件としています。本書の発売(2013年4月)と同時期に、日銀のいわゆる異次元緩和が行われましたが、その動きについてどう評価していますか?片岡剛士氏(以下:片岡氏)■「異次元緩和」については、高く評価していますし、すでにさまざまな指標で景気回復の兆候が見られています。日銀が4月4日に発表した異次元緩和について、執筆当初は盛り込めませんでしたが、2刷以降、また電子書籍では内容についての言及も入れています。新しく日銀総裁となった黒田東彦さんは「これまでと次元の異なる金融政策だ」と言い、「消費者物価の前年比上昇率2%という「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に達成・維持する」と発表しました。
これはいままでの日銀には考えらないことでした。政策担当者の政策に対する考え方をレジームと呼びますが、そのレジームを変えることは政策の転換を一般の人に認知させる鍵になります。これまで日銀はデフレの原因が政府にあるかのように責任逃れをしてきましたが、黒田さんは明確にインフレ目標を打ち出して、従来とは異なる立場を示しました。レジームチェンジを明確に宣言したわけですね。
安倍政権ができるまでの金融政策のレジームは、「現在でも十分に金融緩和をやっていて、それでもデフレから脱却できないのは政府の規制緩和が進んでないからだ」とか、「少子高齢化が原因」とか、「中国をはじめとした新興国の安い商品が輸入されてくるからだ」といったものでした。「日銀の金融緩和が足りない」「日銀の金融政策が間違っている」と批判しても、聞いてくれる人はほとんどいない状況だったのです。
──実際のところ、日銀のそれまでの金融政策をどうご覧になりますか?
片岡氏■1985年のプラザ合意以降、日銀の金融政策はずっと間違い続けていました。プラザ合意後の円高不況に対処するために急激な利下げによりバブルを作り、そしてバブルを終わらせるために急激な金融引き締めを行なった。バブル崩壊以降は中途半端な金融緩和しかしないで、景気を十分に回復させることができず、1997年についにデフレに突入してしまいました。
そして1999年に日銀はゼロ金利に踏み込み、ITブームもあって景気回復がはじまったと思ったら、2000年8月に政府の反対を押し切ってゼロ金利を解除し景気後退を促してしまった。そして翌年3月にまたゼロ金利を復活させ量的緩和に踏み切って景気が回復局面に戻ったのに、2006年3月にはデフレ脱却を待たずに量的緩和を解除し、同年7月には政策金利を引き上げました。そのため2008年2月から日本は再び景気悪化局面に突入し、8月のリーマン・ショックを迎えるわけです。
リーマン・ショック以降、欧米諸国は大規模な財政・金融政策に踏み切りました。その時期の日本は、財政政策は行ったものの、一方で日銀の金融緩和は他国と比較して見劣りするもので、デフレと円高は深刻化してしまいました。その結果、リーマン・ショックの震源地でないはずの日本への影響が深刻となり、いつまでたってもデフレから脱却できないという状況になってしまったのです。そして東日本大震災が起こり、野田政権のもとで消費税増税が決まるという流れでした。
野田政権当時は本当に手詰まり状態で、日本経済がよくなる可能性がまったく見出せませんでした。それなのに世界と同じ水準の金融政策をやったほうがいいと言うと、周りから石を投げつけられるような状況でした。
──そのような状況で新政権が誕生したのですね。
片岡氏■はい、安倍政権が登場し、大胆な金融政策を掲げ、選挙に勝ったわけです。ちょうど任期が切れる日銀総裁に黒田東彦さんを、副総裁の一人に長年リフレ政策を主張してきた岩田規久男さんをあてたのです。
安倍‐黒田体制となって金融政策のレジームが180度変わり、4月4日の異次元緩和につながります。安倍政権が誕生せずこれまでと同じレジームに沿った政権が誕生すれば、失われた20年が延長されて、失われた30年になることすら、ありえたかもしれません。『アベノミクスのゆくえ』はこういう状況の中で、過去の経済政策を検証し、アベノミクスの三本の矢の考え方を分析し、将来の日本経済の行く末とアベノミクスの落とし穴をできる限り詳しく論じたものにしたつもりです。
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