- 2026/07/17 06:10 掲載
ピーター・ティールとテック右派生んだシリコンバレーの変質…成功し過ぎた“反体制”(2/3)
生成AIの主戦場は「情報」ではなく「人類の記憶」
──カウンターカルチャーから出てきたテクノロジーが、巨大資本や国家と結びつくようになった。その流れの中で、今は生成AIが新たな争点になっています。武邑氏:今後は情報よりも「記憶」が重要になってきます。そしてAIは人類の膨大な「記憶」に関わる技術産業です。
しかし記憶をストックするだけでは価値を生み出せません。記憶を活性化し、新たな意味を生成する社会的パフォーマンスを発揮するための「解釈」が重要になります。
米オープンAIや米アンソロピックによる新たなAIモデルの開発競争は、人類の記憶をいかに「解釈」して市場で覇権を握るかという権力闘争といえます。
検索プラットフォームやソーシャルメディアが出てきて、それが一般化し、情報が大きな価値を持つ時代が続きました。しかし、ここ15年ほど支配力を強めてきたこれらのプラットフォームは衰退していきます。
たとえば電力会社に対して、私たちは文化的な関心をほとんど持っていません。しかし、電力会社は不可欠です。それと同じように、各プラットフォームはインフラにはなっていくでしょう。必要不可欠ではあるけれど、文化的影響力はほとんどなくなっていく。
──AIが「記憶」を扱うようになると、人間の判断力にも大きな影響が出るのではないでしょうか。
武邑氏:アウトソーシングのようにAIが意思決定の装置になっていくのは、人間の存在価値に深く関わってくる深刻な問題です。
小説『薔薇の名前』で知られる20世紀イタリアの記号論学者・作家のウンベルト・エーコは、1970年代に「新しい中世」という概念を提唱しています。
中世の権力は、1つに統一された巨大な権力ではありませんでした。教会、教皇、ギルド、都市、王侯など、いろいろなところに分断されていました。中世ヨーロッパの混沌とした構造は現代社会に類似しているという発想です。
巨大なプラットフォーム企業や新興のAI企業がしのぎを削り、権力を分散・分断している今は、まさにこの「新しい中世」的状況にあるわけです。
エーコは、記憶を3種類に分けました。エーコは中世を手がかりに言語と記憶について深く考えた思想家です。
1つ目は「有機体的な記憶」です。これは脳や神経、身体に刻まれた記憶です。
この有機体的な記憶はどんどん減衰してきています。いわゆる「身体性」ですね。この身体性を今後どうやって取り戻していくのかということはAI時代における1つ大きな課題になるかもしれません。
2つ目は「植物的な記憶」。これは紙、つまり本です。エーコは本こそが非常に重要な記憶技術であり、絶対に滅びないと考えていました。
3つ目は「鉱物的な記憶」。エーコは石版を念頭に置いていましたが、今は新しい鉱物的な記憶が非常に強くなっている。シリコンも鉱物です。ハードディスクやデータセンター、半導体などが、外部記憶として非常に大きな力を持ってきています。
──中世といえば、ルネサンス期と対比され暗黒時代として語られることが多いです。
武邑氏:中世を単純に暗黒時代と捉えると、見えなくなるものがあります。
15~16世紀にイタリアでルネサンスが生まれたとよく言われます。しかし実際には12~13世紀くらいから、後にルネサンスと呼ばれるものがヨーロッパの中にあったわけです。
中世という時代区分は便宜的なものです。1000年を超える長い期間を中世と呼んでいるだけで、時代を断定的に区切ってしまうと、ルネサンスそのものも見えなくなる。
今の時代も同じです。AIやプラットフォーム企業によって権力は分散し、社会は混沌としている。しかし、その中から新しいルネサンスが起こる可能性もあるでしょう。
中世の修道院では、古い聖書や文献を写本しながら、毎日解釈していたわけです。中世は、解釈の時代でもあった。
これからも我々は、トゥルースを巡って解釈を繰り返していくことになります。その解釈を担うのが人間です。そこをAIやプラットフォームにすべて委ねてしまうと、人間の側の力が弱まっていく。
AIが記憶を蓄え出力する時代だからこそ、人間がどう解釈するかが、より重要になるわけです。
「真実の守護者」が消えた時代、事実と嘘の境界はどうなるか
──フェイクニュースやディープフェイクの問題も、この「新しい中世」と関係してくるのでしょうか。武邑氏:関係しています。もともとフェイクとファクトは、同じ意味なのです。語源的には、ラテン語の「ファキオ(facio)」、つまり「作られたもの」という意味に関わっています。事実も嘘も、作られたものなのです。フィクションもそうです。
もちろん、事実と嘘の区別がいらないということではありません。ただ、事実も嘘も、「作られたもの」であるという感覚を持つことが重要です。
中世の人たちは、すべて作りものだということを理解していた。「神」以外の言説は、すべて人間が作ったものだと考えていたわけです。
そして20世紀はマスメディアの時代でした。新聞があり、テレビがあり、ファクト(事実)やトゥルース(真実)の最大の守護神になったのがマスメディアです。NHKや大手新聞を読んでいれば真実は分かるという、能天気な時代を過ごしてきたわけです。しかし、今やっとそれが元に戻ってきたというイメージです。
もはやマスメディアは真実の守護者ではありません。自分自身で判断しなければならないのです。ソーシャルメディアの時代を通過することで、ようやくそれが見えてきたのだと思います。
事実と聞くと、何か歴然として存在するもののように感じてしまいます。しかし中世の人たちのように、事実も嘘も基本的には作りものだと捉えるほうが、現代のフェイクニュースやディープフェイクの問題を理解しやすい。
エーコも、嘘のない世界は非常に危ない世界だと考えていました。嘘があるから、想像力が成り立つ面もあります。
そしてAIが抱えている記憶も、完全な中立ではありません。危険な発言や暴力的な発言をAIから取り除く作業、アノテーションもしている。そういう環境の中で育ってきたAIは、やはりどこかで制御された記憶なのです。
だから、AI時代の問題は、ファクトかフェイクかという単純な話ではありません。誰がAIの記憶をどう制御しどのように解釈するか、そこが問われているのです。 【次ページ】テック右派が盛り上がる中で“新たな反体制”は可能なのか
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