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- 2015/08/26 掲載
現実を直視できない限りは、旧日本軍の失敗を乗り越えることはできない(前編)
連載:名著×少年漫画から学ぶ組織論(34)
プロジェクトの炎上は、いつも旧日本軍の敗戦と同型をなしている
昔のこと、日本の軍隊が、空虚な精神主義を掲げて無謀な戦闘を戦ったという話は、義務教育の場で教えられ、マスメディアを通じて繰り返し語られている。書物をひもとけば、軍事的観点、文化的観点、哲学的観点、経済的観点、歴史学的観点、ありとあらゆる観点でこのことについて様々な論が展開されている。この国で生まれて育った若者は、意識するとせざるとに関わらずこうした情報に接することになっており、その結果「なんだかよくわからないが、過去の先輩達は非常に愚かな戦争を戦った」という知識はごく当たり前のこととなっている。
特に、戦争の末期におけるキーワードとして断片的に語られる言葉は象徴的で、「赤紙」「特攻」「空襲」「疎開」「竹槍」「原爆」「玉音放送」という一連の流れは繰り返し繰り返し刷り込まれ、あたかも自分達もまたその渦中を経験したかのごとく一定のイメージが共有されている。
これらのイメージは、遠い昔の無関係なものではなく、現在進行形の形で生きているイメージである。
たとえるならば、「プロジェクトの炎上」というものを考えると、こうしたキーワードはリアルな実感をもって迫ってくる。「人がひとり、またひとりとアサインされていき」「クレームと苦悩のなか終わりの見えない残業地獄を戦い」「その手にあるのはエクセル方眼紙と時代遅れのソフトウェア」「最後の最後には納期の大幅な遅延とともに終了し」「社長の訓示で幕を閉じる」という一連の流れと、何か無縁でないものを感じるのである。
問題は常に、「どうしてこうなった」という、根本原因のわからなさである。この国の人々は、総じて仕事をすることが好きだし、こと業務というものにおいて、よっぽどのことが無い限りは、悪意を持って何かを邪魔しようということはない。できれば効率的に、高い品質でそれを遂行したいと、本能的に考える人々だ。時に失敗することはあっても、必ず反省をして、次こそはきっといい段取りで、いい仕事をしようと考える。
様々な成功事例や失敗事例を踏まえて、正しく見積もって、十分にリソースを配置できれば、プロジェクトが炎上することなどないはずだ。そう信じて、希望に燃えて、今度こそはとスタートを切ったそのプロジェクトが、またもや炎上する。そこには「どうしてこうなった」としか言えない虚しい物が去来するのであった。
炎上プロジェクトのようなドラマチックな事件に限らず、現在の企業組織の課題や問題として、例えば「同調圧力」「場当たり的な経営判断」「常態化した残業文化」「中間管理職が無責任」といったキーワードは日々、日本中のSNSを賑わしていて、こうしたトピックが「こんなことでは旧日本軍と変わらないのではないか」という感想とともにつぶやかれているのも、しばしば目にする。そしてその実感には、確かにリアリティがある。
問題は、「根本原因がわからない」ということである。正しく誠実に考え、慎重にアプローチしているにも関わらず、いつまでたっても物事は改善しない。いったい我々はいつ、どこでボタンを掛け違えてしまうのだろうか?
【次ページ】こんなことでは旧日本軍と変わらない
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