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機械学習やディープラーニングをはじめとする大規模な統計処理の急速な発展によって、今後の経済、政治、文化全般に大きな影響をもたらすことが日々指摘されている。そこには決して間違いはないが、大切なのは、その変化をいかに正しく理解し、受け入れて行動していくかを考えることだ。自動車の運転手とプロ棋士という、一見して異質な二つの職業(仕事)を比較することで、「AIと仕事」の未来について考察してみたい。
「将棋とAI」の比喩における違和感
大変に個人的なことなのだが、一般的に言われている将棋ソフトに関する比喩について、ずいぶん長いこと、違和感を持ち続けている。
新聞をはじめとする多くのメディアの論説記事でしばしば見かけるのは、「今後、人間の代わりにAIによって多くの仕事が行われていくが、将棋のプロ棋士もその一つである」という主張だ。
こうした主張にはふたつの間違いが含まれている。ひとつは、プロ棋士が従事している主たる仕事とは、一般的に言う「仕事」とは違って「興行」であるということだ。もうひとつは、将棋ソフトはそれを「代替」しているわけでもないということだ。
コンピュータでは将棋の問題は絶対に解けないと思われていたにも関わらず、目覚ましい進歩があったことは事実である。しかし、そこからいきなり「あなたの仕事も、なくなるかもしれませんよ」と飛躍するのは、煽り方として少々雑であると思うのは、筆者だけだろうか。
一方、プレイヤーたるプロ棋士側の意見として「将棋ソフトとの対局は、自動車と生身のランナーが競争するようなものだ」というものがある。将棋ソフトの「読む量の多さ」「終盤のミスの少なさ」「疲労や恐怖と無縁」という特性を、「自動車」に結びつけた感覚である。
しかしこれも、よくよく考えると変である。これが「詰将棋を解く速度」の対決だとするならば、おおむね正確なたとえになっていると言えるだろう。詰将棋は、考慮すべき可能性が限定されており、たしかに「読む量とスピード」の勝負と言えなくもない。しかし、本将棋では「読みの量とスピード」だけではなく、「いかに不要な筋をカットするのか」「その局面をどのような基準で評価するのか」という、より複雑な情報処理が求められるのである。
コンピュータでは絶対に将棋の問題は解けないと思われていた理由は、まさしく「より複雑な情報処理が必要だから」という点だったわけで、ここに配慮された比喩を用いてこそ、我々の社会において現在進行している現象の正しい理解に近づけるのである。
将棋ソフトとは、車の運転における「カーナビ」である
そこで本稿において提案したいのは、「将棋のプロ棋士と将棋ソフト」の関係を「自動車の運転手とカーナビ」にたとえることで、さまざまなことがより適切に理解できるのではないだろうか、ということだ。
カーナビは非常に便利なものである。現在地と目的地を入力すると、ほぼ間違いなくそこにたどり着くルートが示される。これによってどれだけの「道に迷う」という悲劇が回避されたことだろうか。
ただカーナビには難点があって、それが指し示すルートは、いかにもコンピュータっぽいと感じることがあり、熟練した運転手がそれを鵜呑みにしない、ということがある。運転免許を取って間もなかったり、土地勘がなかったりする人は、とにもかくにもまずはカーナビに頼るものである。しかし人間には学習能力というものがあり、何度か走っているうちに、おおよその地図は頭の中に入ってしまう。
ルート選択において人間が反応しがちなのは、「特定の時間帯と場所で必ず発生する渋滞と、その迂回路」だったりする。そこで人間は時に、カーナビの提案するルートに対して「平日夕方に、環八を馬鹿正直に走るのは素人のやることだ」、などと口走ってしまうことがある。
そうしたときの、人間のコンピュータへの侮蔑心はすごい。ビギナーだったあの頃はあれだけ頼りにしていたカーナビに対して、それはないだろうというものだが、過去の恩などさっぱり忘れ去って、あまつさえ「これだからコンピュータは」とのたまうのであった。
この傾向は、「運転のプロ」であるタクシー運転手に顕著である。タクシーには必ずカーナビを搭載しているものだが、彼らは出来る限り、それを使うことをしない。乗客の案内が曖昧で、かつ運転手も不慣れな土地である場合にだけ「ナビ、入れちゃってもいいですか」と確認をとる。そしてそこにはなぜか、不思議な「申し訳なさ」が発生するのであった。
グーグルでキーワードを検索するときも、Excelで数式を活用して損益計算するときも、その種の「申し訳なさ」は発生しない。そこにあるのは対象となる問題が、反復的・線形的、つまり単純なものなのかそうでないのか、という違いである。
将棋ソフトにおいて、「詰将棋で負けても悔しくないが、本将棋で負けると悔しい」という感覚と、「ルート探索行為におけるカーナビへの優越感」は、共通するものがある。
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